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16
皆と遊んでから来るのかと訊くと、すぐに行きたいけど、と返信がきて、その、自分の方が優先されている感じに胸が高鳴った。
ーースマホのバッテリーが死ぬとか言って帰るか?
言い訳として苦しすぎるかと思ったけれど、案外それで黒田を誤魔化せていた。黒田の方も、あまりしつこくして知希に煙たがられたくないのかもしれない。
知希は何が食べたいんだろう。
どうせなら好きなものを作ってやりたい。
食材はまだ家にあるけれどスーパーに寄る事にした。
学校をバラバラに出るから、どうせどこかで待ち合わせをしないといけない。
高橋と一緒に学校を出て、家に帰るふりをして高橋と別れた。マンションの前を通り過ぎ、高橋と鉢合わせしないように回り道でスーパーに向かった。
遊びには行かなくても、教室で喋ったりしてそれなりに遅くなるんだろうなと思っていた。
涼しい店内で待った方がいいと解ってはいたけれど、気が急いて中になんかいられなかった。
学校からのルートは二通り。暑いし、坂は登らないだろうと思っていた。
でも。
頬を紅潮させた知希が、上り坂のあるルートの方から自転車を漕いでやって来た。
「中で、待っててくれてよかったのに、暑いし」
透明の汗が、頬を、顎を伝って落ちる。
はぁはぁと息を切らせて、大きな瞳が俺を見上げてくる。
「お前こそ、そんな大急ぎじゃなくて大丈夫だったのに。汗びっしょりじゃん」
何、その可愛い顔。
そう思いながら、タオルで流れる汗を拭いてやった。
知希は嫌がりもせずされるままになっている。
とくとくと、忙しなく心臓が血液を運ぶ。
自転車を停めた知希に晩飯代はと訊かれて、そういえば何も考えてなかったなと思った。
正直なところ、知希がうちに来る段階でこっちが払いたいくらいだ。
まあでも、こいつの性格からして貰わない訳にもいかないんだろうな。
小さい顔をタオルで拭きながら考える。
「弁当代、いくら貰ってんの?」
「500円」
そっか、そっか。
「じゃ、300円でいいよ」
それだけあれば充分だ。
まだ心配げな顔をしている知希に、
「300円、ナメんなよ」
と冗談めかして言ってやると、大きな目を更に丸くして俺を見た。
うわっ、やば…
可愛い
じわりと体温が上がってくる。
スーパー店内の、冷えた空気を吸い込んだ。
知希が肉がいいと言うから、家にある食材を思い浮かべながら何を作るか考える。
そう言えば小5の頃、知希はピーマンが嫌いだったな。
訊いてみると「今は食えるよ」と必死な様子で言ってくるのも可愛くて、つい「偉いね」なんて言ってしまった。
「はは、お兄ちゃんぽいね、その言い方」
その言葉が、胸に突き刺さった。
すっと背筋が冷える。
「…もう一歩で、お兄ちゃんだったからな」
お兄ちゃん、か…。
自分でも驚く程ショックを受けていた。
知希は嬉しそうにしながら俺に付いてきてる。
駄目だ、気持ちを切り替えないと。
メニューを提案すると、知希は「うわ、迷う」と言いながら見上げてくる。
俺を兄だと思うから、こんなにも無邪気な様子なのかな。
まあ、それはそれでいいか、と思い直した。
なんせ学校にいる時よりも距離も近くて、やや幼く見える程に無防備に笑う。
友人たちには少しの嘘をついているから、多少気を張っているんだろうと思われた。
どう思われてるか、なんて贅沢言ってる場合じゃない、か。
「じゃ、ロコモコお願いします」
手を合わせた「お願いポーズ」で言ってくる知希の破壊力がやばい。
こんなん絶対黒田には見せたくない。
そう思いながら野菜売り場を歩く。
相変わらず、知希は後ろを付いてきてる。
ロコモコにはトマト、のってたよな。
今朝ちょうどトマトは食い切ったところだ。
あ、でも。
「トマトは平気だったよな?」
ちょっと覚えてない。
「うん、好き」
不意打ちのその言葉に、息が止まった。
トマトが「好き」なんだと、もちろん理解してる。
でも自分に向けてそう言われると、心が波打った。
ヤバい。すげぇ動揺してる。
平静を装いながら挽き肉を選んでいると、知希がぐっと近付いてきた。
腕が振れる寸前で、ほのかに知希の体温を感じる。
ほんとに兄弟の距離だな。
無神経なほど、無邪気で無防備。
ごく僅かに腹が立った。
知希からすれば完全に理不尽に向けられた感情だ。
悪いなとは思うけれど、気持ちがささくれ立ってる。
慰めてくれよ。
「コーンスープは?好き?」
そういう意味じゃなくても、お前の口からその言葉が聞きたい。
「あ、うん。好き」
たったそれだけの台詞で、心が凪いだ。
知希の温かい手のひらに包まれたような気持ちになった。
やっすいな、俺。
そう思うと可笑しかった。
可笑しくて、身体から力が抜けた。
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