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ー下北手 呉服屋の 【狐姫】 ー1ー
ー序ー
ー「狐姫」
の噂と、その正体ー
ー江戸 中期。
武士よりも、商人が、力を持つ時代…。
「ーいらっしゃいませ…!…ご注文は?」
「ーあぁ、何時もの着物を頼む…!…この店の布は、着心地が良いからねぇ…。」
ー江戸の中心部に、店を構える、下北手 呉服屋
(しもきた ごふくや)
…は、今日も、繁栄していた。
ーこの店は、様々な衣服、布を扱い、それを作った着物を売る、という店であった。
…そしてー、
この店が、年がら年中、繁栄しているのには、もう一つ、訳がある。
「…なぁ、聞いたか…?
この店にゃ、「狐姫」が住んでるっていう、噂を…。」
「狐姫」
ーその姫は、客の前には、滅多に姿を見せないらしい。
…彼女は、己の顔を、ー客だけでなく、家族にもー…見られるのが大層、恥ずかしいらしい。
ーなので、年中、狐のお面を被っているという。
「ーもし、その姿だけでも、見られたら…吉兆が起きそうな気がするよなぁ…?」
ー客の言葉に、他の客達が、一斉に、うんうんと頷く。
…客達の、そんな様子に、
「下北手 呉服屋」の女将、お金が、小さく苦笑するのには気付かずに…。
「…お嬢様、お目覚めでございますか…?」
ー同時刻、卯の刻【今の、午前五時~午前七時のこと。】。
…聞き慣れた侍女の声に、一人の少女が、素早く身体を起こした。
…彼女は、顔が見えないよう、狐の面をした仮面を、深く被っている。
ー彼女こそ、客達の間で、噂されている、
「狐姫」
こと、下北手 美那 (しもきた みな)であった。
「…ええー、…良く、眠れました。
…狐のお面を被ったまま、少女ー否、美那は、彼女に向かって、にこりと微笑む。
…しかし、その笑みは、仮面に隠れて、少ししか見えなかった。
「…お髪を整えられたら、朝餉【=あさげ。朝食のこと。】にお出で下さいましね…!」
侍女も、美那に、笑みを返すと、彼女の顔を見ないようにして、そうっと、部屋を出ていった。
「…ふうー。」
ー侍女の足音が、完全に遠退くのを確認して、
…美那は、安堵の息を漏らし…、
身体で隠していた、壺に呼びかけた。
「…今日も来られたんですね…?
ー轆轤首
(ろくろくび)の、早苗さん…?」
ー途端に、古い銅製の壺から、長い首の女が一人、にょきにょきと現れ、
「…やれやれ、見つかっちゃったねぇ…。」
ーと、悪びれもせず、長い首をすくめる。
…彼女こそ、世の人に轆轤首と呼ばれている、妖だった。
…そんな妖が、目の前に現れたというのに、美那は、怯えても悲鳴を上げてすらもいない。
「…私には、早苗さんが視えるから、良いものの…、
お母様が貴女を見たら、卒倒してしまいかねませんよ…?」
…ですから、どうか、この部屋では、大人しくしていて下さいね…?
美那は、薄い着物に腕を通しつつ、早苗に言い聞かせる。
「ー大丈夫、大丈夫…!
