それでも世界は廻る

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『お客様にご連絡致します。二十三時四十分頃停車先で人身事故が発生した為、当列車は暫くこの駅で運転を見合わせます。ご迷惑をおかけし申し訳ありません。』 いつもより少し早く帰れる時に限ってこういう事に巻き込まれる。 遅く帰っても嫁も娘も寝床に入り真っ暗な部屋が待っているだけ。そしてまた朝に嫁から遅いだの小言を言われながら家を出るのだ。 最近ちゃんと喋っていない気がする。 仕事上の気を使った話と嫁からの小言を受け流すだけで、俺は誰ともをしていない。 俺が何を考えて感じているのか。 いや、そもそも何も考えていないかもしれない。 毎日朝から夜中まで働いて、休日は寝るか持ち帰った仕事や次の仕事の準備をしている。 よくよく思い返してみると仕事以外に何もしていない。 何故俺はこんなに働いているんだろう。 別にこの仕事が好きだからではない。 周りから受ける何となくの圧力で流されるままに仕事を受けこなしている。 「家族のため」だろうか。 けれどそれもまた自分の意思で「家族のため」に頑張れていないと思う。 いつの間にか結婚して子供が出来て、それには責任も一緒についてきた。 家族を支えるためだなんて綺麗事を、本当の俺は言えない。 電車が止まって十分程経った頃、ポケットの中で携帯が振動し取り出すと朝に聞くはずだった嫁からの小言がメールで送られてきていた。 「今日はもう先に寝ます。ご飯は冷蔵庫にあるから。あと、今日があなたの誕生日だって覚えてる?咲もさっきまで当日におめでとうって言いたいって待ってたのよ。娘の事ももう少し考えてあげて。」 分かってる。分かってるんだよ。 でも、これは俺のせいか?違うだろ? 夜遅くまでの仕事だって、電車の遅延だって、俺の所為じゃないだろ? 言葉にならないモヤモヤと苛つきが「ちっ」と口から漏れた。 やっとの思いで家に帰るとやはり部屋の灯りは消えていて、リビングには誰もいなかった。 ビールを飲もうと冷蔵庫を開けると、メールに書いてあった晩御飯の肉じゃがとオムライスとケーキが入っていた。 なんだ、この組み合わせは。 そう思いながら取り出すとその理由が分かった。 オムライスには「おめでとう」とケチャップの下手くそな文字が書かれていて、肉じゃがのラップには「誕生日おめでとう。毎日お仕事お疲れ様。」と綺麗な文字で書かれたメモが貼ってあった。 そうだ。肉じゃがは俺が好きな嫁の料理で、オムライスは前に娘が嫁と作ってくれた時に褒めた料理だ。 ケーキも一切手付かずの綺麗なホールのまま。 きっと食べたいのを我慢して待っていてくれたのだろう。 俺はこんな事も直ぐに気づけない男になっていたのか。 料理を冷蔵庫から取り出しレンジで温め、口一杯に頬張った。 何も変わっていない。いつも通り嫁と娘は寝ているし、明日も仕事が待っている。 けれど俺の目からは涙が溢れて止まらなかった。 次の朝リビングに向かうと嫁がトーストを焼いてくれているところだった。 「有難う。珈琲は俺が淹れるよ。砂糖なしのミルク多めだよな?」 嫁は少し驚いた顔をして「有難う。」と微笑んだ。 「今日は家で仕事しないことにしたから、咲を連れてどこか行こうか。」 「いいの?仕事忙しい時期なんじゃないの。」 「明日纏めてやるから大丈夫。いつもとはいかないけど、俺も咲と君との時間も欲しいからさ。」 珈琲の香りが立ち込めるキッチンはいつもより居心地が良い気がした。 何となく感じていた圧力も責任も、自分の見方次第で案外良いものかもしれない。
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