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4
露天風呂は渡り廊下の先にあった。
紺の暖簾を分けて更衣室に入り、脱衣籠に脱いだ服をぶちこむ。がらぴしゃと曇りガラスを嵌めこんだ引き戸を開けると、濛々と湯気が漂い出た。俺以外にも4・5人先客がいる。
「ふー……」
きちんとかけ湯をしてから肩まで沈み、空を見上げる。
男湯の中にはゴツゴツ切り立った岩が聳え、斜めに傾いだ樋から湯が注ぎ込んでいた。竹垣の仕切りの向こうには女湯があり、楽しげな嬌声が聞こえてくる。
……二人で温泉入るの、ちょっとだけ楽しみにしてたのに。
「こっちは全部まるっと見せてんのに、ずるくね?」
十年来の付き合いで今さら恥ずかしがる仲でもなし、茶倉の考えることはよくわからねえ。
それはともかく、風呂で足を伸ばせすのは久しぶりだ。とろみを帯びたお湯の肌触りが癖になりそ。
「あっ」
よそ見したはずみに額にのせてた手ぬぐいがぼちゃんと落ちた。ふわふわ漂い流れてくのを追っかけりゃ、坊主玉の爺さんがとってくれた。
「どうぞ」
「すいません、助かりました」
「おや珍しい。最近は変わったアクセサリーが流行ってるんですね」
爺さんが俺の右手に目をとめる。数珠が興味をひいたらしい。
「いえ、これは友人からの借り物で」
「ご友人はお坊さん?」
「じゃないんすけど、拝み屋みたいな事やってます」
「ああそれで……ということは、君も霊感がある方?」
「実は。霊に突かれまくっておちおち外出もできないんです」
思いがけない所で話が弾む。温泉で会った爺さんはどうやら福来館のリピーターらしい。
座敷童子の情報を入手するチャンスと見て、色々突っ込んだ質問をしてみる。
「座敷童子を目撃された事は?」
「三十年位前に一度だけ。偶然この宿で一番いい部屋に泊まる事ができまして」
「どんな子でした?」
「赤い振袖の女の子でしたね。おかっぱ頭の……年は七歳位かな?市松人形みたいで可愛いらしかったのをよく覚えてます」
え?
「待ってください、おかっぱで間違いないですか?」
「ああ……それがどうかしたかい」
爺さんが怪訝な顔をする。俺は「いいえ」と言葉を濁し、大人しく湯に浸かり直す。
女将が見せてくれた画像の少女は五歳程度、白っぽい洋服を着ていた。何より髪の長さが違うじゃないか。座敷童子が二人いるなんて聞いてない。
「っと、のぼせちゃいそうなんでお先に。お話できて楽しかったっす」
「君も会えるといいね」
話を切り上げて温泉を出る。浴衣を羽織って帯を締め、部屋へ帰る間も頭は混乱していた。
三十年前にいた座敷童子と今目撃されてる座敷童子は別人?いや待て、そうともいいきれないぞ。髪が伸びて着替えただけかもしれない。待て待て、人外のイメチェンってあんの?
考え事をしながら歩いてたせいで、前からきた女将さんに気付くのが遅れた。
「あっ!」
「す、すいません。大丈夫っすか?」
肩が当たった直後、女将さんの和服の懐からはらりと何かが零れる。咄嗟にしゃがんで拾い上げたのは、赤い布袋に包まれた安産祈願のお守り。
「落としましたよ」
「やだわ、お恥ずかしい……」
「ホントすいません気付かなくて。妊娠されてたんですね、おめでとうございます」
当たったのが腹じゃなくてホントによかった。丁寧に埃を払って返し、女将さんの微妙な表情に気付く。
「流れちゃったのよ」
女将さんがお腹に手を添えてポツンと呟き、寂しげに微笑む。
「なのにまだ捨てられないの。未練よね」
凄まじい自己嫌悪に駆られた。よく見ればちょっと古いし、女将さんの腹は全然出てねえ。
「私ったら、お客様にこんな事を話して……ごめんなさいね」
「あ、いえ!俺の方こそ無神経でした」
女将さんが静かに立ち去るのを見送ったのち、廊下に誰もいないのを確かめて反省のポーズ。
「くそー……」
こんな時茶倉なら気が利いたフォローができたんだろうか?てか何だよ気が利いたフォローって、お腹の子どもを亡くしてんだぞ?