あたしゃ、人を無闇に脅かす程、馬鹿じゃあ無いからねぇ…!」
「…それなら…まぁ、良いのですけれど…。」
ー任せな、と胸を叩く早苗に、美那は、疑惑の眼差しを向けながらも立ち上がり、母屋へと向かっていった。
「ーお早うございます、お母様、お姉様…!」
ー母屋は、三階の奥の、突き当たりにある。
…美那は、狐のお面のまま、母のお金と、姉の早織に、頭を下げた。
「ーお早う、美那…!」
…相変わらず、早起きなのねと、美那に笑い掛けたのは、次女 早織。
…早織は、可憐な顔立ちと、柔らかい瞳を持っている。
今は、京に、修行に行っている、長女 お華の代わりに、店の商売を、表立って手伝っていた。
「ー美那、朝餉、出来てるから、早く食べといで…?」
…今日の朝餉は、卵焼きと、鮎の塩焼きと…、
と、美那に、朝餉の内容を説明し始めたのは、母のお金。
お金は、
「下北手 呉服屋」
の、女将だ。
…本歳 四十五歳には見えない。
…童顔に優しげな瞳が、心配げに、美那を見つめている。
…十四歳になっても、顔の仮面を取らない娘を、お金も、早織も、心配しながら、見守っているのだった。
「ー有り難うございます、お母様…。」
…では、食べて参りますね…!、
美那は、母に一礼すると、次女の案内で、朝餉の方へと、急ぐ。
…しかし、先の廊下から、父 冬樹が、やって来るのを見て、美那は、直ぐに足を止めた。
「…………お早うございます、お父様………。」
「ーお早う、美那……。
今日も、朝寝坊しなかったんだね…。」
ー父 冬樹は、ぺこりと頭を下げた、美那の頭を、ぽんぽんと撫でる。
冬樹は、
「下北手 呉服屋」
の、旦那だ。
妻のお金とは、中睦まじく、
「江戸のおしどり夫婦」
と、江戸中で、言われている程だ。
…一向に仮面を外さない美那に、冬樹は、敢えて何も聞かず、普通に接していた。
「…はい…!」
仮面から、美那が小さく微笑んだのを垣間見て、お金も早織も、自然と笑顔になった。
「…朝餉は、私が案内しよう。」
冬樹は、にこやかに侍女に言うと、美那の右手を取り、朝餉の部屋へと、案内する。
…春の兆しが、店の中に、柔らかく漂っていた…。
一話
新たな 出逢い
ー二匹の 妖狐ー
「…只今、帰りました…。」
ー朝餉を食べ終わり、店の奥で、その日の仕事を、終えた美那は、自分の部屋へ、足を踏み入れる。
「…お帰りなさい、美那 さん…!」
ーそこには、美那も、妖達も、見知った人物が、勝手に、部屋の中へ入っていた。
「…あら、郷寺 お坊様…!」
…只今帰りました…!
美那は、郷寺に、にこりと、笑みを返す。
郷寺 御坊。
…郷寺は、34歳の、高僧だ。
彼は、時々、美那の部屋に、勝手に、入ってくる。
…というのも、美那が、郷寺にだけは心を開き、自分の部屋の合鍵を、彼に渡しているからなのだが…。
ー郷寺は、この頃、美那に、江戸の、不思議な事件を、話してくれることが、多くなっていた。
「ー今回は、どのような案件でしょうか…?」
そう聞きながら、美那は、さっと、分厚い布を、窓に被せ、中を、誰にも、見られないようにした。
…この時間は、母も、姉も、父も、店の経営に忙しく、美那の部屋を訪れることは、滅多にない。
…それでもーー、
美那は、彼らに自分の顔が見えないよう、気を遣っていた。
「ーそこまでしなくても…。
ーこの時間は、家の者は、滅多と、来ないと思うけどねぇ…。」
早苗の呆れた声に、郷寺 御坊も、微かに、苦笑を浮かべる。
「…それは、仕方がないだろう、轆轤首 さん…?
美那 さんが、こんなにも、綺麗な娘さんだと、周囲にー家族の方にも、もし、知られてしまったなら…。」
「ー確かに、彼女は、無理矢理にも…、…何処かへ、嫁として嫁がされるか、連れ去られかねないだろうけどねぇ…。」
…はらり…。
ーそんな二人の会話を聞きながら、美那は、狐のお面を、そうっと、床へと、落とす。
…外された仮面から、現れたのは…、月に居るとされる、天女よりも、神々しく、艶やかな美を、兼ね備えた、超絶 美少女…。
真っ白で、陶器よりも透き通った、透明な肌…。
淡く、濃く、優しげに艶目く、櫻色の、唇…。
伏し目がちで、大きく見開かれた、黒目がちな瞳は、黒真珠よりも美しい、宝石のよう…。
…美那は、何もかもが整った、顔立ちをしていた。
…ーそう…。
ー…美那が、家族や、使用人、客達にまでも、自分の顔を、見せない理由…。
ーそれは、一度、姿を見せれば…。
ー何処ぞの大名の嫁にされるか、吉原に売り飛ばされるか。
…そのどちらかの可能性がある程の美を、持ってしまっているからだ。
「…出来るものなら、ずっと…」
…この姿を、隠していたいものです…。
そう、深々と、嘆息を吐く美那に、
「ーそれは、難しいでしょうね…。」
ー郷寺 御坊も、ため息を吐きつつ、美那が座っていた座布団に、すとんと、腰を下ろす。
「…お茶をどうぞ…!」
ー美那は、慌てて、自ら緑茶を用意し、郷寺の茶碗に注いだ。
「…今日は、お話と言いますか…、美那 さんに、頼みごとをしたいという方が、居まして…。」
ふうっと、お茶で、一息ついた後、そう言った、郷寺の言葉に、
「…「狐姫」の、私に、頼みごと、ですか…?」
美那は、小さく、首を傾げる。
…美那は、生まれてこの方、外出をしたことが、年に一、二回しかなかった。…だから、例え誰かに何か頼まれても、そんな自分が、その依頼人の役に立てるとは、到底思えない。
…美那が困り顔で、郷寺に、そこまで話した時ーー。
「…ほう…、そなたが、人間界で噂の、「狐姫」か…。」
部屋に、眩しい光が差し込むと同時に、一人の女人が、美那達の前に、降り立った。
「…もしや…、郷寺 お坊様、この方は…。
ー天照大御神 様…なのでは…?」
ー彼女が、目映い程の、太陽の光を放っているのを見て、美那は、声を僅かに高くして、郷寺に尋ねる。
「…ほほう、そなた、中々鋭いのう、「狐姫」よ…。
ー如何にも、私が、天照大御神じゃ…!」
そなたのこと、気に入ったぞ…!
