花のジレンマ

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花のジレンマ

   花月と和愛の報告に、まさなりさんとゆめさんは踊り上がって喜んだ。 「a great grandfather(曾お祖父ちゃん)だね!?」 「a great grandmother(曾お祖母ちゃん)だわ!」 (良かった、英語だけだ) 花の思ったことはそれ。この上、ハンガリー語だのギリシャ語だの出て来ては堪らない、と。 「座りなさい、和愛」  まさなりさんがソファを指差す。 「はい」  小さな時から知っている。その愛しい義理の孫娘には自分たちの血の流れを汲む赤ちゃんが宿っているのだ。 「哲平くん。君も座りなさい。どうやら動転しているみたいだね」 「は、はい。一晩考えたんだけど、俺が祖父ちゃんだなんてまだ夢みたいで」 「私も花月と花音が生まれてからやっと実感が湧いたよ。その手に抱かなければ分からないものだ。私も今、ひどく興奮しているよ、早くこの手に抱きたいと」  ゆめさんが飲み物を運んできた。みんなにはコーヒーを。和愛にはココア、花にはウバ。 「そう、私が曽お祖母ちゃんになるのね? 3月ですって? もう3ヶ月しかないわ」 「ベビーベッドを用意しよう!」  つい口走って、ちらりと花と哲平を見る。 「それくらいはさせてもらってもいいだろうか?」  花は哲平と目を見合わせた。哲平が頷く。自分が返事をするところじゃないだろう。 「花月、父さんに任せてもいいか?」 「和愛、それでいい?」 「うん! 嬉しいです、まさなりさん!」 「その『まさなりさん』を変えなければならないね。……『Urgroßvater』というのはどうだろう!」 「父さん、それドイツ語」 「прадедは? 短くていいだろう?」 「それ、ロシア語。『曽お祖父ちゃん』でいいの!」  ちょっと悲しそうなまさなりさんとゆめさん。 「なんだか夢がないね」 「本当に。まるで人里離れた山奥に行ったような気がするわ」 「哲平くんは?」 「俺ですか!? そりゃもう、ダイレクトに『祖父ちゃん』です! あ、親父っさんとこみたいに『じぃじ』っていうのもいいな」 「花は? やっぱり『じぃじ』かい? それとも『祖父ちゃん』かな?」 「まさなりさん、花は日本語が大好きなんですもの。やっぱり『お祖父ちゃん』よ」  花は固まった。他人事のように聞いていた『祖父ちゃん』。哲平なら迷わないだろう。自分の両親にも迷わせたくない。だが、自分は? 「お、おれ、まだ45だし」 「なんだよ、俺だって47だ。いいじゃないか、40代で祖父ちゃん、祖母ちゃんってのも。な、真理恵」 「うん! すっごく嬉しい! 私は『お祖母ちゃん』より『ばぁば』がいいかな。『真理ばぁ』っていうのも可愛い!」  追い詰められたような気がした。花月たちのおめでたは嬉しい。初めて聞いた時の驚きにはほんの少し怒りが混じっていたが、落ち着いてみればこんなに嬉しいことは無い。自分はただの父親ではなくなったのだ。  だが、花には誤算があった。祖父になることが、自分の呼び名をどう変えるのかを考えなかった。その枠から外れているような気がしていたのだ。 「かんがえる」  片言のようにそう言うと、ウバを持って昔の自室に向かった。 「なんだ、あいつ。何を考えるって言うんだ?」  哲平が呆れたような声で言う。どう考えたって、祖父さんは祖父さんだ。  少ししてノックがあった。 「はい?」 「父さん、俺。入ってもいい?」 「いいよ、開いてる」  花月が入ると、父は窓から外を見ていた。暖房の効いていない室内はひんやりしていて、飲みかけのウバはとっくに冷えてデスクの上にあった。この部屋は花がいた頃のままになっている。両親ともいまだにこの部屋に手を入れることが出来ずにいる。  花月はベッドに座った。花は椅子に。 「ね、もしかして傷ついた?」 「なにが?」 「俺に子どもが出来たことと、『祖父ちゃん』になるってことが結びついてなかったんじゃないかなって」  花月の声は穏やかだった。  
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