「上手い人」は「料理」ができている

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小説を料理にたとえた時、長編で未完結はコース料理の途中にあたるでしょうか。 それでも構成がしっかりしていて、一話一話の完成度が高ければ、お客さんの満足度は高いです。 一皿ずつお客さんの腹具合を想定して、今の美味しかった、次は何が出てくるのかな…と思わせる構成は長編を読ませるには不可欠といえます。 短編の場合は丼もの、ワンプレート、定食のイメージです。 丼もので未完成だと「これはちょっと…」ですが、定食で味噌汁がないとかの未完成なら他の部分は美味しく頂ける可能性がある。 じゃあ美味しいって何か、です。 料理されていることは大前提で、そのうえに好みとかアレルギーとかが人それぞれあるわけなのですが。 歯触り舌触り、鼻に抜ける香り、喉ごしと、たくさんの感覚を使って人は料理を味わいます。 小説でも同じで、読み手は表現から情報を取得して処理しています。 それを理解して、味付けをどうするか。 ざっくり分けると、 歯触り舌触り…文体 香り…行間 喉ごし…余韻 のように対応するでしょうか。 つまり文章です。 文章とはプログラムです。 上手な人は読みどころを計算して行を立てています。 書くべきところと行間から感じさせるところ、その両方から引き出す余韻。 一文一文に必要性があり、一行一行に関連性があることは、小説を味わう最低限の条件です。 好み云々は、しっかりした味わいを醸せてからの話。 丹精込めて作った大根をより美味しく食べてもらうために、こだわれるところがいくつあるのか。 その発想が感じられる作品は上手だなと思います。
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