戦い

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   移植の手術による花の体への反動はすさまじかった。  高熱はもとより、繰り返し訪れる吐き気に水さえ飲めない。服用する薬は幾度となく吐き出してしまい、そのたびに飲み直しとなる。やはり副作用の口内炎は口中に広がり、ただれて激しい痛みと出血を伴った。  面会はガラス越し。中はクリーンルーム、つまり『無菌室』となっている。その入り口は物質ではない。エアカーテンだ。  このエアカーテンは空調による高性能フィルターだ。空気は常に患者の頭側から足側に向かって流れていく。これによって埃、病原菌となる細菌やカビを取り除く。  大量の抗がん剤は幹細胞が生着するまでの間、体内の白血球をほとんど空にする。つまり免疫力がほぼ無い状態になるのだ。  骨髄適合で待つ苦しみを味わった皆は、今度は生着までの花の苦しみを見ることになる。  どうしても会いたい、という花の希望で真理恵と花月とまさなりさんがガラスのこちら側に立った。恐ろしいほどに痩せた花。堪えきれない涙が真理恵の頬を伝う。 「はなせる、うちに」  その一言を言うのに体力をそぎ落とす花。 「喋らないでいいから。父さんの心配することなんか何もないよ」  花月の声はまるで怒ったような口調だった。 「とう、さん、そうぞく、ぜんぶ花月にやって」  まさなりさんにとって衝撃の言葉だった。 「は、花、それを考えるのはまだ早いよ」 「やくそく、して……かづきに」  これ以上無理をさせたくない、だから逆らうのをやめた。『花の望む通りに』。 「分かった。分かったから……もう喋らないでおくれ」  一つの大きな仕事を終えたかのように深いため息をつく花。少し目を閉じる。真理恵の息が止まる、もう目が開かないのではないかと。倒れそうになる真理恵をがっしりと花月が抱き留めた。花の目が開く。 「ああ……神さま……」  感謝の言葉が思わず真理恵の口を突いて出た。 「マリエ……あい、してる」  口の痛みで喋れないはずの絞り出すような花の言葉。 「私も。私もよ、花くん。ずっと愛してる、ずっと」  そのまま眠った花のこけた頬を撫でたかった。手を握りたかった。かさかさの唇にキスをしたかった。  移植による副作用は止まらなかった。担当医師に真理恵が詰め寄る。 「本当に良くなるんでしょうか」 「真理恵さん。大丈夫ですよ。確かに今ご主人は参っている。でも彼の芯は強い! きっと勝ちますよ」  主治医の言葉が救いだった。    そしてついに、クリーンルームのエアカーテンが動きを止めた。花月の骨髄が生着したのだ。  長かった、移植からここまでの16日間。幹細胞の生着によって、ようやく体が落ち着きを取り戻し始める。 「助かる……今度こそ本当に助かるのよね?」  みんなで泣いて喜んだ。互いの体を抱き合い、手を取り合い。  誰もが歓喜に包まれる中、それでも花の体が完全に元に戻る日は遠い。  真理恵はやっと直に花に触れることが出来た。誰もががそっと体に触れる、花の生きている証を得るために。 「マリエ……お前の『負けるな』がずっと聞こえてたよ」 「うん、うん! ずっと祈ってた、負けるなって」 「ありがとう」  それだけ言って少し眠る。直にできる会話は短いけれど、真理恵にこの上ない幸福をもたらした。  次に目を覚ました時、まさなりさんとゆめさんがそばにいることに気づいた。 「マイボーイ、欲しいものは無いかい?」  点滴の痕で青くなっている花の手にそっと手を重ねる。もう打つ場所が無いと、今は首から点滴を受けている。 「ダディ? おねがい、してもいい?」  花が子ども返りしたような話し方をする。昔懐かしい微笑み。まさなりさんが髪の無い花の額をそっと撫でた。 「なんだい?」  まさなりさんは自分の頬が濡れていることに気がつかない。 「ぼうしが……欲しいんだ。ダディなら、いいのを選んで、くれるかなって」 「任せなさい。花に似合うものを用意するよ」 「うん。お願い」  そのまま眠った花のそばから離れるのが辛かった。 「マイボーイ。探してくるよ、君のために」  病室を出て、ゆめさんは自分が編むと言った。 「私、花のためにほとんど何もしていないわ……お願い、その帽子を私に作らせて」  まさなりさんは微笑んだ。 「君に頼むよ、ゆめさん。花の好きな色を使っておくれ」 「ええ! もちろんですとも!」  ゆめさんは病院に毛糸とガーゼを持ち来んだ。ラベンダー色の優しい色。直に吸水性のないカシミヤが触れては可哀そうだと、内側に柔らかいガーゼを敷き詰めて。もう冬だ、耳が隠れるほどに深い帽子を色違いでいくつもいくつも作った。  花にしてやれることがある……ゆめさんのささやかな幸せだった。  
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