ー郷寺が応える前に、自ら、そう名乗った、女人ー天照大御神に、美那は、有り難うございます、と感謝しつつ、小さく、苦笑する。
「…出来るなら、美那と、呼んで頂きたいのですが…。
…それよりも、天照大御神 様。
…この私に、頼みごととは、一体、何でございましょうか…?」
「…狐姫、否、そうじゃな、美那と呼ぼう。
…美那…。
…そなたの側に、二人の妖狐を、侍従として、置かせてはくれぬか…?」
「…はあっ…!?」
「…な、何ですって…!?」
ー天照大御神 の言葉に、美那と、郷寺 御坊が、ほぼ同時に、驚きの声を上げる。
「…良いんじゃないかい、美那…?
妖の仲間が、増えそうでさぁ…!」
ー困惑の表情を浮かべるお嬢様に、早苗がそう提案してきた。
その表情は、美那と違い、楽しげだ。
「…ですが…、早苗さん…私には、馴染みの侍女殿が、居られますしぃ…!」
毎朝、起こしに来て下さるのにと、主張する美那に、
「…でも、美那は、侍女に起こされる前に、起きてるんだろ…?」
早苗が、長い舌を、ちょろりと出して、反論する。
「…うっ…、実際は…侍女殿に、自分の顔を、うっかり見られそうで…油断が出来そうもないですから…。」
美那の言葉に、彼女と、轆轤首のやり取りを、物珍しげに聞いていた天照大御神は、眉を潜めて、二人の会話に、割り込んできた。
「…少し、待て…美那よ。…そなた、何故、それ程の美貌を使用人に見られるのを、厭うのじゃ…?」
「…っ…」
…太陽神の問いに、目を伏せ、黙り込む美那に代わって、郷寺 御坊と早苗が、交代交代に、彼女が顔を隠す理由を、説明する。
…全てを説明するのに、一刻程掛かってしまった。
「…成る程ー。…確かに、美那の美貌は、全ての男達を、魅了し、虜にしてしまうじゃろう。
…否ー、人だけではない。」
妖や、私ら神が、そなたに惚れても、おかしくなりかねぬ…。
はっきりと、天照に、そう断言され、美那の美しい面が、明らかに強張る。
「…私は、美那の美貌や、その佇まいを見て…、そなたが、妖狐の主人になるべきじゃと、改めて思った。…いざとなれば、彼らは、そなたを護ってくれるじゃろう。」
ー美那の右手を取り、そう言いながら、天照の姿が、どんどん、空気に、溶け始める。
「…えっ…!?、ちょ、ちょっとお待ち下さいませ、天照 大御神様…!」
急に消えられても、困ります…!
ー困惑する美那に、天照 大御神は、優しく、笑い掛けた。
「…では、又来るぞ…!「狐姫」ー否、我が友 美那よ!」
…そしてー、夕焼けが消えると同時に…、その姿は、完全に空気に溶け、見えなくなってしまった。
「…相変わらずだな、天照大御神 様は…。」
ー深々と嘆息を吐いた郷寺は、狐のお面を被り直した美那に、にこりと笑顔を向ける。
「…と、いうことで、美那 さん。…明日から、その方々が、貴女の侍従になられるとのことです。」
「…あ、明日から、ですか…!?」
…両親と、姉に、何と、説明すれば…?
面食らいつつ、そう聞く美那に、郷寺は、
「…ふふ。…そこは勿論、彼らの力で、何とでも出来ますよ…。」
と、可笑しげに笑う。
…しかし、美那は、笑いどころではなかった。
「…本当に、何とか出来るのですね…?」
膝をするようにして、高僧の方へと迫った美那は、疑い深げに、じいっと、その顔を覗き込む。
「…まぁまぁ、美那…!…郷寺 お坊がそう言ってるんだから、信じたげなよ!」
ーそんな少女と高僧の間に、轆轤首が、にゅっと、己の首を伸ばし、割り込んできた。
「…うーん…、そうですね、分かりました…。…郷寺 お坊様と、天照 大御神様の、頼みなら…」
その頼みごと、お引き受けしましょう…!
