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「そろそろ稲刈りの季節です。昔はこの時期になると、農村では学校がお休みになりました。その間、子どもたちは、みんな家の農作業のお手伝いをしたのです。これを農繁休暇といいます」
ここは都会の小学校。五年生の社会科の時間だ。先生が昔の農村の暮らしについて説明している。
ぼくは、のーみん。みんなからは、そういうあだ名で呼ばれている。でも、ぼくは能見さんではないし、下の名前に『の』も『み』も『ん』も入っていない。
それなのにどうしてのーみんになったのかというと、それは小学校二年生のときにまで遡る。
その頃、ぼくは毎日同じ服を着て学校に通っていた。そんなある日、お弁当の日に、ふかしいもを持っていった。
それで、ぼくのあだ名はのーみんになったのだ。
昔の農民みたいに、ひもじい暮らしをしている人、という意味だ。
でも、ぼくの家はそんなに貧しかったわけではない。ただ、ぼくは物を大事にするし、どんな服を着ていようと気にならない。
洗濯も、ジャージみたいな服だったから、一晩で乾いてしまう。ふかしいもを持っていったのは、たまたま前の日に食べたふかしいもが大量に残っていたからだ。
そうしたら、ぼくは農民にさせられてしまった。ぼくはこのあだ名が気に入っていない。
ぼくはなにも間違ったことはしていないと思う。なのにのーみんになった。おかしい。世の中狂っている。
最近、クラスの女子たちは、やたらとおしゃれに気をつかうようになった。鋭く目を光らせて、他人の服装をチェックしている。
男子は、テレビのグルメリポートのまねをして、いっちょまえに給食の味に文句をつけたりしている。
そんなみんなは、今日もぼくのことをのーみんと呼ぶ。どうしてのーみんになったのか、みんなもう覚えていない。
今年から同じクラスになった子でも、のーみんと呼ぶ。先生ものーみんと呼ぶ。
ぼくはのーみんとしか呼ばれない。世の中狂っている。
ああ、いっそのこと、本当に農民に生まれればよかったのだ。そうしたら、いつも同じ服を着て、虫喰いだらけの野菜を食べて、あー、幸せだなって思う。
いつもスーツを着て、農薬まみれの野菜を食べて、はああって、ため息をつくよりも、その方がずっといい。
ぼくは農民になりたい。でも、ぼくが住んでいる街はすごく都会にある。
サラリーマンはいても農民はいない。なんて世の中だ。
「というわけで、学校は明日から農繁休暇となります。また二週間後に元気な姿でお会いできることを楽しみにしています。休みの間、しっかりと家のお手伝いをしてください」
うん?今、先生、変なこといわなかった?
「吉田さんの家では、なにを作っていますか」
「はい。わたしの家は、柿を作っています。休み明けには、大きな柿を持ってきます」
「よろしい。では、佐藤くん」
「うちはジャガイモです。ジャガイモを持ってきます」
「それはいいですね。他のみなさんも、宿題を忘れないようにしてください」
はーい、とみんながいって、授業はそこで終わりになった。みんな帰り支度をして、教室を出ていく。
え?な、なに?なに?
「ねえ、農繁休暇って、どういうこと?」
「やだなあ、のーみん。今年からうちの学校でも、農繁休暇を取ることになったじゃない」
「宿題って?」
「収穫したものを持ってくるのよ」
「みんな家に畑なんてないじゃない」
「田舎のおばあちゃんちにいくのよ」
「わたしの家は、郊外に畑を借りてるの」
「ぼくんちは、マンションの屋上」
驚いた。ぼくはそんなこと、まったく知らなかった。いつのまにそんなことになっていたんだろう!
