春、来たり

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   今日はジェイが来た。外が穏やかだ。日も暖かい。 「外に出てみましょうか」  看護師の言葉に心が華やいだ。 「もう退院が決まってますからね、これからはなるべく動いてみましょう」  遅いくらいだ、と思う。花の負けん気が復活してくる。 「歩いて外に出ていいんですか?」  ジェイが余計なことを聞いた。 「そうですね……今日は車椅子にしましょうか。少し血圧が下がってますから」  ジェイが嬉々として、蓮が着せられた防寒用のコートを着せてくれた。 「自分でやれるよ!」 「だめ。病人は大人しくしていること。蓮ね、これ嫌がったんだよ、クマさんみたいになるから」 「俺だってヤだよ!」 「我がまま言っちゃだめだよ、風邪引いちゃいけないんだから」  確かに今風邪を引くと退院はずっと先に延びてしまう。仕方なく花はジェイの言葉に従った。  ゆめさんの作った帽子をかぶる。まだ髪は生えそろわない。花はスキンヘッドにするつもり満々だが、まだ寒いから、と真理恵が反対している。  天気が良かった。風もほど良く心地良く。  病院の庭は蓮と散歩した頃とそう変わりが無くて、車椅子を押しているジェイは一瞬眩暈を起こしそうなほどの既視感を覚えた。 「ジェイ……風が気持ちいいな」  車椅子の上で花が伸びをする。けれど今目の前で車椅子に座っている花は細くて、か弱く見えて、ジェイは急に恐ろしくなった。  思わず後ろから肩を抱きしめる。 「はなさん……はなさん、元気にならなくっちゃ……」  花はふっと息を漏らした。ジェイの腕を軽く叩く。 「なるよ、元気に。俺は強いんだから」  花の首筋の点滴の痕が痣になっているのが悲しい…… 「花さんに点滴なんか似合わないよ……」 「だよな。俺ももう飽き飽きしてる。でももうすぐこんな生活とおさらばだ。ジェイ、顔を見せてくれ」  ジェイは素直に花の前に回った。その顔をじっと花が見つめる。 「よし! お前は健康そのものだ。もし俺が原因で痩せてたりしたらぶっ飛ばしてやろうと思ったんだ」 「蓮に……食べさせられてたから。花に心配かけるなって」  花はニコッと笑った。 「心配要らないって分かった。お前さ、強くなったな。病院でお前が泣くとこ見なかった」 「俺、」  誤解されたくない、平気だったのか、と。 「だから俺は嬉しかったよ。悪いけどお前の心配してるどころじゃなかったからさ、お前が自分をコントロールしててくれて良かったって思う。お前が強くなってくれて本当に嬉しいんだ」  何度泣いたか。花のいないところで。けれどそのたびに蓮に言われた。 『花の前では泣くな。お前が元気な顔を見せれば花もきっと喜ぶから』 (蓮……ほんとだね。俺、花さんの前で頑張って良かった)  それから4日ほどは車椅子で。そして外も歩いて散歩に出るようになった。真理恵が一緒だったり、両親が一緒だったり。  穏やかであの嵐のような日々が嘘のようだ。真理恵は春らしい服装でときめく少女のように花と手を繋いだ。 「ね、明日はブラウスとカーディガンにしようかな」 「まだ早いよ。風邪ひくぞ」 「そっか、じゃあったかいカッコしてくる!」  これからは今まで以上に家族の健康管理が必要になる。誰かが風邪を引くことは花のリスクを増やすことに繋がるのだから。  両親と歩くと、ゆめさんが涙を花に見せまいと少し下がって歩く。花を失うのではないか、と恐れたあの日々。 「花、冷たい風が出て来たわ。中に戻りましょう」  花は素直に病院に引き返した。いつものように絵の前で立ち止まる。 「父さん。この絵、イギリスで描いた絵じゃなかった?」 「おお! よく覚えているね!」 「やっぱり! どっちかなって思ってたんだ、イギリスとベルギーと」 「この絵はね、」  あちこちの絵の前でそんな話が始まる。まさなりさんは驚いていた。どの絵もアトリエから出したことは無かった。描き溜っていた絵を寄贈したのだから花の目に留まっているとは知らなかった。 「時々ね、アトリエに入って絵を見てたよ」 「そうなのかい?」 「うん。最初の頃は……絵を破いてやろうか、なんて思ってた。まだ高校の頃だったかな……でもできなかったよ、絵がなにか話しかけてくるような気がしてさ。あのことがあってから……大学に行くようになって家に戻った時にはいつもアトリエを覗いてたんだ」 「知らなかったよ……」 「父さんのいないところで見てたから。個展もずい分見に行ったっけ。山梨で開いた個展では知らない女子大生に声をかけられた。宗田超愛さんの息子さんですか? って」  初めて聞く話だ。 「父さんの画風が変わった頃だよ……ほら、マリエと結婚するって報告した後。父さんを目指しているって言ってたけどどうなったかな……」  まさなりさんは感激のあまり言葉を失っていた。涙がほろほろとあふれ出す。 「父さん! やだなぁ、ハンカチ持ってる?」 「持って、持ってるよ、花……私は……嬉しい」  画家としての自分を否定していただろうに。その花が自分の絵を受け入れてくれていた。 「ごめん。素直に言えば良かったけど。父さんの絵、俺は好きだよ」  ゆめさんの涙が止まらなくなる。ハンカチを出して互いの目を拭う2人。愛の姿が美しい両親。花はそんな両親の元に生まれて良かったと思えた。  
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