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助けを求める縄文時代の蝋人形
小学五年生の頃、お父さんに連れて行ってもらった縄文資料館。土器や土偶などの展示物も面白かったけど、それよりも面白かったのは、まるで生きてる人間みたいな縄文人の蝋人形。貝殻でできた首飾りをした子供が父親と二人でモリを使って川で漁をする場面。舌を出した柴犬が二人の漁を見守る。愛犬タロを連れてお父さんと一緒に魚釣りに行った時のことを思い出す。
小学六年生になった僕は、もう一度縄文人の親子を見たくなって縄文資料館まで一人で遊びに行った。車じゃないといけないくらい遠い場所だったけど、自転車に乗って二時間、小学校生活最後の冒険。
「こんにちは、チケットください」
この前はお父さんと一緒に来たからわからなかったけど、受付のおばちゃんが子供は無料だと教えてくれた。得した気分で展示室に向かう。資料館の展示室は五つのゾーンに分かれていて、最初のゾーンは土器や土偶が展示してある。
この日は運動会の代休で月曜日。お客さんはほとんどいなくて、僕一人の貸し切り状態だった。後ろの人を気にせずにゆっくりと土器や土偶を見る。見れば見るほど不思議な模様。そして、ただ糸に貝殻を通しているだけのシンプルな首飾り。これなら僕でも作れそうだ。
次は、お待ちかねの縄文人の暮らしのゾーン。ここに漁をする親子の蝋人形がある。これを一番楽しみにしていた。
でも、ちょっと怖い。あの時はお父さんもいたし、お客さんもたくさんいたから怖いなんてまったく思わなかったけど、今日は僕一人で来たし、お客さんもほとんどいない。目の前にあるのはまるで本物みたいな蝋人形の縄文人の親子。生きているみたいに見えるけどピクリとも動かない。笑顔のまま固まっている表情がなんとなく怖かった。突然くるっと僕の方を振り向いて話しかけてきたらどうしよう。
「ボタンを押すと自動で案内が流れるから、押してごらん?」
突然僕に話しかける声がして、心臓が止まりそうになるほど驚いた。振り向くと、優しそうなおじいさんが立っていた。首には蝋人形の子供と同じ貝殻の首飾りを下げていて、腕には『案内ボランティア』と書かれた腕章をつけていた。館内の案内をしてくれるボランティアの人みたいだ。
蝋人形がしゃべったかと思ってビックリしたけど係の人で安心した。僕は黙ってうなずいてボタンを押した。
『縄文人は漁をする際に使用する釣り針やモリを動物の角や骨でつくりました。縄文人はいろいろな種類の魚を……』
女の人の声で縄文時代の漁の説明が始まった。すぐに終わるかと思ったら意外と長い。ところどころ難しい内容もあったし、だんだんと飽きてきた。でも案内のおじいさんが後ろで僕を見張ってるから、最後まで聞かないと怒られると思って我慢していた。
しばらくして、やっと終わったと思ってうしろを見ると、案内のおじいさんはいつのまにかいなくなっていた。どうして案内のおじいさんは何も言わずに去って行ってしまったのだろう。また一人になったと思ったら急に心細くなった。しかも流れていたBGMも消えて、照明も少し薄暗くなったような気がする。さっきまでと様子が変わって、まるでお化け屋敷にポツンと一人残されたような気持ちになった。
「どうしよう、なんだか気味が悪いよ……」
その時だった。
「おい、そこにるのは神様だろ。僕たちを助けてくれよ!」
またしても、どこからともなく大きな声がしてビクッとした。でも子供の声だったから、学校の友達が資料館へ遊びに来たのかと思って後ろをゆっくりと振り向いた。しかし、僕の後ろには誰もいなかった。
「どこから声がしたんだろう」
展示ブースの隅から隅まで見渡しても、ここにいるのは僕一人だった。
「ここだよ、はやくこっちにこいよ」
「……!」