よくわからないけど、これから二週間のうちに農作業でとれたものを持ってこなきゃいけないらしい。
ああ、困った、困った。今からタネを植えて、育てて、収穫して。でも、家にタネなんてないし、今から蒔いたって、もう遅いぞ。
そのとき、ぼくの頭の中に、教科書で見たある写真が浮かんだ。そうだ、お米だ。お米は今が収穫の時期だ。
ぼくは米びつから、ひとつかみ米を取り出した。でも、うちに田んぼなんてない。狭いアパートで、家族三人寄りそうようにして暮らしている。
河川敷に植えようか?だめだ。あそこはいつも野球をしたりサッカーをしたりしている。踏みつぶされてしまうぞ。
うーんと考えて、一つだけ見つけた。
ぼくはスコップを持って校庭にいった。学校は休みだ。二週間、ここには誰も入ってこない。ナイスアイデア。
ちょっと土を掘って、バラバラと米を入れる。そっと土をかぶせて、じょうろで水をやった。
ああ、よかった。これで一安心だ。ぼくはほっとして、その日は眠りについた。
ところが。朝起きてみると、外はひどいどしゃぶり。おまけに風がごうごう唸っている。テレビをつけてみると、なんと台風がぼくの街を直撃していた。
なんてこったい。お米は無事だろうか?見にいきたいけど、これじゃ外にも出られないぞ。
ああ、農民になりたいだなんて、ぼくは考えが甘かったようだ。農民だったら、お天気のことはちゃんとわかってないといけないんだ。
次の日、台風一過の快晴だ。ぼくは不安な気持ちを抱えながら、校庭へと急いだ。
ああ、やっぱり。校庭は、まるでプールみたいに水浸しになっていた。
「ほれ、そこさぼーっと突っ立ってねで、おめも田植えさしてけろ」
え、なに?突然、誰かから声をかけられた。見ると、まるで江戸時代のお百姓さんのようなかっこうの男の人がいた。
「なーに、ぼやっとしとるだか。はよ、おめも田植えしろ」
と、青い草を手渡される。
「これ、なに?」
「とぼけたこといっとるでね。苗が。田植えさせんと、おまんま食えんようになるが」
「これを植えるの?」
「おめ、農繁休暇さもらってきたが」
「ぼく、お米を蒔いたんだけど」
「おめ、なーんも知らんが」
お百姓さんが教えてくれたことによると、お米というのはタネをそのまままくのではないらしい。苗を育てて、それを田んぼに植えるんだとか。
「うわーっ、腰が痛い」
それから、ぼくは田植えを手伝わされた。腰を屈めて一本ずつ苗を植えていく。これが思ったよりも大変で、ぼくはすぐに音を上げてしまった。
お百姓さんは弱音も吐かずに根気よく植えていって、カラスが鳴く頃には、校庭は青い苗でいっぱいになった。
「まんず、まんず。明日はお天道さまがのぼったら、またこ」
「えーっ、明日もあるの」
「農繁休暇でねが」
次の日、ぼくは思いっきり早起きして校庭にいった。でも、お百姓さんはもう待っていた。
「さ、虫取りするだ」
「えっ、虫かご持ってきてないよ」
「なーにいっとるだか。虫捕りでねで、虫取りが」
昨日に比べて、稲は少し成長していた。でも、大きくなればその分、虫もつく。その稲についた害虫を一匹一匹取り除いていかなくてはいけないらしい。
「ふーっ、もう勘弁して」
ぼくは勘違いしていたが、これが本当に大変で、虫捕りのように楽しいものではちっともなかった。くたくたになって夕方家に帰ったのである。
次の日も朝早くから働いた。今度は草取り。稲の間に生えてきた雑草を抜いていく。
「ねえ、機械でばーっと抜いちゃおうよ」
「細かいところの草は機械なんて使えんが。一本一本、丁寧に取るだぞ」
次の日は肥やり。
「うわー、くっさーい」
「おめのだが」
え、うちのトイレから汲みとったの?いつのまに。
次の日も、その次の日も、ぼくは早起きして校庭に向かった。毎日なんらかの仕事があって、くたくたになってしまった。
「どだ、おらたち百姓の苦労がわかっただか」
「うん」
そしてむかえた最終日。校庭にいってみて、ぼくはあまりの美しさに息を飲んだ。
「うわあ…」
そこは、見渡す限りの金の海。黄金色した稲穂が、一面を埋めつくしていた。
「さ、収穫だ。しっかり働くだぞ」
お百姓さんは最後まで厳しい。ぼくの体ももうボロボロ。でも、もうひと踏ん張りだ。
「あ、あれ?この稲、おかしいよ」
「なにがおかしいことがあるか。宿題だったんだろ」
だって、稲の先についていたのは、お米じゃなくて、教科書だったんだから。
お百姓さんは大量に実った教科書を刈り取ると、ぼくの前にどーんと置いた。
「今年は豊作だ。しっかり勉強して、立派なサラリーマンさなるだぞ」
え、え?おかしいよ。これじゃ宿題にならないよ。狂ってる。世の中狂ってるよ!
教科書の山に囲まれて、ぼくはなにも見えなくなった……。
「……さん。のーみんさん。宿題はやってきましたか」
うん?これは、先生の声?
はっとして気がつくと、ぼくは教室の中にいた。
「あ、こ、こんなものしかとれなくて」
教科書を差し出す。そこにはよだれがついていた。
「いえ、教科書じゃなくて、ノートを見せてください。昔の農村の暮らしについて、まとめてくるように、宿題が出ていましたよね」
「え、宿題って、それでよかったんですか。ぼく、お百姓さんの手伝いをしていたんです。校庭でお米を作って、米作りって、本当に大変で…」
「ほう、校庭で?」
窓の外を見る。田んぼなんて、どこにもない。いつもの都会の小学校の狭い校庭だった。
「のーみん、夢見てたんじゃないのー?」
誰かがいって、どかーっとクラスが笑う。
ああ、宿題。田んぼもない。お百姓さんもいない。やっぱり世の中狂ってる。
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