美那は、一つ、腹を括り、郷寺に向かってそう告げる。
その意気だよと、壺の中で、早苗が少女に笑い掛けていた…。
「ー失礼致します、美那 お嬢様。」
ー翌日の、明け6つ (午前6時)。
若い男の声がして、美那は、早苗と顔を見合わせた。
「ー天照 大御神様が、仰っていた、妖狐 殿達、でしょうか…?」
ー狐のお面を深く被りつつ、美那は、轆轤首にそう尋ねる。
「ーあぁ、そうみたいだねぇ…。ー二人とも、ちゃんと人の姿。…部屋の外で、待ってるよ!」
ー早苗が、己の首を、長く伸ばし、少女に、外の様子を教えた。
彼女は、轆轤首である故、己の首を用いて、外を見ることが出来るのだった。
「…教えてくださって、有り難うございます…!」
…では、いざ対面です…!
美那は、早苗に感謝しつつ、手早く、部屋の扉を開ける。
「…お部屋にお招き頂き、光栄でございます、お嬢様。」
ー二人の妖狐は、部屋にそろりと足を踏み入れ、美那に頭を下げた。
「ーいえ、いえっ…!此方こそ、本日から、宜しくお願い致します…!」
美那も、二人に向かって、深々と、頭を下げる。
「ーくっ、可笑しいねぇ、くっくっ…!」
ー早苗は、二人が妖狐なのが分かっているので、壺に姿を消さず、三人の様子を、見守っていたが…。ーそれと時が経たぬ内に、何故か、大声で笑い出した。
「ー轆轤首が、何故こんな大店【おおだな。大きな店のこと。】に…?」
ーそんな早苗を見て、頭を上げた妖狐の一人が、眉目を潜める。
「ーこの方は、轆轤首の、早苗さんです…。…ええっと…。…早苗さんは、私が、妖や幽霊が視えることを知って、面白がって…。そこから、ずっと、訪問されています。」
早苗を紹介しながら、美那は、早く笑いを納めて欲しいと、じとりと、轆轤首に視線を送る。
「…ごめん、止まれないかも、くっくっ…!」
「ー止まれないかも、って…。私、何か、可笑しなこと、言いましたでしょうか…?」
ー美那の問いに、早苗は、一頻り笑った後…、微かに、首を縮めた。
「ーごめん、ごめんねぇ…。あんた達の様子を端から見てたら、何だか、可笑しくなっちまって…!」
「…確かに…、…可笑しくも、なりますよね…。」
ー早苗の言葉に、美那は合点が行って、目を伏せた。
ー妖狐なのに、人の形をしている、男二人と、訳あって、狐のお面を、顔に被る、美少女。
…そんな3人が、深々と、頭を垂れ、挨拶する。
…そんな光景を見たら、早苗だけでなく、誰だって…。
「…はぁ…ー。」
…憂鬱な気分になり、美那は、肩を落とす。
「ーお嬢様…?」
そんな主人を見て、妖狐 二人が、顔を見合わせた時ー、
「ーおっと、いけない…!」
早苗が、慌てたように小声で言い、本体の壺に、己の顔と首を戻した。
…美那の部屋に向かい、ぱたぱたと近付いてくる足音を、瞬時に察したからだ。
「ー美那、美那…!
真央里 姉さんが、今日、帰ってくるって…!」
ー直に、部屋の扉が、やや乱暴に開かれ、早織が、興奮気味に美那に告げた。
「ー真央里 お姉様が、もう、修行を終えられたのですか…?」
流石は、真央里 お姉様、早いですね…!