さっきまでピクリとも動かなかった子供の蝋人形が、突然わっと走りだして目の前までやってきて、僕の腕を引っ張った。あまりに突然過ぎて声も出ず、逃げ出そうと思っても足がピクリとも動かなかった。
「ずっと神様が来るのを待ってたんだ」
そう言って子供の縄文人は僕の腕をぎゅっと強くにぎって、隣のブースにある竪穴式住居のレプリカの中へと無理やり僕を引っ張りこんだ。僕と同じくらい小さな体なのに、クラスで一番力持ちのサスケ君と同じくらい腕の力が強かった。
「ちょっと待ってよ、僕が神様? ていうか僕は君のことを知らないよ。名前なんていうの?」
「おいらの名前はホッケ。今日こそは家に帰さないからな」
「それは困るよ! 暗くなるまでに帰らないと怒られちゃう……」
ホッケは何も聞こえなかったかのように、神様を捕まえたといわんばかりの得意げな顔をしていた。そして、僕の腕をつかんだまま、竪穴式住居にあいた窓のような小さな穴から外を見て言った。
「ほら、神様の言う通り山が煙を吹いたんだ。でも、大人たちは信じてくれなかったんだ」
ホッケの頭越しに窓の外を見ると、ここは縄文資料館のはずなのに、まるで本物の景色が窓の外に広がるのが見えた。とてもきれいな青空だった。驚いた僕はホッケを押しのけて窓から顔を出した。そこは森を切り開いたような空き地になっており、今僕たちのいる竪穴式住居と同じような形の建物があちこちに建っていた。そして遠くを見ると、そこには富士山のような三角形をした山があって、もくもくと煙を吐いていた。
「どうなってるの? ここはどこなの?」
様子が変だと思って振り返ると、縄文資料館の展示物もブースも、なにかもかも完全に消えていた。とても怖くなった。
「いやだよ、帰りたいよ。ここから出してよ、帰りたいよ……、わーん……」
「神様なのに泣くなよ。神様にもいろいろなヤツがいるんだな……」
ホッケは困った顔をしていた。すると、僕の泣き声を聞きつけたのか、見知らぬ老人が竪穴式住居の中に入ってきた。
「どうしたんだい、おぉ、珍しい着物……。どこの部族の子か……、まさか、ツボケ族……」
そこにはホッケと同じ布切れ一枚の縄文人の服を着た優しそうなおじいさんが立っていた。ホッケのおじいさんみたいだ。でも、よく見るとさっき資料館にいた案内係のおじいさんに顔がとても似ていた。しかも、同じ貝殻の首飾りをしている。
もしかしたら、おじいさんに頼めば家に帰らせてくれるかもしれない。
「資料館のおじいさんでしょ? 家に帰りたいよ、帰らせてよ……」
おじいさんは優しく微笑んで僕に言った。
「もちろんだとも。いつでも帰ることができるから泣くのはやめなさい」
「え、ほんと? 今すぐ帰りたい! ホッケ、僕を家に帰して!」
しかしホッケはなぜか黙ったまま何も言わなかった。おじいさんは、そんなホッケの様子を心配して、どうして黙っているのかたずねた。するとホッケは怒りだして、おじいさんに向かって文句を言い始めた。
「山が火を噴くって神様が言ったんだ! ほら、見てよ、モクモクし始めたじゃないか! 逃げようって言ってるのに信じてくれないんだ!」
おじいさんは困った表情でホッケを見ていた。ホッケはさっき見たあの富士山のような山が噴火すると思っているようだ。
でも、おじいさんは山が噴火するとは思ってない。というか、山が噴火するということを知らないようだった。
「あれは我々の神様の山。今はちょっと機嫌が悪くて煙を吐いておるが、火など噴くはずがない。火を噴く山など見たことも聞いたこともないわい」
ホッケはおじいさんをキッとにらんで、助けを求めるように僕に言った。
「神様、頼むからあの山が火を噴く話をもう一度してくれよ。おじいさんやみんなに教えてやってくれよ」
ホッケはそういうけど、以前にそんな話をした覚えもなければ、今目の前に見える山が噴火するかどうかなんて僕にわかるわけがない。
「ゴメン、僕にはなにもわからないよ」
