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先輩が手のひらを向けて示したピアノの横の小さなコーヒーテーブルには、3冊の楽譜が、さながらブティックのディスプレイのように扇型に広げて並べられていた。フォーレが1冊、ブラームスが2冊。どれも連弾用だ。
そのうちのブラームスの1冊を手に取り、テーブルの表面が見えた途端、僕はまた目をむき、口をあんぐり開けた。
「うお、これ……、螺鈿、っていうんでしたっけ」
その直径50センチほどのテーブルの天板には、くすんだクリーム色の繊細な蔓草の模様がびっしりと同心円で描かれていた。一見したところ絵に見えるが、そうでないことはところどころ細工が剥がれて黒い溝だけになっている箇所があることでわかる。
「いや、象牙らしい。象嵌って言ってたかな。螺鈿は、こっち」
先輩は、どっしりと大きなソファと、なぜかそれだけやけに和風の座卓のあいだを抜け、フレンチドア近くに置かれたもうひとつのコーヒーテーブルを軽く叩いた。
巨大ソファと、向かい側に置かれたふたつのひとり掛けソファには、これもかなり黄ばんだ、おそらくもとは白かっただろう分厚い木綿のカバーがかかっている。
僕も楽譜を持ったまま近づいた。
テーブルを見て、息を呑んだ。大きさや高さは象嵌のものと同じくらいだが、対ではない。こちらは豪華絢爛。玉虫色の小花がところ狭しと散りばめられている。年代的にも、ひとつめよりも新しそうに見えた。
「先輩の家って、いろんなものがいっぱいあるんですね」
素直な感想しか出ない。
「うん。ただ、最新式の便利なものがないだけ。だから困る。さて、せっかくそれを持ったんやから、ブラームスからいくか」
僕の手にある楽譜はブラームスのハンガリー舞曲集。
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