ー美那は、姉に向かって、仮面の内側で、無理矢理に笑みを作り、そう返した。
真央里。
ー真央里は、
「下北手 呉服屋」
の、長女。
本歳、二十四歳。
修行の為、九年半、京の大店に行っていた。
ーその姉が、今日の午後には、帰ってくるという。
「そうなの…!私、姉さんが居ないと寂しかったから、もう、嬉しくて嬉しくて!」
…と、喜ぶ早織に、美那は、内心では、それは違うでしょうと、反論していた。
早織が、嬉しいのは、…真央里が、帰ってきたことも、勿論、あるだろうが…、きっと、それだけではない。
恐らく、真央里が、店に帰れば…、早織が、この呉服屋を継がなくて良いからだ。
(…早織 お姉様は、意外と、面倒臭がりなお方だからなぁ…。)
ー面倒臭がりなのに、色々な店の問題に首を突っ込み、面倒事を引き起こす。
…それが、早織という人なのだと、美那は、物心付く前から承知済みだった。
「…そうとなれば、もう少し、派手な振り袖に、身を、通してみます…!」
ー内心では呆れながらも、美那は、少しだけ張り切って、早織にそう言ってみる。
「ーふふっ、うん…!…美那の着物姿、楽しみにしてる!」
妹のそんな言葉に、早織は、にっこりと笑む。…そして、侍従二人には目もくれずに、部屋から、颯爽と、出ていった。
「…早苗さん!…もう、出てきても良いです、大丈夫そうですよ…!」
ー早織の足音が、部屋から、店の方へと向かうのを見て、美那が、早苗に、声を掛ける。
「ーあぁ、危ないとこだったよ…。…にしても、美那のお姉さんは、あんただけが、大事みたいだねぇ…。」
ほら、二人には、目も、留めなかったみたいだし…。
轆轤首の言葉に、美那は、こてん…と、小さく、首を傾けた。
「ーおかしい、ですね…。…お姉様は、何時も、端麗な顔立ちの、異性を見ると…。…頬を、夕焼け色に染められるのですけど…。」
ー端正な顔立ち、と美那に言われ、男二人は、顔を見合わせる。
…確かに、どちらも雰囲気のある、端麗な容姿をしていた。
「ーまさか…。運命の出逢いでもした、とか、言うんじゃないだろうねぇ…。」
ー早苗の言葉に、美那は、まさかと、声を上げた。
「ーあの、早織 お姉様に、限って…、運命の出逢いなんて、有り得ませんっ…!」
ーとんとん拍子で会話を進めていく、お嬢様と轆轤首に、妖狐 二人は話が読めず、先程から黙ったままだ。
…それに気付いた美那は、慌てて、男達に向き直った。
「ー話が逸れてしまい、大変、申し訳ございません…!…早速ですが、お二人の名前は…。…次六 (じろく)さんと、吉无
(きちむ)さんで、如何でしょう…?」
ー平謝りに謝った後に、唐突に、そう提案してきた美那に…、彼らは面食らった様子で、ごほごほと、噎せた。
「ー美那、あんた、昨日の今日で、妖狐達の名前まで、考えたのかい…?」
凄いねぇと、早苗に誉められ、美那は、
「有り難うございます…!」
ー仮面の外側で、思わず、妖艶に、笑む。
「…っ…!?」
ー花が開くようなその笑みを、垣間見て…。妖狐達は一瞬だけ、目を見張った後…。ほぼ同時に、ふっと微笑んだ。
「ー承りました、美那 お嬢様…。この次六、貴女様のこと、良く知りとうございます。」
次六。
柔らかな雰囲気を纏わせた、美丈夫な、青年。
ー彼の言葉に、美那は、少し顔を強張らせつつ、
「ー此方こそ、宜しくお願い致します…!、次六さん…!」
ーと、言葉を返す。
「ー承知致しました。ーこの吉无、貴女様を第一として、仕えさせて頂きます…。」
吉无。
明るい顔立ちをした、美青年。
ー彼に、そう告げられ、美那は、私を、第一とするのですか…?、と、仮面の外側で、眉を潜める。
「ー良いねぇ、楽しくなりそうじゃあないか…!」
ー二人の妖狐達の言葉に、小首を傾げる美那に、早苗が、壺の中から、話しかけた。
「…そう、でしょうけれど…」
ー次六さんと、吉无さん。
…二人は、天照 大御神様が、連れて来られた、妖狐さん達だ。
…そんな彼等が、私に仕えるのは…正直、彼等には、嫌なのではないかしら…?
