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俺の雇い主は人使いが荒い。
「はーっ」
左手にアルコール消毒液の瓶を掴み、右手に雑巾を持ち、なんべんも吐息を吹きかけキュッキュッと磨く。プレートが金ぴかに光ってきた。ひれ伏し拝みたくなる神々しさ。
プレートの枠内には気取ったフォントで『tyakuraスピリチュアルセラピー』と書かれている。
「よし」
仕上がりに満足して額の汗を拭えば、扉が開いてスカした野郎がでてきた。
第一印象はホスト上がりの青年実業家。
頭のてっぺんから革靴の先までトイレの芳香剤みたいなブルジョワの匂いをぷんぷんさせてる。
着ているスーツはオーダーメイドのアルマーニ、左手首には紫の房が付いた数珠を巻いている。端正な塩顔に涼しげな切れ長の双眸がよく似合うが、見た目に騙されちゃいけない。
コイツ……マスコミにチャクラ王子だとか持ち上げられ、セレブなマダムを入れ食い状態の茶倉練の本性は、詐欺まがいの霊感商法で絶賛ボロ儲け中の関西人守銭奴だ。十年来の腐れ縁の俺、即ち烏丸理一が断言するんだから間違いねえ。
「終わた?」
「綺麗になったろ」
「ふーん」
あずきバーを咥えた茶倉が、小姑のように目を細めて点検しだす。
こないだは俺が献上したハーゲンダッツをご賞味あそばされていた。コイツは大の甘党なのだ。曰く除霊は脳のカロリーを消費するから、糖分の補給が不可欠らしい。本当かどうかは知らん、多分ホラだ。にしてもアルマーニとあずきバーの組み合わせはシュールすぎる、「あ」しか合ってねえじゃんか。
撲殺用の鈍器と一部で囁かれるあずきバーを口から抜いて突き付け、茶倉が命じる。
「純金の輝きに至っとらん。こんなん金メッキやん、やり直し」
「理不尽の極み。パワハラ反対」
「接客業は見た目が大事なんや」
「そもそもこのプレート純金製なの?純金じゃねえのに純金装ったら詐欺じゃん」
「ホンマもんの金や、剥がして持ってくなよ」
「溶かして腕時計にしてやる」
「お前の爪剥がれんのがオチや、しっかり溶接しとるさかいに」
「てか何時間プレート磨きやらせんだ、腕が疲れた」
「まだ三十分しかたってないで」
「お前は鬼か」
「ТSSの若き代表・茶倉練や。で、お前は俺に雇われとる雑用係兼助手。上司に要望あるならハッキリ言えや、出方次第じゃ交渉に応じたるよって」
この野郎、俺が逆らえないのを知ってて強気にでやがって。
悔しいかな、俺は茶倉に運命を握られてる。今じゃコイツがいなけりゃ日常生活が立ち行かない。
「ここまだ曇ってんで、気合入れて磨き直し」
「チッ、りょーかい」
「舌打ちは余計」
アルコール消毒液をスプレーしゴシゴシやる。ふと気になって尋ねる。
「どうでもいいがお前が食べてるの俺がコンビニで買ってきたあずきバーだよな」
「せやけど何か」
「いやいやなんで俺の食ってんの?お前の分のハーゲンダッツ買ってきたじゃん」
「口寂しゅうて」
しれっと開き直る茶倉。顔面に雑巾を叩き付けたくなるのをぐっと堪える。額に青筋立て、むきになりプレートを磨く俺の横でインチキ霊能者が嘆く。
「恨むんなら俺やのォて、表札にガム付けてったあくたれを恨め」
ぎくりとした。何故って犯人俺だし。一瞬止まった手の動きを再開、わざとらしく笑い飛ばす。
「ご近所さんにも嫌われてんのか。引っ越しそば持ってかなかったんだろ、どうせ」
「いまどきそばて逆に迷惑やろ。せやけど妙やな、心当たりは上のガキ位やけど背ェ届かんし」
「踏み台使ったんじゃね」
「随分手ェこんだ嫌がらせやな」
ごめん上の階の子、減俸は嫌だ。俺のこめかみを流れる汗を一瞥、茶倉が意味深な目配せをよこす。
