65人が本棚に入れています
本棚に追加
痛む喉が限界を伝えるように音を出している。目の前に続くアスファルトの道が妙に長く見える。
蓑輪の手から逃れた露斗宮は、一時も止まることなく走り続けていた。
立ち止まってしまえば最後、再びあの屈強な腕で頭を潰されてしまいそうな気がしてならなかった。
どこからか誰かの怒号が聞こえ、普段静まり返っていた住宅街は打って変わって騒がしい場と化していた。
露斗宮は気が休まらず、ただひたすらに学校への道を走った。
「はっ…はぁ…っ、…こ、古村…くん…っ」
学校までの道のりは残り僅かであった。
一刻も早く会わなければならない彼の名を絶え絶えの呼吸の中呟きながら、露斗宮は走り続けた。
角を曲がり、地面へ転びそうになったとしても、決して足だけは止めなかった。
鞄を握りしめ、遠くから聞こえる何人もの足音を聞きながら。
そんな彼の耳に学校のチャイムが届く。学校は目前へと迫っていた。
安堵と疲れの混じった息を深く吐きながら、露斗宮は校門のある通りへ続く角を曲がる。
しかし彼の目に飛び込んできたのは校門ではなかった。
体を包む柔らかな感触、風に揺れる羽根のような白い髪、地獄のような町にはそぐわない神聖な花の香り。
露斗宮の体は聖太郎に抱き留められ、遂にその足を止めてしまった。
「え…?」
露斗宮は状況を理解するのに数秒ほどかかっていた。
自身を包み込む聖太郎の存在。そして、自身の首に感じた微かな痛み。
目の前には見慣れた校門が、そして古村が待っている学校があるというのに。
彼は抵抗することも、叫ぶこともできずにいた。
「安心してください。あなたを苦しめるようなことはしない、約束します。」
耳元で囁かれた優しく心地良い声に、露斗宮は身震いする。
そして徐々に失われてゆく意識の中、最後に見たのは校門から姿を現した成川と榊原の姿だった。
榊原を支える成川と目が合った瞬間、露斗宮は懇願するかのように彼に手を伸ばしていた。
自身の不安の元凶となった彼へ縋りたくなったのだ。しかし成川は揺らぐ瞳を彼から逸らすと、冷たいアスファルトへと視線を移した。
そうして露斗宮の意識が完全に失われた時、聖太郎は注射器の針を彼の首から抜いた。
「生徒会長…。終わりましたか?」
「ええ。しばらくは起きないでしょう。そちらは?」
「三人とも、無事に始末できました。」
聖太郎の腕の中で眠る露斗宮を、成川は恐る恐る見つめる。
彼に支えられていた榊原は、右目を押さえながらぐったりと項垂れていた。乾いた血が時折パラパラと地面へ落ちてゆく。
聖太郎は露斗宮を陶器を扱うように大事そうに抱きかかえながら、上空に広がる鈍色の雲を見上げた。
「やっと捕まったか、すばしっこい奴だ。」
校門の前に集った彼らの元に、不気味に笑う蓑輪が歩み寄る。
腕からは血が滲み、その手には露斗宮が刺した果物ナイフが握られていた。しかし巨漢の蓑輪が持てば、鋭利なナイフも玩具のようにちっぽけな物にしか見えなかった。
「油断できねぇぜ生徒会長。コイツ、大人しそうなツラして俺を刺しやがった。」
蓑輪は聖太郎の腕に抱かれたままの露斗宮へ下卑た視線を向ける。
何人もの人間に見つめられても尚、露斗宮は静かに寝息を立てていた。
最初のコメントを投稿しよう!