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猛牛巴御前 第二幕
第二幕 いてまえ巴御前 (通称 江夏の二十一球)
〇 巴御前の陣屋(夕方)
・階段状の観覧席が五列並び、左右に源氏の白旗が立っている。
・天井からはくす玉が下がっている
・巴御前と藤原球納言が観覧席前の床几に座っている。
巴御前は白拍子姿に陣羽織、球納言は狩衣姿。
背後には獅子丸、若鷹丸が控えている。
巴御前「さても、藤原球納言様には遠路はるばるこの河内の陣屋にお越しくださり、かたじけのうございます」
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球納言「これも球納言のお役目でござるわいなあ」
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巴御前「はて、大納言、少納言は聞き及んでおりますが、球納言とは初耳、いったい、いかなる官職にてございますかな」
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球納言「不審に思うもごもっとも。近頃、法皇様におかれましては源氏平家の台頭に心中穏やかならず。貴族と雖も万一の場合に備え、日頃の鍛錬と運動に励めとの思召しあり。あらたに令外官として球納言を設け、民もこぞって運動を盛んにせんとのご所存なり。このたび、麿がこの大役を仰せつかったところである。さらに、法皇様には、式部省を蹴球部省と改名し、野球ばかりでなく、球を蹴り合う蹴鞠にも力の入れようであらせらる」
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巴御前「官省あげての応援とは、法皇様なればこそのお計らい。球納言様にはよろしくお願いいたします」
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球納言「万事お任せあれ。ときに、野球七番勝負ここまでの経過は如何かな」
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獅子丸「野球日本一決定戦七番勝負のこれまでは、互いに譲らず三勝三敗。第一戦、二戦と、源氏方、近鉄猛牛軍団が平家方の広島鯉軍団を打ち破りましてございます。されど敵もさるもの引っ掻くもの、三、四、五戦は惜しい負けを致しました」
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若鷹丸「昨日、大阪球場に場所を移して迎えた第六戦、近鉄猛牛軍団の闘将西本監督が、中二日にて井本投手を先発に送り込み、鯉軍団の衣笠、山本、水沼をバッタバッタとなぎ倒して、大勝利を挙げましてございます」
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球納言「第七戦の攻防はすでに始まっておるようだが」
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獅子丸「先ほど注進が伝えるところによれば、先発は広島が山根、近鉄は鈴木啓二を立て火ぶたが切って落とされました様子。広島に二点先制されるも、近鉄猛牛軍団の平野が同点本塁打を放って二対二の同点に追い付きました」
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若鷹丸「しかるのち、広島に水沼の二点本塁打で勝ち越されたものの、すぐさま近鉄猛牛軍団も羽田の巧打で一点を返し、ただいま七回を終わって三対四と一点差でございます」
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球納言「ううむ、一点勝ち越されておるとは猛牛軍団の劣勢じゃな。しかも終盤か。これはいかん、なんとか猛牛軍団の反撃が見たいものだ」
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巴御前「球納言様には、源氏方、近鉄猛牛軍団を贔屓し応援くださるご様子」
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(球納言はとたんに砕けた口調になる)
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球納言「そりゃあそうでんがな、ここで近鉄猛牛軍団に勝ってもらわなあきまへん。広島にはもう一人の球納言が応援にいっとるでな、お互い出世が掛かっとるんや。球納言の位階は従三位下でっせ、知っとるかいな公卿、殿上人でおます。そやさかい、源氏方の近鉄が勝てば、わいは大納言、右大臣も夢やない。けどな、平家方の広島が勝ってみいや、法皇様の逆鱗に触れ、下手したらこっちは島流しや。そうなったらどないすんねん」
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巴御前「ははっ、球納言様のためにもここは必ずや形勢を逆転し勝利を掴んで・・・」
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球納言「巴御前、いや、巴はん、ここは河内や、あんたなあ、木曽の生まれか知らんが、ここが勝負の分かれ目や、郷に入っては郷に従え、大坂弁でいったれ」
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巴御前「そうでっか、ほな、いきまっせ。なあに、一点負けとっても勝負はここからや。見てなはれ、自慢の『いてまえ打線』が爆発しよるで。広島鯉軍団、しばいたろか」
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・そこへ花道より伝令役の『注進』が駆け込んでくる。
注進一「ご注進、ご注進」
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獅子丸「おおう、途中経過の報告でござる」
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若鷹丸「知らせが聞きたい、近こう寄れ」
(注進駆け寄る)
注進一「野球日本一決定戦、その第七戦は終盤を迎え、依然、三対四の一点差。ついにそのまま九回裏へと突入してございます。敵の広島鯉軍団、抑えの投手は江夏豊は、すでに七回より登板し疲労困憊ありありと見えまする。我が近鉄の猛牛軍団は、九回、いてまえ打線の先頭打者、羽田が中前安打を放ったり。殊勲の羽田に代わって藤瀬を代走を送りました」
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巴御前「おお、やったあ、先ずは先頭打者が出塁したか。藤瀬は韋駄天、足は早いで、盗塁したるわ」
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注進一「続く打者は頼みの助っ人、阿乗度(アーノルド)、大上段に振りかぶってバットを構える。江夏の投じた四球目、ここで藤瀬が一目散に二塁を目指し、慌てた水沼捕手が大暴投、球は点々外野まで。藤瀬は俊足飛ばして三塁へと駆け込んだり」
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巴御前「無死三塁やないか、こりゃあ絶好の機会や、まずは同点、いいや、一気に逆転や。勝った、勝ったで」
