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お友達価格
直哉が所長を務めている「高梨直哉司法書士事務所」は晃彦の会社から2駅のところにあった。事務所のドアをノックすると、直哉がドアから顔を出した。
「散らかっているけど、入れよ」
直哉に促されて晃彦は中へと足を踏み入れた。書棚には民法や商法、不動産登記法などの書籍、最高裁の判例集などが所狭しと並べられている。応接スペースのテーブルを挟んで2人が向かい合ったとき、直哉が口を開いた。
「で、どうしたんだ?だいぶ困ったような様子だったが」
直哉に問いかけられたところで晃彦は顔をしかめた。困り果てたような口調で淡々と語られていく顛末を聞きながら直哉は無言でメモを取っていく。晃彦が語り終わると直哉は暫くメモに目を通し、会員証にレンタルのDVD5本、督促状、これらの現物をそれぞれ手に取った。壁掛け時計がチクタクと時を刻む音だけが暫く響いたところで直哉の口からため息が漏れた。
「お前さぁ……そういうところホントに昔から変わってないよな。いい加減直せよ」
呆れ返ったような声でそう告げる直哉に対し、晃彦は返す言葉もない。
「小さな頃からずっとだよな?小学生のときに貸した『鉄血高校ドッジボール』、まだ返してくれてないだろ?」
「あ、そういえば……」
晃彦はふと思い出した。返さないと返さないとと思いながらも持っていくのを忘れ、いつしか借りていた事実そのものを忘れてしまっていた。
「もう昔のことだし別にもう返してくれなくていいけどさ、そういうところ、ちゃんと直さないと後々とんでもないしっぺ返しが来るぞ!?」
「すまん」
「俺だってただのお客さんにはこんなこと言わねぇよ。でもお前は友達だからあえて言う。今はスマートフォンだってある訳だからさ、何かを返すリミットの日にはアラームをかけておいて要件をメモしておくとか、やり方は色々あるはずだ。二の轍を踏まないように気をつけろよ。ホントに」
晃彦はただただ直哉の言葉を噛み締めるほかなかった。
「で、本題だ。いくらまでなら用意できる?」
「いくらまで、とは?」
「お前まさか、この件相手方にビタ一文払わないで解決しようと思ってないだろうな?」
「いや、さすがにそれは思ってないけど」
「それを聞いて安心した。じゃあ教えてくれ。相手方にいくらまでなら払う準備がある?」
正直なところ、極力少ない額に越したことはない。婚約指輪を買うお金だけではなく、これからの生活に何かと金がかかることはたやすく想像できる。婚約指輪の代金を払った後でも少しでも余裕は残しておきたい。晃彦はそのような考えを巡りに巡らせつつ、直哉の顔を直視した。
「10万円くらいまでなら、なんとか……」
「わかった。早速明日そのレンタルビデオ店に向かおうと思うんだが、日程は空いているか?」
「何とかなると思う」
「よし決まりだ。じゃあ明日、交渉に向かうぞ。それとな……」
「それと、どうした?」
「今回の報酬だけどな、『お友達価格』にしておくよ」
「……割り引いてくれるということか?」
晃彦が問い返すと、直哉は即座に首を横に振った。
「何言ってるんだよ。お友達価格っていうのはな、『お友達を応援する価格』ってことだ。応援料込みの割増価格に決まってるだろ」
「そんな話、今まで聞いたことないぞ」
「それを言うなら時代の最先端を行っていると言え。大丈夫だ。最善は尽くす」
直哉はそう言い切った。
ーーとにかく、直哉を信じるしかない。
晃彦は自分自身にそう言い聞かせた。
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