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温かい麻婆豆腐がお腹を満たすと、とても幸せな気持ちになった。
傘を差しながら、泣き出しそうな喜びに満ちて、大雨の中を歩いていく。
家に帰るころにはまた服は冷たく濡れていた。靴は中まで水が染みこんで、つま先までぐっしょりと濡れている。
それでも嫌な心地一つしないのは、先ほどまで触れていた良縁のおかげかもしれないと思う。
幸福だった。
今日はとても幸せで、こんな日くらいは自分に、優しくしてもいいだろう。
酒に呑まれたまま、横になる父を確認する。もう既に深い眠りについているらしい。
私は音を立てない様に台所に向かうと、包丁を持ち出した。
優しい感情を胸に秘めたまま、眠っている父の前に立った。
幸せなままの気持ちで、全部終わらせたいな。
私は包丁を右手に持って、高々と振り上げた。
すると、右のポケットから、一枚の紙がひらひらと落下した。
『絶縁代行 ブレックファースト 代表 雨瀬 仁』
「……いつの間に」
名刺を拾い上げると、その裏面には、先程まで一緒にいた赤髪の男の手書きの文字が書き連ねられていた。
『馬褒凛子、俺はお前に会えて嬉しいよ!』
刹那、包丁を持つ手から、立ち尽くした両足から、噛み締めた口元から、一気に力が抜けた。
そして壊れかかっていた涙腺が、大粒の涙を落とし始める。
ぼたぼた、と滴る雫の音は、決して、外の雨音に掻き消えてしまうことはない。
涙はただ真っすぐに、重力に従って落ちていった。
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