戦い

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  「花は?」 「変わらん」  オフィスでは毎日この会話が繰り返される。哲平は常務ではあるが、花の不在時はR&Dを預かる。  入院して9日。いつもオフィスは静かだ。花のポジションは翔が頑張っていた。時に、うわっ滑りになる会話。ちょっとしたことで小さな諍いが起きる。  なんとか明るく盛り上げようとする翔とリオを浜田が助ける。 「明日は俺が行くよ」  中山が静かに言う。仕事の谷間だ、みんな交代で花の病院へ。入院してすぐには大挙して押しかけた、血液検査を受けるために。この際だからドナー登録もして誰かの役に立ちたいと、部署の垣根も越えてそんな人たちが何人も出た。  適合検査を受けに来たのは職場の人間ばかりじゃない。堅気の振りをして三途川組からも何人も来た。優作はマブだちなのだから合うに決まっている、と思い込んで帰った。  なごみ亭からもほとんど全員が来た。 「マッチ……しないかな……」 「したらさ、花と血の通ったホントの兄弟になるってこと?」  野瀬の言葉を浜田が混ぜっ返す。 「花に蹴られるぞ」  その程度の冗談なら言うが、噂話が欲しくて押しかけて来る人間は徹底排除した。  たまに大滝が顔を出す。 「変わりないか?」  それは仕事のことなのか、花のことなのか。  有休を取って和田が来た。広岡も石尾も来た。みんな血液を提供して帰って行った。 「仕事は常に前倒し。花がいじけるほどに仕事を奪え。仕事の心配だけはさせたくない」  哲平の厳命が無くてもみんなは心得ている。そしてその前倒しの意味……またしても『万が一の場合』に備えてだ。いつ招集がかかるか分からない、悪い意味で。 「とにかく手を開けられる状態を作る! 全員は無理でも2人でも3人でも休暇が取れるように」  常務の仕事。R&Dをまとめる仕事。そして花の家に帰れば家族の要の代行に。生涯でこれほどの多忙を極めたことが無い。  風花は中学3年生。受験の嵐の真っただ中だ。哲平の苦労を少しでも軽くしようと、蓮が心も体も割いた。風花の三者面談には蓮が行く。店は休業した。 『日頃よりご愛顧をありがとうございます。店主都合により、当分の間お休みします』  その張り紙がなごみ食堂のシャッターに貼られている。 「ただいま!」  疲れているだろうに声を張る哲平。 「お帰りなさい! 食事とお風呂、どっち先にする?」 「風呂! 悪いな、ジェイ。腹減り過ぎてなごみ亭でちょっと食ってきた。お茶漬けみたいんでいいよ」  風呂から出ると茶漬けと緑色の液体が入ったグラスが置いてある。 「これって」 「野菜ジュース! 蓮にもいつも作ってるんだよ。見た目より美味しいから飲んでみて」  ジェイの言葉に、恐る恐る口をつける。 「いいじゃん、これ! 風花や和愛たちにも」 「大丈夫! ちゃんとみんな飲んでるよ!」  蓮が哲平のそばで胡坐をかく。 「今日花月が来たから弁当を持たせたよ」  あれから蓮とジェイは交代で病院に弁当を届けに行っている。 「様子は……抗がん剤がきついらしい。体力がもつかどうかという話が出ているそうだ」 「後5日! たった5日なんだけどなぁ……」  ぎりぎり結果が出るのに二週間かかるとして、後5日だ。 「きっと間に合うよ。少なくとも子どもたちの誰かがマッチする可能性は充分あるんだから」  今はそれに縋るしかないのだ。ただ祈りながら、じりじりと結果が出るのを待つ。  
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