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体育祭も文化祭も終わって、1週間後には運命の期末テストがやって来る。永遠に来てほしくないが、これを乗り越えないと、夏休みはやって来ない。
ても、高校3年生の私達には、待ちに待った夏休みになる人と、地獄の夏休みになる人に分かれる。私は、地獄の夏休みになる事を避ける為、結構必死にテスト勉強に取り組んでいた。
テスト一週間前の放課後、友達の水川紗都里の教室で、一年生から恒例になっている、お互いの得意分野の情報交換をしていた。
「英語は、この言い回しを絶対おぼえて。後、このページは丸暗記をお勧めする」
「フムフム。では、数学はこの公式を応用できるように頑張りたまえ。後、消しゴムは忘れずに」
「何それ。真面目に教えてよ。私、このテストで希望する大学に行けるかどうかが、ほぼ決まるんだからね」
私は、ふざけている紗都里に目を吊り上げて怒った。
とは言うものの、本気で怒っているわけでは無く、半分じゃれながらしかし1/4は本気で、残りの1/4は焦りながらだ。
紗都里は進路を美容師の専門学校にAO入試でもう決めているし、成績は現状維持で問題ない。
でも私は、外国語大学の指定校推薦枠を狙っているので、3年の1学期までの成績がとっても大切なのだ。狙っている学部を、学年一のイケメン、ゆず君も狙っていると聞いているから、このテストで少しでも差をつけなければいけないのだ。
「そうカリカリしなさんなっ。夕弦は数学が苦手だからそこで差がつくよ。あいつの数学は中学で止まってる」
紗都里とゆず君は中学の同級生で仲が良い。今でも時々、中学の同級生たちと集まるらしく、この間のGWも一緒に遊んだと話していた。その中にはもちろん源来君もいて、私は話を聞く度に、密かに紗都里に焼きもを焼く。ただの友達だと分かっていても、私が知らない源来君を知っていることが、羨ましくて仕方ないのだ。
「それ、聞かなかった事にして、自分にプレッシャーをかけておくよ。安心要素があると、動画と睡眠の誘惑に負けちゃうから」
受験の焦りは持ちつつも、今ハマっている動物の赤ちゃんと大食い動画を思い出しながらギュッと目をつぶる。
「あれ?まだ残ってるの?」
英語の教科書を持ったウッチーが教室に入ってきて、じゃれ合っている私達に声を掛けた。
「テストのヤマの情報交換中。ウッチーは?」
紗都里とウッチーはクラスメイトだからか、紗都里が自然と応えるかたちになる。
「俺は先生に質問」
「何っ!万年トップなのに、まだ上を狙ってるのかっ!」
「いや、期末テストの方じゃ無くて、受験勉強の方」
「おぉ~、なるほど。さすがフィクサーは時限が違うな」
「何だよそれ」
ウッチーはセンター分けのサラサラのストレートヘヤ―を揺らしながら、私達が広げている教科書を覗き込んで、紗都里の手元にある数学の教科書をペラペラとめくった。
あまり日に焼けていない指は、細長くて綺麗。
源来君の日に焼けた指も、ウッチーよりは少し節が目立つけど、長くて綺麗なんだよね。それに、顔は小さいのに手は大きくて、力が強いのだ。
「数学の小西先生は、このページの練習問題を応用してくるだろうから、1回は復讐しとく方がいい」
ウッチーの貴重なアドバイスで、現実に戻る。
ヤバい。
最近、何を見ても源来君に結び付けてしまう自分が怖い。
「おぉ~、さすが。各教科の先生の出題傾向を把握しているウッチーならではの視点。有難く参考にさせていただきます」
紗都里は、大袈裟にお礼を言うと、目を閉じて仏壇を拝むようにウッチーに手を合わせた。私も紗都里の真似をして手を合わせたけど、視線はニコニコと微笑むウッチーの白い横顔を観察する。
