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出勤した芹香は、常務である兄に朝イチで確認してもらわなければならない書類を持って席を立った。
しかしノックをして部屋へと足を一歩踏み入れた芹香は、机の前に座ってパソコンを操作している誠吾と目が合い、思わず息を呑んだ。彼も驚いたように固まっていたが、すぐに笑顔を浮かべる。
「芹香さん、おはようございます。秀之に何か用事ですか?」
何事もなかったかのように話す誠吾に微かな苛立ちを感じるが、胸の奥にグッと押し込める。
誠吾はあの頃と変わらず端正な顔立ち、眼鏡の奥の瞳はどこかクールな印象を与える光を帯びており、グレーの細身のスーツと同型色のストライプのネクタイからは、警察官として働いていた頃とは違うスマートさを感じる。
言葉を失った芹香だったが、深呼吸をしてからゆっくりと気持ちを落ち着かせる。その間に笑顔を顔に貼り付けると、剥がれ落ちないよう気を付けた。
「おはようございます。兄に確認してもらいたい書類があったんですが……今は不在のようですので、後でまた伺いますね」
「そうでしたか。秀之なら社長の所に行っているはずですよ」
「わかりました。教えていただきありがとうございます」
なるほど……彼がいじっているのは会社のパソコン。昔は警察のサイバーセキュリティ課に所属していて、今はセキュリティ関連の会社を経営している明智さんがそのパソコンを触っているということは、きっと二人で何かを調べているに違いない。それも社内の何か……。
芹香は胸がツキンと痛むのを感じ、ため息をつく。わかってる……こんなのただのヤキモチ。二人がコソコソ何かをやっているのを見るたびに、除け者にされているみたいで悔しくなるの……今も芹香に悟られないようにしている誠吾の顔を見ながら唇を噛み締める。
その時だった。
「芹香? 何をしているんだ?」
突然背後から声をかけられ、心臓が大きく飛び跳ねる。振り返るとそこには父の弟である副社長が立っていたのだ。彼は不思議そうに芹香を見つめていた。
「副社長! おはようございます」
「おや、常務は不在かね?」
「えぇ、今は……」
「そうか。ちょっと確認したいことがあったのだが、また後にするよ」
副社長の背中を見送りながら視線だけを部屋の中へ送る。しかし机の前に誠吾の姿はなかった。
とはいえこの部屋に逃げ場はない。芹香は椅子が引いたままになっている様子から、誠吾の隠れた場所が容易に想像出来た。
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