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注進一「なおも猛攻は続き、阿乗度は四球を選んで一塁へ、代走には吹石が送られにけり。ここで平野が打席に立てば、すかさず代走吹石、二塁を陥れ。これには敵はおろおろ、江夏はよれよれ、強打者平野との勝負を避けて敬遠し、我が軍がすべての塁を奪い取って満塁となり申しました」
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巴御前「聞いたかいな球納言殿、近鉄猛牛軍団、九回裏の反撃を。無死満塁でっせ。三塁走者が還れば同点、二塁走者が還れば逆転さよなら勝ちや。広島赤兜軍団、今度こそ壊滅させたるで」
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球納言「やった、ええで、ええで。こっちの出世が掛かっとるわい。これで左大臣も右大臣もわしのもんや。いてまえ、やったれや」
・巴御前、獅子丸より赤い鯉のぼりを受け取る。
巴御前「広島東洋鯉軍団など、近鉄猛牛軍団の敵ではござらぬ。所詮は、五月の鯉の吹き流し、口先だけではらわたはなし。この通り、目にもの見せてくれようぞ」
(鯉のぼりを振り回し、二つに引き裂いて見得を見る)
・そこへ白酒売りが通りかかる。
巴御前「売り子はん、朝日超乾麦酒二杯ね」
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白酒売「すんまへん、売り切れでんねん、白酒はいかがでっか」
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巴御前「ほな、白酒二杯。ついでに弁当も頼むわ」
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白酒売「おおきに、弁当は後から弟が売りに来ますわ」
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・今度は弁当売りが来る。
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弁当売「お弁当は如何かな、幕の内弁当に松花堂弁当、寿司もござる」
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巴御前「お寿司、ください」
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弁当売「へい、助六寿司、お待ち。これは縁起がいいわいな」
(弁当売りは寿司を高く持ち上げる)
弁当売「この助六寿司を食べれば、一生野球に負けることはない」
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巴御前「助六さん、大当たり」
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弁当売「いてまえ打線も大当たり」
・白酒売り、弁当売り上手に下がる。
(巴御前、白酒の銘柄を見て)
巴御前「この白酒、栄冠酒造でっせ。ああ、栄冠は君に輝く。これでますます、いてまえ打線が爆発するわ。白酒飲んで気合十分やで。無死満塁の絶好機、次の打者は投手だから代打やな、ええと、誰かというと・・・そや、佐々木がおったで、佐々木恭介が」
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球納言「待ってました。その名も高き佐々木恭介、去年の首位打者やったな。ガツンと一発かましたれ」
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巴御前「よっしゃ、佐々木、打てよ、お前が打たなきゃ誰が打つ」
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球納言「そうや、強気でいったれ。バットなんか、目つぶって振り回したらええんや、当たるも何も博打みたいなもんでっせ」
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巴御前「博打はあきまへん、球納言様」
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球納言「えろうすんません。ほな、死球や、佐々木、当たったれ。体に球が当たったら押し出しで同点やないか、死球なんか怖くない、根性見せろや」
・そこへ第二の注進やってくるが、花道七三にて膝をつく。
注進二「ご、注進」
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巴御前「なんや、あの様子、なんかあったんかいな、心配だわ。どうなった、さよなら勝ちしたんとちゃうのか」
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注進二「申し上げまする・・・無死満塁の絶好機、投手に代わって代打の切り札佐々木が送られまして」
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巴御前「言うた通りやろ、代打は佐々木でっせ、打ったんやろな」
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注進二「代打の佐々木が江夏の投じた二球目をはっしと叩けば、弾んだ球は三塁手の頭上を越して・・・」
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巴御前「おお、さよなら安打だ」
(くす玉の紐に手をかける)
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注進二「どっと上がった勝どきも、頭上を越した球は、無情にも白線の外へと落ち、安打とはならず」
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巴御前「ううむ、惜しい一打だ、して、その続きは」
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注進二「追い込まれた佐々木、内角へ食い込む変化球に空を切り、あえなく三振、討ち取られてございまする」
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巴御前「あかんわ」
(巴御前、くす玉から手を放し首を垂れる)
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球納言「なんや、三振かいな。なにしとるんねん。バットにかすりもせんのかい」
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巴御前「次なる打者は石渡、しぶとく食いつく石渡でっせ、ここで一発・・・」
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球納言「待て、待て、わしならここで奇襲や、敵は一死取って安心しとるはずや、奇襲仕掛けたるで」
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巴御前「奇襲犠打作戦でおますな」
