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「さっきからここを譲れってジロジロと」
「そんなつもりは」
大蔵は若い男性を前にたじろぐ。思っていたといえば嘘になるが、この男性が座りたい気持ちもわからなくはない。
「譲ればいいんだろ? 譲れば。はーあ!」
ゆっくりのんびり立ち上がって、いやそうな顔で席を譲った。
「仕事もしねーで座らせてもらえるなんてまじ老害かよ」
──老害かよ。
そして男性は声を小さくして言った。
「どうせなんもできねーくせに」
──なんもできねーくせに。
「ちょっとあんた、何言ってるの? お爺さんに謝りなさい!」
隣にいた言葉を聞いたのか中年の女性が声を荒げる。
「はあ? 何も言ってねーし、むしろ優先席譲っただけだし」
「言ったわよ! この耳で聞いた! 謝りなさい!」
車内がざわつく。多くの視線がこちらに注がれる。なにがあった? 人々の目に不安の色が映る。
「ま、まあまあ」
間を割って入って止めたのは大蔵本人だった。
「お兄さん、席を譲ってくれてありがとう。奥さんもお気遣いありがとう。でも、言われたことは……」
大蔵は乾いた顔に皺を寄せた。
何もできないことは。
「事実ですから」
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