Day 1 : 1

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「あのお、お祖母さん、施設にいらっしゃるって、お母さんから聞いたんですけど……」  先輩が、すっ、と真顔になった。  恵美さんも座り直して湯呑みを両手で包んだ。「あ、あ、すいません。あの、僕、関係ないですよね。べつに知りたいわけじゃ……」 「いや……、いい。ばあちゃんな、もう俺のこと、わからへんねん」 「え……、それって……」 「まあ、俺のことだけやなくて、誰のこともわからへんねんけど……。この前な、こっちに引っ越してきてすぐ、エミちゃんを紹介しようと思って、会いにいった。その時は、どうやら俺は医者らしかった」 「先生、先生って言うてはったね。かわいらしいお顔でにこにこ笑って」 「今日は先生、きれいな看護婦さんとご一緒、って、そこだけピンポイントで正しいから、笑っていいもんかどうか」  恵美さんも、困った困った、とうなずいた。 「まあ、長いこと顔見せてなかったし、忘れられて当然といえば当然なんやろうけど」  先輩は遠くを見る目で、ふううっ、と長いため息をついた。「昔は俺がここへ来てピアノ弾いたら、いっつもすんごい喜んでくれた。何回も何回も、おんなじ曲、弾かされた。じいちゃんが、もういいだろう、って言うても、もう一回だけ、って……。俊くんがピアニストになって松江でコンサートしてくれたら、こおんな、おっきーい花束、持って……」  由恵さんの言葉を思い出した。 『みんなが笑顔になるのが、どんな遊びより楽しかったんでしょう』  東俊哉は子どもの頃から、周囲の人たちを喜ばせるためにピアノを弾いていた。その気持ちはニューヨークへ行くまで変わらなかった。その『熱』に、聴く人のアンテナが感応した。そうやって先輩のファンになった最初の人が祖母だったのだろう。  今、祖母は孫のことがわからない。孫は思う存分、ピアノを弾くことができない。これでよかったなんて、僕は口が裂けても言えない。
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