「ところで理一。お前、上の階に寄ってから来とるやろ」
「えっ」
「まだ気にしとるんかあの事。しょーもないお人好しやな」
茶倉が腕組みしたままドアに凭れる。
脳裏を過ぎったのは一か月前の出来事、エレベーターで乗り合わせた霊の顔。
こともあろうに茶倉は、俺をおとりに使って悪霊を誘き出しやがったのだ。
その悪霊というのは茶倉の事務所の上、タワマン45階の元住人だった。
幽霊リーマンが茶倉の数珠サックによる右スレートで昇天した瞬間を目の当たりにして以来、どうにも心にひっかかり出勤するたび様子を窺いに行っちまうのだが……
「住人でもないヤツが徘徊しとるて噂んなっとる」
「なんで住人じゃねえってバレたんだろ」
「しまむらで買うた服のせいちゃうの」
「ユニクロだよ。タワマンにドレスコードねえだろ」
「俺はハイブランドで固めとるけど」
「誤解は?といてくれたよな」
「うちのド天然パシリがドジかましてえろうすいませんてごまかしといた、感謝せえ」
「今ので感謝する気失せたよ」
「タワマンも何かと近所付き合いめんどいねん。お前がけったいなことすると上司の俺が白い目で見られる、最悪強制退去」
「回覧板持ってったりすんの?アルマーニで?ウケる」
「お前の隣はギシアンうるさいやろな、苦情来んか?」
「毎日男連れ込んでるみてーに言うなよ、声はおさえてっからそこまでうるさくねェ」
心外な指摘にトーンを絞って言い返せば、「連れ込んどんのは否定せんのかい」と突っ込まれた。仕方ない、アパートの壁が薄いのだ。
プレートの角を神経質に擦り、遠慮がちに提案する。
「やっぱ遺族に」
「見えん連中が信じるかい。頭がおかしい思われるからやめろ」
「けど」
さらに食い下がる俺に対し、眼光が冷え込んでいく。
「四十九日が過ぎて漸く心の整理付けようとしてるのに、よく知りもせん他人がしゃしゃりでてひっかき回すな」
ぐうのねもでない正論に黙り込む。
茶倉の意見も一理ある、俺がしようとしている事は有難迷惑の押し付けだ。
事実45階で見かけた主婦と男の子は仲良く手を繋ぎ、父親を失くした哀しみから立ち直ろうとしていた。
あずきバーをひと齧りした茶倉がシビアな口調で付け足す。瞳には冷めた韜晦の色。
「あっちとこっちと線引きして住み分けるのが上手くやるコツ。越権行為は感心せん」
「事故でいきなり死んじまったんだぞ、本人も遺族も気の毒だと思わねえの?」
まだ納得できず反論する俺に対し、皮肉っぽく笑ってみせる。
「お前な。子どもの頃、横断歩道の白帯から落っこちたら地獄って遊びにハマっとったろ」
「なんで知ってんの」
「成長しとらんねホンマ。せいぜい親切心に付け込まれんようにな」
「茶倉は?横断歩道で遊んだことねえのかよ」
「現実で間に合うとる」
議論は平行線を辿って口論に至る。発言の真意を問いただそうと口を開いた矢先、44階に到着したエレベーターが澄んだ音をたてた。そろって振り向く。
「すいません、こちら『tyakuraスピリチュアルセラピー』さんでお間違いないですよね」
新たな依頼人の登場。ふくよかな体型の中年女が、ハンドバックを抱えて俺たちを見比べている。
「いらっしゃいませ、ようこそ『tyakuraスピリチュアルセラピー』へ。代表の茶倉練です、よろしくお願いします」
「まあまあご丁寧にどうも」
「むご!?」
食べかけのあずきバーを口に突っ込まれた。そのまま流れるような動作で女性に名刺を渡し、事務所へと招き入れる。依頼人をリビングに送り込んだ茶倉が、俺に向き直るなり愛想笑いを拭い去って命令。
「理一。茶」
ブチ殺してえ。
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