腕、貸しつかまつる

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「ほほお、面白いのお」  うむ、と(うなず)こうとしたところに、娘が割り込んだ。 「他にも、お父は荒事(あらごと)も片づけるよ。街の用心棒なんだ」  余計なことを、と思うものの、娘は得意気だ。 「お父は天地無双流の免許皆伝なんだ。とても強いんだよ」 「ほおほお。豪傑には見えんのに、それはそれは」  老婆の目に疑いの色はない。ただただ素直に感心しているのであった。 「ところで、この名前はなんだ」  幟の横から、問い掛けがなされた。低いが女の声だ。  痛いところに触れられ、伊左衛門は身を固くした。「腕、貸しつかまつる」のあとに続くのは「さえ」の文字。 「娘の名が『さえ』でな。俺は伊左衛門だ。『い』の字を取れば『さえもん』。『さえ』が同じとなるわけだ。娘にも俺にも仕事が来やすいように、と工夫したつもりだ」  苦しい言い訳だった。用心棒まがいの仕事をするならば、「さえ」の名は避けるのが賢明なのだ。なにしろ、すでに同じ名の凄腕用心棒がいるのだから。  (さえ)。  野盗どもには忌まわしい名だ。豪商にとっては頼もしい名でもある。  冴は、高価な荷を遠方に運ぶ際、護衛として大店(おおだな)に雇われる。弓、槍、刀。すべてを使いこなす武芸の達人。  冴の守る荷を襲おうものなら、確実に死ぬ。ただ命を落とすだけでなく、手足はちぎれ、腰と胸は輪切りにされ、頭は西瓜のように割られる。命知らずの荒くれですら、目をそむける(かばね)を天にさらすこととなる。  盗賊どもは、冴が守る荷だと知れば、決して手を出さないのであった。  冬を前に、知る者が一人もいない街へと流れついた伊左衛門が、幟に「さえ」の名を記したのは、苦肉の策だった。はったりとも言える。音に聞こえた名を示せば、人目を引くと考えたのだ。  妻を病で亡くし、男手一つで娘を育てねばならなかった。なんとしても金を()、父と娘で冬を越さねばならなかった。  今では、街の人にしじゅうかまわれ、「さえ」の名に頼らずに済むが、新たに幟をあつらえるのは金が惜しい。  今、幟の(かたわ)らに立つ女が冴ならば、どんな目にあわされるか、わかったものではない。  荷の護衛は冴の表向きの仕事。裏では、金さえ積めば、いかなる厄介事(やっかいごと)、そう、人殺しでも請け負うともっぱらの噂だ。  非情を持って鳴る冴が、勝手に名を使われたと知れば、なにを思うか。  どうか違って欲しい。女が冴ではあらぬよう、と祈った伊左衛門の願いは、老婆の声が砕いた。 「ほうほう、冴殿と同じ名前だの」  冷や水が体の芯を通りぬけたかのように、伊左衛門はふるえた。  やはりこの女、冴だったのか。  冴を視界の隅に入れると、冴のつまんだ団子の串が、伊左衛門の体の中心に据えられていた。  先ほどのふるえは、冴が串に念をのせて刺したのだ。  直ちに詫びを入れねば、と焦るものの、圧が口を凍らせてしまう。伊左衛門が苦い唾を飲んでいると、折よく仕事が舞いこんだ。
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