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僕は、西東秋(さいとう あき)。
もうすぐ27になる。最近仕事を辞めた。
久しぶりにゆっくり過ごす日々。
テレビを見て、食べて、お風呂に入りゆっくりと布団で寝る。
以前は大手と言われる会社で働いていた。
がむしゃらに、なりふり構わず。それで、倒れてドクターストップ状態だ。アパートで一人暮らしだったが、倒れたのをきっかけに実家に戻った。数ヶ月居たが、落ち着かない。休めない。それを両親に伝えたら、この平屋をすすめてくれた。ただし、条件が出された。
必ず連絡は取れるようにする事、無理はしないこと、だ。ありがたい。
僕は承諾し、引っ越した。
引っ越して数週間たったが、引っ越して正解だった。
気持ちが少し穏やかになった。
明日も変わらぬ、同じような1日を過ごすのだろうと、この日までは思っていた。
翌朝、玄関のチャイムで目が覚めた。
「ん?誰か来た?」
この平屋に引っ越してきて、初めての客だ。
一体誰だ?
僕は布団から起き上がり、返事もせずにゆっくりと玄関のドアを開けた。
「おはよ!って、まだパジャマ?」
聞き慣れた声。
幼なじみの佐東夏(さとうなつ)だ。
「夏、どうしたんだよ。なんで、ここが?」
「秋のお母さんから聞いたの。ここに引っ越したこと。急にごめんね。」
「別に構わないけど…。あ、中に入って。
珈琲くらいしかないけど。」
「さんきゅ。」
僕は一度着替えてから台所に行った。
自分でブレンドした豆。うん、いい香りだ。
「はい。どうぞ。」
「さんきゅ。」と言った後、夏は一口飲むと「やっぱ、秋の珈琲は美味しい。うん。」
夏がやけに素直に誉めるので僕は聞いた。
「僕に何か頼みごと?」
夏はニカッと笑った。彼女のいつもの笑顔だ。
「さすが、秋!」
「何が、さすが、だよ。で?」
「実はこれなんだけど…」と言って、夏は鞄からゴソゴソと取り出したのは、茶色の紙袋。
夏はそれを僕に渡した。僕はゆっくりと袋を開けて中身を確認する。
「何?これ。」
「種。花の種よ。貰い物なんだけど、私こうゆうのダメで。絶対、枯らしちゃうから。でも、捨てるっていってもね。だから、秋にお願いに来たってわけ!ほら、ここ花壇もあるし、ね!お願い!」
「僕だって花なんて植えたこともないし…。花壇も使ってないし。しかも、こんなに沢山。」
「秋なら器用だし、ね!今度必ずお礼はするから!!」
夏は両手をあわせるお願いポーズをしてこちらを見ている。昔から人に頼み事をするのが上手いやつだな。
「枯らしても知らないから。で、どんな花が咲くの?」
「秋、さんきゅ!感謝、感謝!
でも何が咲くかは分からない。」
「え?」
「ま、咲いてからお楽しみってこと?」
それから、15分くらい話した後で夏は帰った。
帰り際に夏は「秋、さんきゅ。」とお礼を言って、ニカッと笑って帰った。
まったく、嵐のようなやつだな。
それから一週間後だった。夏が事故に遭ったと両親から電話が来た。何でも道路にいた子猫を避けようとして車とぶつかったらしい。
僕はすぐに病院に駆けつけた。病院には夏のおばあさんがいた。面識はある。夏の両親は小さい頃に亡くなっているので、身寄りはおばあさん一人だけだ。
「あ、ご無沙汰してます。秋です。夏は?」
おばあさんは深々と頭を下げて
「秋くん、ありがとうね。まだ目が覚めなくてね。お医者さんはいつ目を覚ますかは分からないって…」と言いながら涙を流した。
「そ、そうですか…。僕は先週会ったばかりで…。大丈夫。夏なら、絶対。」
おばあさんはただただ頷いた。
僕は30分くらい居ただろうか。
あまり長居しても申し訳ないので、また来ます、とだけ言って帰宅した。
家に着いてすぐ、僕は珈琲を淹れた。
一口飲んで、ふ~と一息。マグカップを持つ手が少しだけ震えている。
「大丈夫。夏なら。」
僕は言い聞かせるように唱えた。
ふと、庭の花壇に目をやる。先週、夏が帰った後で花壇をキレイにして種を植えた。
最初は面倒だと思ったけど、やれば結構楽しい事を知った。まだ全然芽も出ていない。
僕は医者じゃないから夏を治す事は出来ない。
ただ、今僕が出来る事は、この花を枯らさない事、かも知れない。
この花が咲く頃にはきっと、夏も目を覚ます。
「花が咲いたよ。」と伝えると、夏はきっと
ニカッと笑って「さんきゅ。」といつものように言うに違いない。
僕はそう信じて今日も花に水をやる。
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