美那は、内心では、疑問に思いながら、皆に背を向ける。
…そして、振り袖に、手早く、己の両腕を通そうとした。
(…あら…上手く、通らないみたい…。)
ー腕を通そうとしても、中々、袖に、手が届かない。
「ーあ、あの…」
…困った美那は、次六達に、手伝って欲しいと声を掛けた。
「…お嬢様、失礼致します。」
…次六が、美那の方に歩み寄り、身体を支えてくれる。
…彼の身体は、人のそれよりも頑丈で、確りとしていた。
ーその間に、吉无が、さっと、美那の身体に振り袖を通させ、着物の乱れを整えた。
「ー出来ました、お嬢様…。」
ー吉无の声に、美那は慌てて、次六の腕から下りた。
「…あ、ああ、有り難う、ございます…っ…!」
ー美丈夫な二人に支えられ、着物まで着させて貰った。
…余り、男の人に慣れていない美那は、仮面の内側で、頬を真っ赤に染めて、俯く。
「ーふっ、誠に、可愛らしい方だ…。」
「ーあぁ、実に、同感だ。」
…そんな美那を見て、次六と吉无は、そう囁き合う。
…徐々に仲を深めていく三人を、早苗は、部屋の隅で、楽しげに見守っていたのだった…。
ー二話ー
ー雷神の「恋」頼みー
「…お母様、お父様、早織・真央里 お姉様!
美那です…。」
…其方に入っても、宜しいでしょうか…?
ー美那の声に、母屋の扉が慌てたように開き、父 冬樹が、部屋から出てきた。
「ーあぁ…!
…おいで、美那…!」
冬樹に右手を引かれ、美那は、
「ー有り難うございます、お父様…!」
…父に、お礼を言いつつ、次六と吉无と共に、母屋へと足を踏み入れる。
「美那、久しぶりね…!」
部屋の中央にいた真央里が、末の妹の姿を見て、話し掛けてきた。
長女 真央里。
…小顔で、純粋な瞳が印象的な、26歳の女人だ。
…その両目が、ちらりと、美那の被っている、狐の仮面を見て…。…大きく大きく、見開かれた。
「ー貴女、あれから九年半も経っているのに、何で…!?…どうしてまだ、仮面を被ってー」
…ー被っているの…?、と言い掛けた真央里を、
「ーこれ、真央里!」
「…真央里 お姉、何てことを聞いてるの!?」
…早織と母 お金が、きつい口調になって遮った。
早織等、鬼よりも恐い形相で、真央里を睨み付けている。
「…っ、何だか…ごめんなさい…。」
美那は、目を伏せ、地面に、視線を落とした。
真央里の気持ちも、分からないでもない。
…否ー、十分な程に、理解している。
真央里は、信じていたのだろう。
ー彼女が、九年半もの、修行に、赴いている間に、美那が、仮面を取り払っているだろう、と…。
…本当の、美那の顔を、真央里以外の家族や、お客様方、そして、使用人達に、見せているのだろう、と…。
「ー美那…っ…!ーいいえ…。…今のは、私が、悪いのよ…。ーごめん、ごめんなさいね、美那…!」
ごめんね、本当にごめんねと、何度も謝ってくる真央里に、美那は、どうしようもなく居たたまれなくなり…、首を何度も左右に振った。
「…ま、まぁまぁ…。…とにかく、真央里が、帰ってきたんだし…。」
今日の夕餉【ゆうげ。夕食のこと。】は、一層、豪華にしよう…!
…その場の空気を読んだ冬樹が、素早く話の話題を変える。
「…ええ、そうね…!…美那も、一緒に食べる?」
…早織にそう聞かれた美那は、
「…ごめんなさい、今日は…。…部屋で、独りで食べても良いでしょうか…?」
心苦しくなり、俯いたまま、そう切り出した。
…私のせいで、今のように、空気が重くなるのは…、辛い。
…家族が、自分に対して、気を遣ってくれているのを、美那は、充分過ぎる程に、判っていた。
…けれど…。
気を遣われている、と分かっているのに…。…やっぱり、美那は、自分の顔を、家族に見せられる気がしなかった。
…いざ、顔を見せた時の、彼らの反応を見るのが…。…何だか、恥ずかしく、恐ろしくて…。
「…そうか…。
夕餉は、侍従達に持ってきて貰うと良いよ…!」
…冬樹は、美那の頭に、ぽんと、右手を置き、早織の代わりに、そう言ってくれた。
…母とも、早織とも違い、冬樹は何時も、普段通りに接してくれる。
…そんな父に、美那は、感謝の意味を込め、彼だけに、小さく笑んでみせた。
「…美那、良くお聞き。…決して、無理して仮面を外そうとも、笑おうとしてもいけない。…そのままのお前で良いと、少なくとも私は、そう思ってるんだよ…。…心痛が溜まって、病になるといけないからね…。」