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球納言「スクイズや。走者が走る、打者は軽く当てて内野に転がし、走者は本塁に生還。これで同点やんけ。獅子丸、奇襲攻撃の合図を送ったれ」
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獅子丸「ははあ、かしこまって御座候」
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(獅子丸幟旗を掲げる)
(遠くから歓声、雄叫びがあがる)
・花道より三度目の注進、ざんばら髪に背中に矢が刺さっている。
・従者に抱えられてくるが、七三にて倒れ込む。
(巴御前、球納言、心配そうに顔を見合わせる)
球納言「スクイズ決まったんとちゃうか、作戦通りやろ」
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注進三「それが、それが・・・打者石渡の二球目に・・・者ども、位置に付け」
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(注進三が指図して、従者、注進など四名、それぞれ投手、捕手、打者、走者に扮して位置に付く)
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注進三「江夏の投げた二球目にスクイズ強攻。走者は一斉に駆け出して、石渡、バットを差し出すも、球は外側に外れ、バットは届かず。これを見て、三塁走者藤瀬は慌てて逆戻り・・・」
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(投手、捕手、打者、走者に扮した従者たち、注進の言葉に合わせて動く)
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注進三「しかし、時すでに遅し、塁に戻れず藤瀬は・・・」
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巴御前「藤瀬は、如何いたした」
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注進三「タッチアウト、本塁と三塁の間に憤死いたしてございまする」
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巴御前「マジすっか、スクイズ失敗。これはヤバい、あかん、これはあかん。そのあと石渡はどないなってん」
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注進三「石渡は・・・」
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巴御前「石渡は」
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注進三「江夏の投じた二十一球目、強振したにもかかわらず、バットは虚しく空を切り、三振、三振してございます」
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巴御前「なんやて、三振かいな、万事休すやおまへんか」
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注進三「三対四、これにて試合終了・・・源氏方の近鉄猛牛軍団、平家方の広島鯉軍団に敗北いたしてございまする」
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巴御前「無念や」
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(がっくりして)
巴御前「球運、味方せず、武運拙く我が近鉄猛牛軍団は敗れ去ったか・・・ううむ」
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球納言「なんちゅうこっちゃ、負けてしもうたやないか」
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巴御前「よくやった、みんな、よくやってくれた。戦場の砂を持って故郷へ帰ってこい、胸を張って帰ってきていいぞ」
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球納言「猛牛軍団が負けたら、わいの出世もおじゃんだわ。どないしてくれるんねん。そや、義経や、あいつが取り締まりにきよるで、検非違使になって偉そうにしとったわ」
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(遠くで法螺貝の音)
球納言「いわんこっちゃない、判官が来よったで」
・花道より源義経、武蔵坊弁慶、常陸坊海尊たち現れる。
義 経「いかに弁慶、猛牛軍団は平家鯉軍団に打ち負かされたとの知らせあり。これより巴御前を捕らえに参る。女武者とて侮るなかれ、方々、油断召さるな」
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弁 慶「心得て候」
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(義経一行、巴御前の陣屋を取り囲む)
義 経「すでに源氏の近鉄猛牛軍団の敗戦は決定、これよりはこの義経が総大将となって平家を討ち取らん。巴御前、潔く縄に掛かれ」
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巴御前「ううむ、義経、我が主じ義仲公を滅ぼされた恨みは深し、やすやすと捕らえられてなるものか」
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義 経「鎌倉へ引っ立て参る」
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巴御前「なに、鎌倉へ・・・鎌倉には和田義盛殿がいられる。義盛殿には危ういところを命を救われ、しかのみならず、あれよこれよと目を掛けていただいた。その恩義、その情け、片時も忘れてはおらぬ。遠く離れてお慕い申しておりまする」
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義 経「義盛に逢いたいか」
(義経、笑って)
義 経「巴御前、義盛に文を送っただろう。お前が放った密使を捕らえてある」
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巴御前「なんと」
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義 経「文もこの手にあるわいな。弁慶、文を読んでやれ」
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弁 慶「なに、勧進帳を読めとな」
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義 経「そう気張るな、勧進帳ではなくて女が男に送った恋文だよ」
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弁 慶「かしこまって御座候」
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巴御前「それはだめ、やめてください」
