楽園

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「…そうですね、どこから話せば良いのやら…。」  聖太郎はグラスを置くと、周りに並ぶ木々を見渡した。その奥には楽しげに笑う人間たちの姿があった。 「エデンの園を知っていますか?かつて神は創造した人間をその楽園に住まわせたんです。その楽園は、まさに楽園と呼ぶのに相応しい世界でした…。誰もが無垢で、穢れなど一切存在しない楽園…。」  物語を読み聞かせる語り部のように、聖太郎は説明を始めた。 しかし露斗宮にとってその内容は難しいものであり、話を聞くだけでやっとであった。エデンの園など、彼の知り得ない情報なのだ。 「ここはそのレプリカのようなものです。この場所に住む者は皆、この場所を造りあげるために投資をしてくださった権力者の方々なんです。」  しかしそれを聞いた時、露斗宮は過去の出来事を思い出した。 権力者、富裕層。あの貯水槽で成川から聞いた言葉が一気に脳裏に蘇ったのだ。今この場にいる人間たちが、成川の言っていた富裕層に該当する者たちなのだ。不自由のない生活を送り、新鮮な食物と水にありつける唯一の存在たちが彼らである。そう思い至った。 「…アダムとエバがあの果実さえ口にしなければ、我々が地に堕ちることはなかったんです。罪を背負い生きることはなかった…。」  聖太郎は果実の盛られたバスケットの中から真っ赤な林檎を掴むと、皮をナイフで剥ぎ始めた。スルスルと手慣れた手つきで皮が剥がれ、血のように赤い皮が地面に垂れてゆく。 「私は、本来人間が暮らすべき楽園を取り戻したいのです。誰もが幸福に浸り、全ての苦しみを忘れた無垢な存在へと戻り…永遠に楽園で暮らし続ける…。そんな世界を望んでいるのです。」  布の上に広がった皮を見下ろしながら聖太郎は話し続けた。 「楽園の復活。それが私たち生徒会の最終目標であり、新たなる時代の始まり…。」  皮を剥かれた林檎がそっと皿の上に置かれる。細い指に握られたナイフが照明の光に反射していた。 「露斗宮さん、聞いても良いでしょうか?」 「え…?」  露斗宮が顔を上げたと同時に、聖太郎は目の前に置かれた林檎を指差した。 「あなたの人生の不幸、苦しみ、悲しみ、怒り、その他ありとあらゆる全ての負の感情。それら全てがこの果実に凝縮されていたら…。あなたはこれをどうしますか?口にすれば最後、不幸があなたの体を侵し支配することでしょう…。」  質問の中に隠された意図が理解できないまま、露斗宮は林檎を見つめた。何の変哲もないただの林檎だった。 しかし先ほどの言葉が頭の中で繰り返される。露斗宮は自身に降りかかった数々の不幸を走馬灯のように思い出した。 間宮の死を目の当たりにしたこと、叔父を殺されたこと、自身の中に芽生えた恐怖に脅かされ古村にナイフを向けたこと。この町で起きたこと全てを思い出した。 そして全てを思い出した後、彼はゆっくりと口を開く。 「…わかりません…。」
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