Day 1 : 1

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「さっ、必要なとこだけ案内するわ」  先輩が胡座を解いて立ちあがり、場の空気を変えた。「でも、俺らもこの家、全部使ってるわけやないねん。伯母ちゃんらの荷物置き場になってる部屋もあるしな。イチが知っとくべきなのは、トイレ、風呂、キッチン、応接間、俺らの寝室……は知らんでもええか。いや、一応教えとこ。夜中になんかあったらいかんしな。あ、イチはこの部屋で寝る。布団はあとで運ぶ。あっ」  ガラス戸に手をかけようとした先輩がいきなり振り返り、あとについて部屋を出るつもりでいた僕と激突しそうになった。 「な、なんですか、突然」 「あのな、もうすぐうちに道具屋が来るんよ」 「道具屋……?」 「そう。残しておきたいものと、売れるものは売って現金にしてって選別をしにな。その時に、あれ、イチのために取っといてやろか?」  先輩が上を差した指の先をたどってみれば、そこには鶴だか鳳凰だかが羽ばたく木彫りの欄間があった。 「は、なんで……」 「いや、さっきからイチロー、ずっとあれ見てたから、気に入ったんかと思って。解体の時にはずして、送ったろかな、と」 「はあ? あんなもの、いや、あれは、その、すばらしい、んでしょうね、たぶん、いや、きっとそうなんでしょう。でも、ワンルームにあんなもんあって、どうするんですか。どこ置くんですか。座るとこ、なくなります」 「いや、ほら、お前が将来、家を建てた時のために、とか」 「先輩……」 「ん……?」 「僕、今ここで泣いていいですか」 「ああー、あかんあかん。泣くな、イチロー、泣くな」  先輩が僕の肩をがしっと抱いて、ゆさゆさと揺さぶりはじめた。「悪かった。俺が悪かった。すまんすまん。許せ。いい子やから、イチはいい子。な、だから泣くな」  イタリアンレストランの皿洗いの分際では、一生かかっても関西圏に建てられそうにない幻の家とは別の理由で、僕は本当に泣きそうになっていた。  座卓の向こうから恵美さんのけたけたと笑う声が聞こえた。
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