第1話

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第1話

空が泣くというならば、笑ってくれたら晴れるのだろうか。 篠束渉(しのづかわたる)がスーパーで購入した食料品を袋に入れ終わり、ふとガラス越しの小さな音に顔を上げると、重く曇った空からぽつぽつと水滴が降ってきた。ひどくなる前に早く帰ろうと慌てて店を出たものの、瞬く間にざあっと勢いが増して、バケツをひっくり返したような大雨になる。 納期明けの一日を寝て過ごしてしまったから、せめて自炊をと意気込んで数日振りに買い物にきたのに。わざわざ傘のためにレジへ引き返すのも悔しくて、買い物袋の持ち手をぎゅっと縛ると、雨がスニーカーに滲みるのを我慢して走り出した。 それから約十分ほどで、渉が住むマンションの近くまでたどり着く。雨の勢いが幾分かやわらぎ、周りを見る余裕が生まれたとき、道の隅で蹲うずくまる人影が視界に入った。 (わっ、誰かいる! どうしたんだろう) こんな悪天候の路上で、ただ座っているだけとは考えにくい。急病人だとしたら一大事だ。なにかトラブルが起きた可能性もあるけれど、ここまで走ってくる間に言い争うような声は聞こえなかった。 どちらにしろ、放っては置けない。まず先にエントランスへ行き、軒下に邪魔な手荷物を降ろした。すぐに踵を返して、マンションのフェンスに凭れたまま微動だにしない青年に駆け寄る。 「すみません、大丈夫ですか?」 濡れたアスファルトに膝をつく。あまり揺すってはいけないと思い、おそるおそる肩の辺りを叩いた。どこかに怪我をしているかもしれない。 「……っ、う……」 「聞こえますか? 動けたら手握ってください。救急車が必要なら呼びます」 「や、……だい」 地面に投げ出された手を取ると、身じろぎながらかすかに呻いて、ぎこちない返事と共に指先に力が込められた。ようやく意識が戻ったらしく、ふらつきながら立ち上がろうとしている。 口では大丈夫だと言っていても、触れた服には雨が染み込んでいた。彼の横顔は二十歳くらいで、渉と年齢が変わらないように見える。どうしようかと逡巡して、遠慮がちに長い腕の下に潜り込むと、なけなしの力を振り絞って足を踏み出した。
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