…優しく、娘の頭を撫で続けながら、冬樹は、美那だけに聞こえるよう、小さく呟いた。
「…えっ…?」
目を丸くして、問い掛ける少女に、冬樹は、悪戯っぽく、笑みを返す。
…まるで、美那の全てを、見透かしているかのように…。
(…もしや、お父様は…。…私の本当の顔を、ご存知なのでは…)
ー美那が、その場で、固まっているとーー。
「…お嬢様。郷寺 お坊が、おいででございます。」
…次六が、美那の側に来て、一礼してから、耳元でそう囁いてきた。
「…郷寺 お坊様が?」
又、何かの頼みごとかしらと、美那は、首を密かに傾げつつ、父達の方へと向き直り、
「…お客様がおいでのようですので、私はこれで、失礼致します。」
と言い、深々と、頭を下げる。
「ええ!?ーでも私は、ご飯くらい美那が一緒で、仮面を外すべきだと思ってー!」
「…ーうん、気を付けて、対応して差し上げてな…!」
…又もや、何かをー余計なことを、言い掛けた真央里を、大声で遮り、冬樹が立ち上がる。
…穏やかな空気に戻りつつあった部屋が、真央里の言い掛けた言葉で、再び、剣呑なものになりつつあることを察したからだ。
…そして、彼は、頭を上げた美那を、足早に、母屋の外へと連れ出した。
「…真央里!ーあんた、本当に分かっているのかい!?…美那の立場にくらい、立ってみたらどうなの…!」
「…真央里 お姉!…何で肝心な時に、他人を傷付けるようなこと、言うのよ…!?…美那、此れから、余計に、顔を隠すに決まってるわ!…あんなことを、真央里 お姉が、言っちゃったから…!」
…お金と早織が、口々に、真央里を、激しく、叱責している。
…その声を聞きつつ、妖狐達と共に、自分の部屋に向かって、足早に、歩きながら…。ー美那は、堪えきれずに、深い深いため息を吐くのだった…。
「ーお待たせし…ま…した…。」
へなり。
部屋に入った美那は、郷寺 御坊の目前で、その場に屑折れてしまった。
「ーお嬢様、大丈夫でございますか…!?」
…次六と吉无が、慌てて、美那の元へと駆け寄る。
二人とも、血相を変え、真っ青になっていた。
「…大丈夫です、何とか…!」
心配をお掛けして、申し訳ありません…!
ーと、疲れきった様子で、彼等に応える美那に、郷寺が、ずいっと、迫ってきた。
「…どうやら…何か、貴女の仮面に対し、誰かに反論されたようですね…?」
一体、何があったのですかと、高僧に、大真面目な顔で、問い詰められ…、
「…実はー、私の姉、あ、修行中の身だった、長女なのですが…。…先程帰ってきまして、それで…。」
…美那は、やむを得ず、全てを、洗いざらい話した。
「…なる程ねぇ!…その、真央里さんっていう、姉さんの気持ちも、分からなくもないけど…。」
美那にとっては、心が深く抉られるし、辛かったろうねぇ…。
…と、少女を労ったのは、郷寺 御坊ではなく…、轆轤首の、早苗だった。
…どうやら、早苗は、壺から顔だけを出し、美那の話を聞いていたらしい。
「…そうなんですよね、分からなくもない…って、早苗さん…!?…まだ、この部屋に居られたのですか…!?」
今日で、数えて、半月ですよ…?
困惑の声を上げる美那を、郷寺が遮り、こう尋ねた。
「…然し、美那さん。天照 大御神様も…。『ー美那は、まだ、家族にすらも、顔を見せない方が良い。』ーと…、私達に、そう、仰っていたでしょう…?」
「…天照 大御神様が、そう、仰られたのか…!?」
ー美那が応える前に、郷寺に、問い掛けたのは…、何と、吉无だった。
「…しかも、直々に、お嬢様のお姿を見られて…?」
次六も、高僧に、詰め寄るようにして、問いを重ねる。
「…え、ええ。…そ、その通りに、ございます…!」
…どうやら、次六と吉无は、共に、妖達の中でも、位の高いもの達らしい。
…郷寺が、珍しく、敬語で、しかも、冷や汗を、背中にかきながら、畏まって応えるのを見て、美那は、そう悟った。
「…私は…。…そんなにー天照大御神様に、注意を、換気される程ー綺麗なのでしょうか…?」
…確かに、自分の顔は、ずっと隠していたいと…、美那は、ずっと、思い、実行してきた。
そしてそれは、驚くことに、赤子の時からであった。
…美那は、物心付くより早い時期から、狐のお面を、自分の顔に被っていた。
…彼女が抱く、その欲求は…、ある二つの思いから来ている。
