さっちゃん

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さっちゃん

自然と目が覚めた、見えない誰かに揺り起こされたように。 午前5時、健太の目は起きた瞬間に冴えている。 こんなことは珍しかった、しかし都合がいい。 誰にも見られずに山に行くチャンスだと健太は考えた。 別に悪いことをするわけではない、法に触れることでもない。 しかし祖父も、母も、家族を悲しませたくなかった。 だから誰にも知られずに家を抜け出したいのだ。 むくりと起きても、母親はすーすーと寝ている。 父親も昨夜深酒をしていびきをかいて寝ている。 部屋で台風が巻き起こったかのように父親の布団だけがあらぬ方角に吹っ飛んでいっている。 健太は2人を起こさないように抜け出し、玄関でサンダルを履いた。 なるべく音を立てないように引き戸を開けて、音を立てないように閉めた。 こそどろになった気持ちで健太は忍び足で祖父の家の敷地を歩く。 「なにやってる?」 「え?」 不意に後ろから声を掛けられたので、健太の心臓が跳ねた。 「どうした?こんな朝早く」 「お、おじいちゃんこそどうしたの?こんなに早く起きて」 「おじいちゃんはいつも4時に起きてる」 「……そうなんだ」 「目が覚めたのか?」 「うん、そうだよ」 「そうか……それでどこに行く気だ?」 「ちょっと……散歩に」 「じいちゃんも行こう」 「いや……独りで大丈夫、独りが好きなんだ」 「……そうか、怪我しないようにしろよ」 祖父は悲しみを外に出さず、家の中に戻っていく。 祖父に外に出ることがバレたことは想定外だったが、健太は2本の足をしゃきしゃきと動かして歩き出す。 山までの道は覚えている、なんの迷いも独りきりという不安もなく健太は前に進む。 道すがら、健太は考えてみた。 なぜ自分はあの山にこだわるのだろうと。 聡明な彼らしからぬ根拠のない冒険。 全てに理由をつけ、そして解答を見出してきた健太には不似合いな行動だ。 山を自分の目で見るのが初めてだということもある、しかしもっとほかに……奥底に隠された根源的な欲求があった。 人生経験の浅い彼には分からないが、とにかく自分の好奇心を満たせるのなら行ってみよう。 そんな心持ちだったのだ。
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