「ん?」
紗都里の合掌を真っ直ぐ受けていたウッチーが私の視線に気付いて首を傾げる。奥二重の切れ長の目を少し見開いて、ほころんでいた口元をキュッと閉めて、疑問の表情で私を見る。
「もう夏なのに、ウッチーは焼けて無いな、と思って」
日焼け止めを毎日塗っている私よりも、ウッチーの方が白いくらいだ。
「あぁ、俺、焼けにくいんだよね。それに、部活もしてなかったし、源来君みたいに一年中太陽浴びてるわけじゃ無いから」
源来。
本人は居ないのに、名前を聞くだけで小さく心臓が跳ねる。
その小さく跳ねた心臓が、バスドラムのように胸の奥でリズムを刻む。
私はこれ以上リズムが大きくならないよう、紛らわすためにちょっと大げさな話し方をする。
「羨ましいなぁ。毎日、日焼け止め塗っても焼けちゃう私の肌と交換して欲しい」
「じゃぁ私は、ウッチーのサラサラヘアーを頂こう」
紗都里は桜色の爪をした指をウッチーの前髪に手を伸ばし、髪質を確かめるように触れた。
紗都里の髪は少し癖があるから、毎朝のヘアーアイロンが欠かせず、放課後の今では、肩にかかる毛先が跳ねかけている。
紗都里が髪に触れた時、珍しくウッチーが驚いた顔をしたけど、それは一瞬で、直ぐに何時ものように微笑むと、今度はウッチーが紗都里の跳ねかけている毛先に触れて要求した。
「一生、紗都里が俺の髪切ってくれるならいいよ。もちろん無料で」
「えー、それはNO。労働に対する対価は必要だ」
紗都里はウッチーの指から自分の髪を引き抜くと、きっぱりと断った。
友達同士であっても、髪に触れあう男女二人の姿を目の前で見ていると、キュンっとする。見ているだけで、そうなるんだから、お互いに触れている二人はドキドキしないのかな?
紗都里みたいに、仲の良い男友達がいない私には、平然と触れ合う二人の行動が理解できない。
「あー!ウッチー発見!」
ガラガラと音を立てて教室のドアが開くのと同時に、司君がその音をかき消すくらい大きな声で叫んで駆け寄る。
「タオル貸して。今日、忘れてきちゃてさ。これから部活なのにタオル無しなんて、やってけねぇ。エースの俺が汗で滑って転んでケガしたら大変だろ?」
すでに、部活着に着替えている司君は、ごつごつとした大きな手でウッチーの肩を掴んで、お願いする。
部活は大体、3年の春で引退するんだけど、強化部になっているバレー部は、司君をはじめ3年生は秋の大会まで部活をするらしい。
「持って無いよ。今日、体育無かったし」
「えー。夕弦も源来も帰っていないし、ウッチーしかいないのに~」
「私、有るよ」
紗都里が鞄の中からタオルを取り出して、差し出した。
「えっ!マジっ!借りていいの?」
司君が飛びつくようにタオルと受け取ろうとしたら、それより早く、ウッチーが司君の腕を押えた。
「紗都里、本当にいいのか、司に貸して」
「うん。これお兄ちゃんの。間違えて持ってきたから、好きに使って良し。正し、必ず洗って返すこと」
紗都里が広げて見えてくれたタオルは、デスメタル界隈ではレジェンド級のバンドのロゴの入ったタオルだった。
紗都里の2つ年上のお兄さんは、ロックを愛する大学生なのだ。紗都里の家に遊びに行くと、時々隣の部屋から体に響く重低音と、歌詞が聞き取れないシャウトが聞こえて来る。
「ちゃんと洗って返します。ありがとう、紗都里様!」
司君はウッチーの手を振り払い、紗都里からタオルを奪うように借りると、入ってきた時よりも騒がしく「行ってきます!」と言って教室を飛び出していった。
嵐の後の静けさを感じる教室に残った3人は、無言で帰る準備をすると、一緒に教室を出た。
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