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ホームルームが終わって、カバンを持って立ち上がったものの、どうしたらいいか分からなくて話しかけてくる友人たちの言葉に生返事をしていると、桐人がこっちに歩いてきた。
長身をスッと屈める。
「引越した?」
耳元で、低く問われた。
声が耳に吹き込まれて鼓動が跳ねた。
ぶるぶると首を振って応える。
桐人は、ふーんと言うような顔でオレを見て、
「じゃ、また」
と言って他の友人たちと教室を出て行ってしまった。
「なになに知希ー。遠野に何言われたんだよ」
「…別に、たいした事じゃ…」
「でもさー、知希と遠野が友達ってやっぱ不思議っていうか」
そう邦貴が言う。
「なー」
みんなの言う事はよく分かる。
オレと桐人は種族が違う。あんな事でもなければ親しくなる事はなかったと思う。
小中学校は校区も違かったし。
そういえば桐人、いつこっちに戻って来たんだろ。
中学から?それとも高校?
訊きたい事がいっぱいある。
あ、そうだ!連絡先!
訊けなかった…。
少し前に、桐人たちが出て行った教室の出入口を見ながら唇を噛んだ。
邦貴たちに誘われたけれど、気になる事が多すぎて遊びに行っても楽しめなさそうだから帰る事にした。邦貴が「えー?!」とごねたけど振り切った。
耳の奥にまだ桐人の声が残っていた。
自転車に乗って、一番近いルートを辿る。最後の角を曲がるとアパートが見えた。
あれ?誰かいる。うちの制服。紺のブレザー。
あ!
「桐人!なんでっ」
あわあわしながら自転車を降りる。
「連絡先、交換しようと思って」
「そっそれでわざわざ?!」
見上げると桐人が微妙な顔になった。
「嫌だった?」
「え?!いや、そんな事、全然なくて。オレもどうしようってずっと考えてたから、ってゆーか、よく覚えてたね、うち」
また何かオレ、言い訳してる。桐人といるとなぜかこんな感じになる。
誤解されたくなくて、気持ちばっかり焦る。
チラリと見上げると桐人がふわっと笑った。
とくんと心臓が鳴る。
「何回も来たから覚えてるよ。それより知希も連絡先どうしようって思ってた?」
少し首をかしげて、桐人がオレに問う。
「う、うんっ」
微笑まれて、なんでオレはドキドキしてるんだろう。
連絡先の事、桐人もおんなじように考えてて嬉しかったから?
…だと思う、たぶん…。
でもなんか、よく分かんない。
「あ、あの、桐人。せっかくだし寄ってく?うち」
もうちょっと、話しがしたい。
「いいの?」
桐人のメガネがキラリと反射した。
「うん、あの、何もないけど」
「はは、そんなんいいよ。もうちょっと、知希と話しがしたい」
息が止まった。
思わず桐人を凝視してしまった。
「ん?どうした?知希」
「いや、あの…嬉しくってさ。オレも…桐人ともっと話したいって思ってたから」
言ってしまってから、やたら恥ずかしくなった。頬が熱い。
でもちゃんと言わないと、と思った。小さい頃からずっと母に言われてる。「思ってる事は言わないと分かんないのよ」って。
照れかくしにガチャガチャと自転車を停めて、古いアパートの階段を昇った。2人分の足音がカンカンと鳴る。
桐人は「懐かしいなー」とか言いながら付いてくる。
家の鍵を開けながら、朝出てきた時の部屋の状態を思い出す。
…たぶん大丈夫、だったはず。
ドアを開けて中に入りながら「散らかってるけど」とお約束のセリフを言って、桐人を招き入れた。
「お邪魔しまーす。てかマジで懐かしいな。あんまし変わってない気がする」
2DKの狭いアパート。
家に入った桐人が目を細めながら中を見渡していて、ちょっと恥ずかしい。
「なんか、模様替えとかしないんだよね、面倒で」
「いいんじゃん?それはそれで」
そう言って桐人がオレに向かって笑うから、嬉しいのに言葉に詰まる。5年分を早く埋めたくて頭がぐるぐるする。
それから念願の連絡先を交換して、他愛のない話をした。
マップを開いて桐人の今の家を教えてもらった。
「近いじゃん。やった!今度遊び行っていい?」
「いいよ。うちも何もないけど」
「そーゆーとこ、マネしなくていいから」
喋っていると、5年前を思い出す。
それぞれの親に連れられて、初めて一緒に食事をした時の事。
桐人のお父さんがゲームを買ってくれて「2人で遊びなさい」と言われて、桐人の家で2人で留守番をした事。
「オレさ、普段家ではゲームは1日2時間までって決まってて。でも桐人とだったらその制限なしで遊んでよかったから超楽しみだったんだよねー」
「なに?俺をダシにしてたって事?」
ちらりと流し見られて、また心臓が跳ねた。
「ちっ違うよっ。そーゆー意味じゃなくてさっ」
思わず覗き込んだメガネの奥の瞳が一瞬見開かれて、それから笑みを刻んだ。
その一連の様子が、まるでスローモーションのように見えた。
「ウソウソ、大丈夫。分かってるから。それに俺も楽しかったし、あの頃」
「ほんと…?」
ほわっと身体の力が抜けた。
楽しかったのは自分だけじゃなかったんだと思って嬉しくなった。
「あ、そろそろ帰んねーと」
「え、もう?」
時計を見て言った桐人を名残惜しい気持ちで見ると、オレを見返した桐人がまたふっと笑った。
「帰って晩飯作んねーと。うちも親、再婚してないから」
「桐人、料理できんの?」
「まあ、それなりに。必要に駆られてってやつだけど、結構好きかな」
「へぇ…」
知らなかった、桐人の事。
一つ知った、桐人の事。
「今度食べに来る?大したものは作れないけど」
「え、いいの?」
「いいよ。いつでも」
立ち上がりながらそう言った桐人を慌てて追いかけた。
「ここでいいよ。またな、知希」
玄関ドアを開けて桐人が言った。夕方の傾いた陽の光が、桐人のメガネに反射した。
「うん、また」
ドアを押さえたまま、階段を降りていく桐人を見送った。
自転車に乗って去っていく広くなった背中。
「速っ」
あっという間に見えなくなってしまった。
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