痛恨のしでかしを呪って足を踏み出した瞬間、強く裾を引かれた。
「うわっ!」
浴衣を派手にはだけてびたんと転倒。鼻の頭を擦りむいて後ろを見るが、やっぱり誰もいない。
まさに踏んだり蹴ったり、身も心もくたびれはて襖を開ける。
「ただいま~……」
茶倉は浴衣に着替え寛いでいた。ボロボロで帰還した俺をあきれ返った顔で出迎え、一言。
「帯の締め方ちゃうで」
「いいよ。見せんのお前っきゃいないし」
「ちょっとは見栄張れ」
有無を言わさず呼ばれ、渋々前に進み出る。
茶倉が対面に立ち、自分の帯をしゅるりと抜いて手本を示す。合わせ目から覗く鎖骨と引き締まった首筋が色っぽい。
「やってみい」
「こうか」
「ほんっま不器用やな自分、カブトガニのがまだ物覚えええで」
茶倉先生直伝の帯締め講座でギリギリ及第点をもらうころには、豪華な夕餉の膳が運ばれてきていた。
海の幸山の幸、彩り豊かに贅を尽くした晩餐がテーブルを占拠して涎が止まらねえ。
「うほっ鯛のお頭と刺身だ、いただきます。うめー」
「山菜の天ぷらもイケる。抹茶塩が心憎い」
あちこち目移りして箸を伸ばす間は仕事を忘れ、フツーにごちそうを堪能しちまった。
「ちゃんと噛んで飲まんと詰まらすで」
「おかんか」
意地汚くガッ付く俺とは対照的に、茶倉の所作からは育ちの良さが感じられる。
途中で爺さんから聞いた話と女将が持ってたお守りの話を伝えた。茶倉は器用に海老の殻を剥いて湯がく。
「座敷童子はもとは間引きされた子どもらしい」
「なんで間引きされた子どもが家の守り神になんの?」
「俺に言われたかて知らんがな。せやけど間引いた子どもを縁の下に埋めたら、それが座敷童子になるっちゅー都合ええ俗説があんねん」
「人間て身勝手だよな」
「せやな」
もし福来館の座敷童子の正体がそれなら、嫌だ。箸を咥えて黙り込む俺に、茶倉が悪戯っぽく微笑みかける。
「何?浴衣姿に惚れ直した?」
「たまにはイメチェンも悪ない」
罵倒されると思ったらフツーに肯定されちまいドキリとする。膳が下げられた後は、黒子のようにてきぱきした中居さんが布団を敷いてくた。
「それではごゆっくり」
お辞儀に次いで襖が閉じられた。布団はぴったりくっ付いてる。
「……なあ、俺たちって」
「皆まで言うな」
旅行中のガイカップルって誤解されてるよな、やっぱ。じゃなきゃこの距離に敷かないだろ。
「ほなおやすみ」
「ああ」
茶倉が電気の紐を引っ張り明かりを消す。客室に怪しい暗闇が訪れる。
目がギンギンに冴えて寝れねえ。
「まだ10時じゃん」
「良い子は寝る時間やで」
「暗がりで見る千羽鶴怖ェ……床の間に人形犇めいてる……」
布団をかぶってそっぽを向く。やべー位視線の圧を感じる。俺だけ別の部屋にしてもらえばよかったと後悔したって遅い。恐怖をごまかしたい一心で話題を振る。
「ところでどうやって呼び出すんだ?」
「営む」
答えは簡潔、行動は豪快。
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