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「せれな。君はまだ月にいるのかい?」
『いるよ』
僕の独り言に、誰かが答えた。
空に浮かぶ地球が、太陽の光を受けて輝く。ドームの向こうの地面に地球の光が差した。
その、場所に。
まだ十歳をわずかに過ぎた年頃の少女がいた。
レモンイエローのワンピースを着て、少し茶色っぽい髪をなびかせて。ほっそりはしているけれど、傷一つない手足。まさか……でも、確かに、彼女は。
「……せれな!」
僕は彼女の名を呼んだ。
『久しぶりだね、ノブくん』
あの頃とは見違えるように健康で元気そうで、だけどあの頃と全く変わらない笑顔で。彼女は僕に微笑みかける。
「なんで……君が、ここに……?」
『言ったでしょ。わたしは月に住んでるって』
彼女は答えた。
『ノブくんがここに来てるから、会いに来たの。ほら、みんな、この人がノブくんだよ。ご挨拶して』
見ると、せれなの足元には真っ白いウサギが何匹もいる。ドームの外に。空気なんてほとんどない場所に。ウサギ達は僕を見て、ぴょこりと頭を下げた。
『心配しないでね、ノブくん。わたし達は、誰が来たってここでちゃんと暮らして行けるわ。……わたし達、隠れるのは得意なのよ』
ねー、とウサギ達と笑い合うせれなを見ていると、何だか涙がこぼれそうになる。僕はそれをなんとかこらえた。せれなの前では涙なんて見せたくない。
「……せれな」
その代わりに、僕は尋ねた。
「ここの暮らしは、楽しい?」
『楽しいよ』
せれなは即答した。
『ここでは、地球から来た人も宇宙から来た人もいて色んな人と友達になれるし、どこまでも走り回ることも出来るし、うんと高く跳べたりもするの。とっても楽しい』
ああ、それは楽しいよね。人生の半分以上を病室で過ごしたせれなにとって、望んでも得られなかったものばかりだから。
『ノブくんにも遊びに来てもらいたいけど……今は無理ね』
「そうだね」
今はまだ、せれな達のところには行けない。行けるのは、まだまだずっと先のことだろう。
「でもね、せれな。例え会えなくても、僕はせれなをずっと友達だと思ってるから。せれなが今、楽しそうに暮らしているのが、僕はとても嬉しいよ」
『うん。ありがと』
「今は行けないけど……いつか必ず、また会いに行くから」
僕の言葉を聞いて。
せれなは、煌めくような笑顔になった。
月の輝きより、地球の輝きより、太陽の輝きよりも、それは眩しい笑顔だった。
『忘れないで、ノブくん。顔を合わせることは出来なくても、わたし達はいつだってここにいるのよ』
気がつくと、ドームの外にはせれなの姿もウサギ達の姿もなかった。幻だったのだろうか? 常識で考えればそうなんだろうが、僕にはそうは思えなかった。
と、僕のつけている腕時計型の携帯端末が鳴り始めた。植物育成ユニットからの通知だ。僕は慌ててユニットへ向かった。
「……発芽してる!」
芽が出ている。ここへ来てから、何をやっても変化がなかったユニット内の植物が。
植物が育てられれば、食料や燃料を作ることだって出来る。これは、まさしく地球人が月へ移民することへの芽生えでもあった。
それは僕には、せれな達月の住人が、地球人がここに住むのを受け入れてくれた証のように思えた。さっき我慢していた涙が、こらえきれずに流れ始めた。生命力を誇示するような新芽を前に、僕はひたすら泣き続けていた。
僕は今も月に住んでいる。
そして、きっと、彼女達も。
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