5.恋するmyTuber

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5.恋するmyTuber

翌朝。列車は最終駅に到着した。俺はそのまま新幹線で帰京、キクくんは特急列車で帰ることとなった。朝のホームで、LIMEで連絡先を交換した。 「じゃあ、今度は東京で会いましょう」 パーカー姿のキクくんは手を振ったあとリュックひとつ持って、向かいのホームへ向かった。俺も手を振り、姿が見えなくなると背伸びした。 こんな偶然があるものなんだな、と思わず神様に感謝する。楽しい列車の旅になったなあ。 さあて新幹線の切符を買わないと。俺もホームを後にした。 *** キクくんとの約束の日はそれから、二ヶ月後。今日がその日だ。楽しみにしすぎて、毎日が長かったなあ…… 待ち合わせはホテルのロビー。先に着いた俺は柔らかすぎないソファーに座り、行き交う人々を観察していた。こうやって人を待つのがウキウキするのはいつぶりだろう。恋人がいた時もそれなりにウキウキしていたはずだけど、こんな気持ちもう忘れてた。 恋愛なんてしなくてもいいやなんて思ってたけど、やっぱりいいもんだな。まあ向こうは恋愛とも思ってないけど…… 「豊嶋さん」 「わ!」 背後から声を掛けられて振り向くと、ベージュのシャツを着たキクくんがいた。耳のピアスは小ぶりなものに変わっていて、以前会った時に手にしていた真っ青なリュックではなく黒のベーシックなトートバッグ。 「少し、雰囲気違うね」 「だって高級ホテルにチャラチャラした格好で行けないじゃないですか」 緑の頭のままじゃ、関係ないと思うけどな。 俺が部屋を取ったのは高層階のエグゼクティブフロアにあるツインだ。恐らくキクくんは撮影をするだろうから、どうせなら見栄えする部屋がいいだろうとこの部屋を選んだ。 カードキーをかざして部屋に入るところからキクくんは案の定、撮影をしている。 「ひっろ!」 三十平米超えの部屋はそんなに泊まることがないのだろう。キクくんは大はしゃぎしながらあちこち撮影する。撮影ポイントはほぼ俺と同じだ。はしゃぐキクくんを横目に俺は荷物を置いたあと、窓の外を眺めていた。 『カシャ』 突然シャッター音がして、振り向くとキクくんがスマホをこちらに向けていた。 「ひひひ、豊嶋さん撮っちゃった! 窓辺に佇んでカッコよかったからさ」 「な…! 消せよっ、恥ずかしい」 近寄るとキクくんはスマホを取られないようにポケットの中に押し込んだ。 「えー。やだよ」 「じゃ、あとでキクくん盗撮してやる」 「怖っ」 笑いながらまた撮影を始めるキクくん。myTubeで見るキクくんより、実物のキクくんはいたずらっ子で照れ屋で、可愛さ倍増。これはやばいな、本気にならないようにしないと。 都内の夕焼けを撮影したあと、いよいよお待ちかねのディナー。本当はホテルで食事しようと思っていたのだが、キクくんが外に食べに行こうと誘ってきた。 キクくんが教えてくれたのは、ホテルから徒歩で数分行ったハンバーガーやサンドイッチの店。店内の壁はレンガで黒板のメニューにアイアンの椅子。多肉植物がずらりと並んでいる。お洒落な若者の店だ。 オーダーしたのはこの店の大人気メニューという、グリルの野菜とチェダーチーズ、ローストビーフが挟まれているハンバーガー。どうやって食べるの? ていうくらいの厚さ。食べ切れるかなあ…… 「うまいんですよ! この近くに来たら必ず寄るんです! 豊嶋さんのお口に合うかわからないけど」 オニオンリングをつまみながらジントニックを飲むキクくん。確かに社会人になってからはこんなお店に来ることは無くなった。ハンバーガーにかぶりつくと肉汁とソースが口の中に広がる。その美味しさに思わず俺は『めっちゃうまい!』と大声を出してしまった。隣の席の女の子がクスクス笑っている。 「今度同僚にも教えてやるわ、ここ」 きっと大食いの石橋は喜ぶだろう。あと相田さんはデートに使えるかもしれないな。 俺がそんなことを思っていると、キクくんはよかったと言いながらハンバーガーを貪る。小さな口で食べるものだから、口の横がソースまみれだ。それがまた可愛くて俺は自然と自分の指を伸ばし、口についているソースを拭ってやった。キョトンとするキクくんの顔を見て俺ははっとした。 「あ。ごめん」 まるで恋人のようなことをしてしまって、思わず謝る。手元にあるナプキンを一枚渡せばいいだけなのに。 「ふふ。豊嶋さんやっさしー。やっぱ、モテますよね」 キクくんは何もなかったかのように、そう言いながら笑っていた。 ホテルの部屋に戻った頃には、窓からの景色はすっかり夜景となっていた。高層ビルやタワーマンションの明かり、そして道路を走る車のテールランプ。部屋の明かりを全て消すと、夜景が綺麗に浮かび上がる。それをキクくんは撮影することなく、窓辺でずっと見ている。 「撮らないの?」 「うーん多分反射しちゃうし、目に焼き付けておこうかなって」 「ふうん。でも閲覧する人はきっと夜景も見たいと思うよ」 「あ、そうか。じゃあ撮っておこ」 「じゃあ俺は先にシャワー浴びておくから、ゆっくりしてて」 「はあい」 ……何が先にシャワー浴びるだよ!自分で言っておきながら俺はため息をついた。  だめだ、もういやらしいことしか想像できなくなってる! 落ち着け、俺! 熱い湯をかけながら俺はなんとか体を落ち着かせるように頑張った。
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