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『花シフト』が組まれた。真理恵は混乱したままだ、とても家の切り盛りなど出来ないだろう。だから哲平が家のことを仕切る。仕事で手が離せなくなれば蓮が代行だ。
食事は蓮とジェイが引き受けた。食生活は生きる要だ、疎かにはできない。
花音はまさなりさんの家に行った。まさなりさんはずっと病院だ、ゆめさんを1人になど出来るわけがない。真理恵の体も休ませなくちゃならないが、それは花月に任せる。花月は流動的に動く。
真理恵は無理にでも食べた。花が心配する。今の花に心労をかけたくはない。真理恵が元気なら花は頑張れるはずだ。
適合検査の結果が分かるまで二週間かかる。余命は一か月。綱渡りだ、余命とは約束された時間じゃない。すでに抗がん剤治療の始まっている花の体は早くもボロボロだ。
蓮とジェイは一度だけ会えた。まさなりさんと真理恵の計らいだ。ほんのわずかな時間、約一分間。
「ごめん、こんな、すがたで」
クリーンルームの向こう側、点滴が白い体に痛々しく下がっている。ガラス越しのインターホンでの花の言葉は途切れがちだった。蓮は笑顔を浮かべた。しっかりと声を聞かせる。
「いいんだ、どんなでも。良くなることが大事だ」
ジェイはちゃんと約束をしてきている、泣かない、と。
「俺ね、みんなの食事作ってるから。昨日はオムナン作ったんだよ。風花ちゃんも和愛ちゃんもすごく喜んでた」
花が微笑む。
「そりゃ、うまそうだ。わる、い、かぞくを、たのむな」
「うん! 俺、花さんの弟だし。こう見えても花枝ちゃんと哲くんの大叔父さんだからね。任せといて」
「うん」
たったこれだけの会話で花はもう疲れていた。
「俺たちはもう行く。ゆっくり寝ろ。いいな?」
「うん」
部屋を出る。ソファに座った。タオルを顔に当て押し殺した声で泣くジェイの肩を、言葉を忘れた蓮がいつまでも抱いていた。
「今夜は何にしようか」
「そうだな……」
料理が好きで良かった。仕事にできるほどにレパートリーがあって良かった。今はこれしかできない。2人は花がよく行ったという朝市のあるスーパーに向かった。
「あ、今日は魚にしようよ」
ショウガを手にしてジェイが言う。蓮が頷いた。
「和愛には穀物を食べさせないとな……シンプルに肉じゃがにするか」
「うん……花さん、痩せてた……」
「……そうだな」
「食べさせて、あげた、い……れん、花さんに辛いキンピラ食べさせてあげたいよ……」
「きっと食べられるようになる。俺たちが信じないと。な?」
「うん」
帰ると風花が飛んできた。
「お父さん、どうだった!?」
風花は毎日僅かな時間、会いに行っているが毎日会えるわけじゃない。だから自分のいない所での父の様子が知りたいのだ。蓮は話して聞かせた。ちゃんと返事をしてくれたよ、と。風花の頬に涙が伝う。
「きっと良くなる。信じていような」
「良くなるよね? そうでしょ? 約束して」
蓮に求めるには筋違いの約束だ。けれどそうでもしなくては風花も崩れてしまうだろう。長く学校を休むわけにも行かず、歯を食いしばって登校している風花。
「約束するよ。風花、俺は信じてるんだ、お父さんは強いって」
言った途端に風花は蓮にしがみついた。震えているその背中を優しく叩く。
「風花、台所手伝ってくれるか? 皮むきしてほしいんだ」
「……やる。大丈夫、やれるから」
「俺とやろうね、風花ちゃん」
「じゃ頼むよ。俺は魚を捌くから」
留守を預かる。責任は重大だ。つい先週まで完璧にバランスが取れていた一家が、大黒柱の不在でこんなにもガタガタになってしまった。
(花の様には出来ない。でも崩れっ放しにはさせない)
哲平も花の欠けた職場を引っ張るのに必死だろう。けれどこんな時にこそ結束の固いR&Dだ。
(あいつらならきっと大丈夫。頼む、哲平を支えてやってくれ)
交代で病院に行ってはただ廊下にいるだけの面々……初めから会えないことを覚悟で。万が一でも会えたら……その運を頼りに廊下で時間いっぱい待機する。花に会えれば元気を分けてやれるような気がして。
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