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恋慕編
「なんで俺がこんなところで、あいつを待つんだ」
両手に顎を乗せて、触れ腐れている俺がいるのは、超高級ホテルの16階。
朝一で天王寺に拉致された俺は、有無を言わせず用事が済むまでここで待つようにだけ言われた。
話がついたら呼びに来ると言われ、尚政とともにどこかへ行ってしまった天王寺だったが、その詳細は不明。
どうせろくなことじゃない、それが分かるだけに俺のイライラは募るばかり。
煌びやかなフロアには、特別面白そうなものもなく、俺はふと立ち上がった。視線の先に綺麗な庭園が見えたからだ。ホテルのベランダ部分とは思えないほど広く綺麗に整えられた庭。
俺は16階から動かなければいいだろうと、その庭に引き寄せられるように歩く。
透明な少し重たい扉を開けば、草木の香りや花の鮮やかな色が視界いっぱいに広がった。
「綺麗だな」
庭に出た俺は、まるで空中庭園を思わせるその場所に感動を覚える。
噴水やベンチまで設置してあり、ここがホテルであることを忘れてしまうほどだった。
見惚れるように庭を散策していた俺は、背後からやってくる何かに全く気付かず、気がついた時には首に腕が巻き付いて、口を塞がれ、茂みに引きずり込まれていた。
「んんっ――ッ」
「しー、静かにしろ」
俺を取り押さえていたのは、若い男だった。髪は黄色の深い金髪で、瞳の色が灰色、少し堀の深い綺麗な顔立ちで外国人だとはすぐにわかったが、完全に初対面なのは、間違いない。
何が何だか分からなくて暴れようとした俺は、グッっと身体を取り押さえられて動きを封じられてしまった。
「大人しくしていろ」
男は強くそう言うと、周りを警戒するように視線を巡らせた。
しばらくすると、黒ずくめのヤバそうな男達数人が庭に姿を現す。男たちは何かを探すように辺りを見回しながら、耳につけている無線で誰かと連絡をとっているようにも見えた。
「どこへ行ったんだ」
「ホテルの出入り口は封鎖してありますので、まだ中にいるはずなのですが」
「人ごみにでも紛れたか……」
「では、劇場かカジノ場でしょうか」
「そうだな、まだそこは探していないな」
「D班は、直ちに劇場へ向かえ」
誰かに指示を送った男たちは、足早に庭を立ち去るとどこかへ消えていった。
庭に静けさが戻り、俺はようやく男から解放された。
「しつこいよな」
どこか呆れたように吐き捨てた台詞に、俺は追われているのは確実にこいつだと確信した。
こいつ絶対ヤバい奴だと思った俺は、どうしようかと身構える。下手に騒いだら殺されるかもなんて考えたら、動けなくなったんだって。
「少しくらい遊ばせろっての」
悪態をついた男は、片膝を立てて俺に視線を向けてきた。切れ長のその鋭い視線は殺し屋みたいで、俺はますます動けなくなる。
「お前、名前は?」
「姫木 陸です」
緊張のあまり上擦った声が出てしまったが、男は一瞬変な顔をしてみせ、なぜか優しい表情へと変わった。
「陸でいいのか?」
そう問われ、俺は素直にそうだと答えると、男は俺に顔を近づけてきた。
「では陸、俺を誘拐しろ」
「……ぇ? ええッ」
「これは命令だ」
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