一つ
…家族や、使用人達に、自分の顔を見られるのが、恥ずかしいという、羞恥心。
一つ
もしも、自分の顔を見られたら、どう反応されるのかが、恐いという、得体の知れぬ、恐怖心。
…赤子から、十四歳になったというのにー、美那の心には、これらの気持ちが消えずに、ずっと、残り続けている。
「…美那さん!?…まさか、貴女は…。それを、自覚していなかったのですか…!?」
…あれ程、注意されておきながら…。
ーきょとんと、自分を指差し、そう問う美那に…、最早、驚きを通り越し、呆れた悲鳴を上げる、郷寺 御坊。
「…あはっ、やっぱり面白いねぇ、美那は…!」
…早苗と言えば、そんな高僧とは正反対に、肩を竦め、長い長い首を、ありったけ伸ばす。
…そして、大きな口で、呵呵大笑を、始めてしまった。
「…ご、ごめんなさい…、つい…?」
…美那は、そんな二人に、首をかしげた後、両肩を、深く落としながら…。
…はらり…。
布が、窓に掛かり、覆い被さっているのを、確りと確認する。
…そして…、何時ものように、ゆっくりと仮面を外し、地面へと落とした。
「…っ…!?」
「…み、美那 お嬢様…!?」
…いきなり現れた、美那の、余りの美貌にー、流石の二人の妖狐達も、言葉を失い…。ぽかんと、口を大きく開ける。
ー次六は、口をぱくぱくさせ、吉无は、幾度も、目をごしごしと擦る。
…だが…。
…目の前に、天女よりも美しい少女が居るという事実は、二人が、そんなことをしようとも、勿論、変わるはずがなかった。
「…そりゃあ、そういう反応に…」
「…なるだろうな、轆轤首…。…全く、美那さんは、無自覚過ぎるのだから…。」
…早苗と郷寺 御坊が顔を見合わせ、ため息を吐く。
…美那は、こてん…と、首を傾げつつ、高僧に、どうしてため息を吐くのかと、聞こうとした。
…刹那、
ごろごろごろ、どっかーん!
…美那の部屋に、雷鳴が轟いた。
「…きゃっ…!?」
ー直ぐ側に落ちてきた光に、悲鳴を上げる美那。…その彼女に、二人の妖狐達が慌てて駆け寄り、
「…お嬢様、御心配なく…私達が、付いております故…。」
美少女の華奢な身体を引き寄せ、自分達の背後に庇う。
「…っ、あ、有り難う、ございます…っ…!」
身を呈して護ってくれる二人に、美那は、又も頬を赤らめ、俯いた。
「…雷鳴を、貴女の近くに、落としてしもうたか…。
ーこれは、驚かせてすまぬのう、狐姫殿…」
ーと、そこに。
雷の光を、身体中に纏った、一人の男が、部屋に、姿を現した。
「…ら、雷神 様…!?」
…侍従達の背後から、恐る恐る、彼の姿を見た美那は…、黒目がちの瞳を、見開いた。
「…ふうん、成る程…。
…天照様の仰った通り、敏いのじゃなぁ、美那殿は…。」
雷神。
厳つい顔立ちに、雷の雲を、頭に浮かべている。
…美那の言葉に、雷神は、感心した風に、狐姫を見つめた。
「…天照 大御神様に、美那のことを、聞いたのかい…?」
…美那が、そろそろと、妖狐達の前へ、進み出るのを見ながら、そう聞いたのは…、早苗であった。
…郷寺 御坊と言えば…、雷鳴が、余程恐かったのだろう。
…部屋の隅で、身を縮め、両耳を塞いでしまっている。
「…あぁ、そうじゃ…!…にしても、珍しいのぅ。わしの雷に怯える、御坊が居るとは…」
…普通の御坊は、怯えないはずなのじゃが…。
ー雷神の言葉に、郷寺 御坊は、ずーんと、両肩を深く落とす。
…その様子が何だか可笑しく、美那は、ふふっと、小さく笑んでしまった。
「…処で、雷神様…うちの大切なお嬢様に、一体、何の御用でございましょうか…?」
ー吉无が、躊躇いもなく、雷神に、この部屋へ来た用件を尋ねた。
「…そうじゃ、忘れておった!…用件は、じゃな…」
ー雷神は、美那の方へ、向き直ると…。
「…その…!…わしの恋を、そなたに叶えて欲しいんじゃー!!」
ー唐突に、大声を出して、そう告げた。
「…こ、恋を叶えて欲しい…、ですか…!?」
ー美那は、びくんと、身体を震わせつつ、次六と吉无、そして早苗と、顔を見合わせる。
ーこれは、厄介なことに巻き込まれたねぇ…。
ー坪から頭を出した、早苗の目が、そう言っているのを見て、美那は、微かに頷くのだった…。
ー1巻ー
ー完ー
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