最終話

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最終話

将来に向けて動き出した日から、早くも数ヶ月が経った。部屋を出た瑛斗を見送ってからも、メッセージのやり取りは続いている。 とはいえ、数日置きの短い文章に留めていて、通話もなし。理由は単純に、恋しくなってしまうからだ。 『今しかできないこと、瑛斗がやらなきゃいけないことを優先して』 自戒の意味を含めた渉のこの文面が決め手となり、お互いに仕事と学業に勤しむなかで、ひとつだけかなり驚いた出来事があった。 休みの日に買い物をして帰る途中、初めて瑛斗と会ったフェンスの近くに誰かが立っていた。遠くから顔もわからない距離だったが、胸の奥がざわめいて、こちらを向いた男性と目が合ったことでさらに心臓が跳ねる。 『……あ。人違いでしたらすみません、篠束さんでしょうか』 『えっ!? あっ、は、はい』 『息子がお世話になりました。倉瀬と申します』 柔らかい物腰の、倉瀬と名乗った男性は三十代くらいに見えた。ブランド名が印刷された洋菓子店の紙袋を提げており、言われた内容を飲み込めずにフリーズする。 倉瀬さんの息子。つまり、瑛斗のお父さんだ。 『ぁえ、は、初めまして! こちらこそ、篠束です』 『いきなりすみません。ご挨拶に伺ったんですが留守のようだったので、お暇しようと思ってたんです。これ、つまらないものですが』 思わず頭を下げたところに手土産を渡され、突然のことにあたふたする渉を微笑ましそうに眺めている。その表情が瑛斗と重なって、親子なんだと実感した。 偶然通りかかった渉に気づいたのは、あらかじめ聞いていた雰囲気と似ていたかららしい。それがどういったものかはわからないが、無駄足を踏ませなくてほっとした。 それからいくつか会話をした後、瑛斗の父は帰っていった。そのことをメッセージで報告したら数時間後にごめんとだけ返信が来て、平謝りするスタンプに笑って気持ちが和んだ。 「はーい」 来客を告げるインターホンが鳴る。それに写し出された画面を見て、受話器を取らずに玄関に向かった。 季節は春、大学の卒業式当日だ。 がちゃりとドアを開けた玄関の前には、見慣れないスーツを着た瑛斗が立っている。 「おかえり!」 「ただいま」 抱き寄せ合うようにハグをして、部屋に入って靴も脱がずに体温を確かめ合う。鼻先を擦りつけてくすぐったさに笑い、唇にキスをした。 fin.
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