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小さな足音が黒板を離れ、彼らの元へ向かう。
音楽室が安らぎに満ちたのはほんの一瞬だった。成川たちの前で足を止めた古村の表情には暗影が差し、前髪の奥にある瞳は獲物を見据える狼のように恐ろしいものであった。
「…成川くん、それから雛杉くん…。君たちの決心は素晴らしいよ、本当に…。」
怪訝そうに彼を見つめる雛杉を守るように前に出た成川は、その冷たい視線に固唾を飲んだ。
今この場で最も恐ろしいのは彼である。皆口には出さなかったがそう確信していた。
「でも、そろそろ本題に入らせてもらうよ。」
「…本題?」
「言っただろう?君たちに聞かなきゃいけないことがあるって…。」
窓の外では灰色の雲が北へと流されている。その向こうに広がるのは忌まわしき堕落の地。
古村は長い睫毛を揺らし目を伏せると、重くも透き通った声で話し始めた。
「僕が聞きたいのは正にその”二年前”のことさ。」
一変した彼の気配に、その場にいた全員が息を飲んだ。中でも樋口の怯えようは異常だった。小動物のように縮こまり、小刻みに震えていた。
彼らの中で古村と最も関りのある佐倉でさえもその姿に押し黙り、背中にじっとりと汗を滲ませていた。
教室中に緊迫した空気が張り詰め、誰もが次に出るであろう言葉に怖気づいていた。
「二年前、君たちが胡村園太郎を殺した日。」
ついにその言葉が告げられた時、彼らはまるで終末を告げられた人類のように絶望的な形相へと変貌していた。
法廷で死刑を告げられた罪人よりも険しく、処刑台に立たされた罪人よりも悲痛な面持ちだった。
やっと動かせた手で口元を抑えながら、雛杉は悲鳴にも似た掠れ声を出した。
「…どうして、それを…?」
心臓の奥底がざわつく感覚に、成川は嫌な吐き気を覚えていた。
それは言うなれば一種の拒絶反応だったのかもしれない。脳の片隅に隠していたトラウマを無理やり引っ張り出されるような気持ち悪さであった。
その感覚を覚えたのは彼だけではなかった。彼の隣に立ち竦んでいた雛杉は、指の隙間から乱れた息を漏らしていた。
「いや…本当は一人で良かったんだ、当事者は。でも彼がなかなか口を割ってくれないからさ…。」
視線の先で身震いしている樋口に、古村は口元だけを歪ませた生気のない笑顔を見せた。
「ね?あんな調子なんだ。だから代わりに君たち、教えてくれないかな?あの日のことを…。」
樋口から成川へと視線が移される。細められた瞼の中に輝く瞳には、どこまでも続く黒を帯びた瞳孔。そこへ映し出された自身の姿を見つめながら、成川は複雑な顔でゆっくりと頷いた。
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