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誕生
その日。3月2日夕方の6時過ぎ。宗田家の電話が鳴った。
「はい、宗田です」
出たのは真理恵だ。
『俺! あの、始まったって、和愛が、』
「始まった? 陣痛!?」
すっかり花月が慌てている様子が分かる。
「支度はちゃんと出来てるんでしょう?」
『出来てる』
「じゃ、タクシーで病院に向かいなさい。私が病院に電話しておくから」
『来てくれるよね?』
「もちろんよ! 哲平さんには連絡してないのね?」
『うん、まだ会社だと思う。残業って聞いてたから』
そうだ、今の時期は魔の3月だ。常務ともなれば簡単には会社を出られないだろう。
『父さんにもまだ』
「任せて、私が全部連絡入れとくから。和愛ちゃんのことだけ考えなさい」
『はい!』
(さて、と!)
3人の母だ。ベテランらしく振舞わなくちゃならない。病院には、今向かっていると電話を入れて真理恵は花に連絡をした。順番としてはマリエの中では哲平なのだが、会議中かもしれない。花はすぐに電話に出た。
「花くん、和愛ちゃんの陣痛が始まったの。今病院に向かってる!」
『え、マジ!?』
「マジ! どう? 哲平さんも花くんも忙しいんでしょう?」
少し無言になる。多分時計を見ている。
『俺、8時にはここを出るよ。哲平さんには俺から伝えるから。それくらいの時間はあるよね?』
「あるある。最初のお産は遅れがちだから」
『分かった! なるべく急ぐよ!』
次は堂本家だ。堂本の家でも曽お祖父ちゃんと曽お祖母ちゃんになるのだと大喜びだ。
「宗田の真理恵です。和愛ちゃんの陣痛が始まりました!」
『え、もう生まれるの?』
「今病院に向かったばかりです。充分間に合いますよ」
『ありがとう! すぐに行くわ』
(それから)
宇野本家。電話の向こうは大騒ぎだが、さすがに勝子はベテランだ、泰然自若とその貫録を見せて、一度顔を見てから出直すことにすると言ってくれた。
『そんなにわらわらと人が行ったんじゃ病院も堪ったもんじゃないからね』
今度は大変だ。まさなりさんとゆめさんだ。だが2人とも今日は現実的に話を聞いてくれた。
『最初のお産だからね、あまり早い時間から騒いだら和愛ちゃんが可哀そうだ。私たちは連絡を待つよ。間に合うように電話をくれるかい?』
「はい! 必ず。ちゃんと夕食を食べてね」
『おお! それは忘れそうだった! 分かったよ、食事を済ませておく』
そして自分の両親。
『とうとう曾お祖母ちゃんになるのね! ほら、お父さん! お風呂に入って! 真理恵、おにぎり作って持ってくからそういう心配は要らないからね』
言われて気がついた。花月だって何も食べてはいないだろう。
「ありがとう! 私そこまで気が回らなかったの」
母の笑う声が聞こえる。
『さすがにあんたも慌ててるのね』
そうかもしれないと思う。少々の物事に動じない真理恵も、今回ばかりはいつも通りというわけにはいかないようだ。
病院に着くと看護師さんに笑われた。
「まだまだですよ。多分夜中過ぎくらいかもしれません」
「ありがとうございます!」
花月たちもこの病院で生まれた。みんな顔見知りのスタッフたち。
病室に入っていくと、不安そうな花月と、それを落ち着かせようと宥めている和愛を見た。
「こういう時に旦那さんって言うのはまったくの役立たずね」
「お義母さん!」
ちょっとべそをかきそうになっている和愛は、本当は不安でいっぱいだったのだろう。夫を宥めることで自分を落ち着けていたのかもしれない。
不意に不憫になる。本来ならここに千枝がいるべきなのだ。真理恵は和愛の頭を撫でた。
「大丈夫よ。時間はまだまだかかるけど、和愛ちゃんは何も心配要らないの。ベテランの先生や看護師さんたちがついているし、赤ちゃんって自然に生まれようって頑張る力を持っているから。和愛ちゃんは赤ちゃんを待っていればいいだけなのよ」
「はい。ありがとう」
和愛がぎゅっと真理恵の手を握ってくる。その手を握り返した。
(千枝さん。千枝さんの分まで和愛ちゃんを見ているからね)
息子を見る。ちょっと溜息だ。一児の父となるというのに、まるで高校生にでも還ったように落ち着かずにいる。
「花月。聞きなさい。お父さんが慌てちゃダメ。お母さんってお父さんの気持ちに敏感でしょう? それは直接赤ちゃんに響くの。花月がまず落ち着かなくっちゃ。赤ちゃんはもうお父さんを見てるのよ」
花月は何度か深呼吸を繰り返した。
「ごめん、和愛。俺、頑張るから。ちゃんと和愛を支えるよ」
「うん、うん、さっきまですごく不安だったの。お義母さんも来てくれたし花月もいつも通りになってくれたらもう安心だよ」
「ごめん、そうだったね。ちゃんと父親学級で勉強してたのに」
花月はお産に立ち会うつもりだ。
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