(弁慶、恋文を広げて読む)
(巴御前はそれを止めようとするが常陸坊たちに押し止められる)
弁 慶「ううむ、これは字が下手でござる。なになに・・・『変しい、変しい義盛殿』」
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義 経「うわっ、はっは、変しいとは何事だ」
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巴御前「いや、そこは、恋しいと書いたつもりであったが」
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義 経「恋しいと書いたのであろうが、字が下手なもんだから、変しいになっていたか。続きが聞きたい」
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弁 慶「『こなだ、こなだ、へそ痒いくてね』」
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義 経「巴御前、お前は変なところが痒いな、へそが痒いとは大笑いだ」
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巴御前「先日、義盛殿がお訪ねくださりましたが、折あしく戦の準備に追われ忙しくしており申した。従って、こないだは、こないだは、いそがしくてねと読んでくだされ。ああ、恥ずかしい」
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弁 慶「では、続きを読み上げまする。『もみあげにいただいた鳩の形のお菓子、わかやまに持ち帰り、さっそくべつだんへそなめたわよ』」
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義 経「こりゃ、またなんてこった。笑いが止まらん、和歌山とはずいぶん遠くへ行ったものだ。その挙句に、へそを舐めるとは笑止千万じゃ」
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巴御前「もみあげではなくてお土産、和歌山ではなくて我が家と書いたはず。義盛殿からいただいたお菓子を、我が家に持ち帰り、亡き義仲公の位牌にお供えした、仏壇へ供えたのでござる。べつだんへそなめた訳ではござらん」
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弁 慶「さて、そのあとは・・・なになに、『今度逢ったら小便ちょうだいね』」
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義 経「また、これは変な物を欲しがるんだな、巴御前」
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巴御前「そこは、小使い銭だ。軍資金が不足しているゆえ、義盛様殿に小使いをもらいたいと願い出た。ちょっと字を間違えただけではないか」
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義 経「ちょっとどころか大いに間違っておる。笑い過ぎて腹が捩れた。弁慶、最後まで読み聞かせよ」
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弁 慶「いよいよ手紙の末文でござる。『あづまげたとは、あなたのことよ、そばに、はだしがついている』」
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義 経「なんじゃこれは、下駄に裸足にとは。もしや、我らに知られたくないため、何かの符丁言葉か暗号を使ったな。さては巴御前に謀反の企てありと見た」
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巴御前「符丁ではない。坂東に向かうには富士川、大井川を渡らねばならぬが、橋の側には渡し舟が付き物。ゆえに『吾妻橋とはあなたのことよ、側に私が付いている』。と、まあ、二人の仲がいいことを書いたつもりであった」
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義 経「符丁どころか、のろ気であったか。それにしても、下駄は裸足で履くものと決まっておるわ。最後まで大笑いいたした」
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(巴御前怒って)
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巴御前「ううむ、重ね重ねの悪口雑言、聞き捨てならぬ。かくなるうえは、この巴、満座の中で笑われた恥辱を雪いでくれる」
・巴御前、薙刀を手にしてたちがる。
巴御前「みなの者、よく聞け、この薙刀は義仲公より授かった『魔戒の薙刀』。軽く触れれば首が飛ぶ。判官ごときに捕らえられてなるものか。いざ尋常に勝負、勝負」
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義 経「手向かいいたすか、ならば容赦はせぬぞ。魔戒御前に巴の薙刀に、おっと違った、こりゃ逆だ。巴御前に魔戒の薙刀、恐るに足らず、きりきりお縄に掛かれ」
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(弁慶たち山伏姿の従者、巴御前を取り囲む)
弁 慶「巴御前、覚悟は良いか」
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義 経「べんけいがな、ぎなたを持って・・・あれ・・・おかしいな」
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弁 慶「判官殿、区切るところが違います、句読点の場所がそこじゃありません」
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義 経「そうであった、巴御前の下手な手紙で、こっちまでおかしくなってしまった。ええと、『弁慶、薙刀を持って』だ。何はともあれ、巴御前を召し取れませい」
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山 伏「ははあ、かしこまって御座候」
(巴御前、弁慶たちと立ち回り。巴御前が弁慶を押し返し、山伏たちをなぎ倒して、寝ころんだ山伏を次々に飛び越す)
巴御前「見たか、これぞ八僧飛びの極意」
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弁 慶「者ども、手加減いたすな。この弁慶のあとに続け」
(巴御前は下手へ駆け込む。弁慶たち一斉に巴御前のあとを追うが、下手より猛牛が現れ弁慶、山伏を追い払う)
義 経「こりゃ、敵わんな、退散、退散」
・巴御前、下手から悠々と現れる。
巴御前「口ほどにもない奴どもよ。さて、和田義盛殿のおわす鎌倉へ参るといたそう」
・花道七三にて大見得を切る。
(義経、背後から巴御前を捕らえようとするが、常とは異なり下手より定式幕が引かれ、幕に押されてもんどりうって倒れる)
・巴御前、薙刀を手に花道を去る。杵、幕。
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