罪と誇り

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「こんにちは。すみません、急にお訪ねしてしまって……」  父が倒れて三日後、見知らぬ中年女性が自宅にやって来た。頭には白髪が混じり、ふくよかな体に袖の余ったスーツという野暮ったさの塊のような風貌だった。  急に連絡が取れなくなった父に愛人が会いに来たのか。それにしては趣味が悪いなと思ったが、すぐに見当違いだったと自分を恥じた。 「私、同じ職場で働いている同僚なんです」  親戚らしい親戚もおらず、父について全く関知していなかった私達は、どこに知らせていいものか見当もつかないまま、この三日間を無為に過ごしていた。無断欠勤状態の父を案じて、会社の人が訪ねてくるのは必然だった。  あの後、父は駆け付けた救急隊によって搬送され、病院で救命措置を受けたものの、依然として意識不明の状態が続いていた。ずっとこのままかもしれないし、突然意識が戻るかもしれない。急激に容体が悪化し亡くなる可能性もある、と言った医師の言葉をそのまま、私は彼女に伝えた。要するに、何もわからないという事だ。 「そう……だったんですね。急に倒れるなんて、やっぱり無理がたたったのかしら」  彼女は涙ぐんで、言った。  無理?  私達は首を捻らざるを得なかった。朝から晩まで家に帰らず、好き勝手に見えた父の暮らしぶりのどこに無理があったのか。 「ええ。毎日誰よりも出勤しては、夜遅くまで仕事に打ち込まれて。無理はしないようにどんなに周りが言っても、今のこの一分一秒のために助からない人はいっぱいいるんだって耳を貸さなくて。そのお陰で沢山の命が救われたとしても、自分が倒れたんじゃあべこべよね」 「命を……救う? 父が? それってもしかして、ずっと昔からですか?」 「そうよ。もっとずっと若い頃から、あなた達のお父さんは無理を重ねて来た。でも、お父さんが作ったお薬のおかげで救われた人は、日本どころか世界中に沢山いるわ。あなた達のお父様は、会った事もない誰かを想って必死になれる立派な人なのよ。胸を張って、誇っていいわ」  悲しげに微笑みかける彼女に対し、私と美和はこっそり目配せし合った。どんな顔をすればいいかわからなかった。  私達が初めて知る、私達が知らなかった父の顔。  顔も名前も知らない人達のために、世の中のために尽くそうとした父は、立派なのかもしれない。でもそのために妻をないがしろにし、家庭を壊し、終いには自分の命すら失おうとしているのも父なのだ。 「そんな事……ないです」 「え?」 「父は立派な人なんかじゃ、ないと思います」  じっと黙って隣で聞いていた美和が、吐き捨てるように言ってリビングを飛び出して行った。  言葉を失う彼女の前で、私はぎゅっと震える手を握りしめた。けど拳の中には、堪えるべき感情なんて何もなかった。  はじめから私の手の中には空しさしか無かったんだと、気づかされただけだった。             ※
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