「なんだよ、おまえ、本当に神様か……? 神様なら誰でも知ってることだって、この前の神様は言ってたぞ?」
ホッケの話を聞くかぎり神様はたくさんいるみたいだけど、どうも僕はホッケの期待するような神様じゃないようだ。
僕とホッケの会話の様子をしばらく聞いていたおじいさんは、話の意味がよく分からないみたいで、ずっと首をかしげていた。そのうち険しい顔になって僕らの話を遮った。
「それよりおまえはツボケ族の子じゃろ。まだ戦を知らぬほど幼いと見た。どうやって迷い込んだか知らぬが、早く帰れ。でも気を付けて帰らないと村の若い者に矢で射抜かれてしまうぞ。ホッケ、途中まで案内してやりなさい」
おじいさんにうながされて、ホッケは僕をしぶしぶ竪穴式住居の外へと連れ出した。
でも、僕はどうやって帰るんだろう……。
「アソベの森の方へ歩けば家に帰れると思う。途中まで一緒に歩いてやるよ」
竪穴式住居の外はまだ昼間で明るかった。雲ひとつない晴天で、鳥の鳴き声しか聞こえなかった。村人はいるようだけど、家にこもっているのか、川へ漁に出ているのか、ほとんど見かけなかった。たまに村人がいたかと思っても僕と目すら合わなかった。あきらかにみんなと違う格好をしている僕を気にも留めてない様子だった。まるで僕が見えてないみたいだ。
村を出て森の中を二人で歩きながら、ホッケから怖い話を聞いた。ホッケたちの部族が平和に暮らしていたこの地に、ツボケ族という南の方からやってきた謎の部族が侵入してきたそうだ。平和に暮らしていたホッケたちの部族は武器を取って戦わざるをえなくなり、村の人たちはいつもピリピリと警戒しながら暮らすようになったという。
不安と恐怖で暗くなってしまった村の雰囲気が嫌で、ホッケはいつしか今歩いているこの森で一人で遊ぶようになったそうだ。そこでホッケは神様に出会った。そしてその神様がいうには、山は火を噴き、ホッケたち部族の村は炎に飲み込まれ、みんな死んでしまうらしい。
「おまえ、この前来た神様と同じかっこうをしていたから、てっきり神様かと思ったんだ……」
「神様?」
「うん、昔から村には子供の神様が隠れて住んでるって言い伝えがあるんだ。でも、おいらみたいな心の綺麗な人にしか見えないんだぞ!」
「僕は神様じゃないよ、ただの小学生だよ」
「そ、そうだ、この前の神様もショウガク……なんとか言ってた。やっぱりおまえは神様だったんだな? そうだ、神様だ!」
なんとなくわかってきた。縄文資料館の展示ブースで縄文時代の世界に迷い込んでしまった小学生がきっと前にもいて、その小学生がホッケと出会った時に、学校で習った火山の話をホッケに教えたにちがいない。
再びホッケは僕のことを本物の神様だと思いこんでしまった。
「神様、これをやるから……、頼むからずっと一緒にいてくれよ」
ホッケは自分の首にしていた貝殻の首飾りを僕の首にかけた。資料館で見た首飾りとちがって、真っ白く光っていた。ちょっと気恥ずかしかったけど、やっとホッケと友達になれた気がした。
「ねえホッケ、その小学生……、じゃなくて神様は無事に家に帰れたの?」
「わからない、ちょっと目を離したすきに消えたんだ。きっと神様だから消えたり出てきたりできるんだ」
ホッケの話を聞いて安心した。時が来ればきっと僕は家に帰ることができると思ったからだ。でもまだその時は来ない。いつになったらこの世界から抜け出せるのかはわからない。でも、ホッケと一緒に歩きながら話をする時間は楽しい。もう少しここにいてもいいかなと思った。僕の学校の話や家族の話もしてあげたい。サッカーや野球も教えてあげたい。きっと聞いたこともない遊びだから喜んでくれるに違いない。
そんなことを考えていたら、ホッケが僕のズボンを指さして目を丸くした。
「なあ神様、それだよ……。その腰のあたりから出てる布キレと同じものを、この前の神様も持っていたんだ」
ホッケが指さしたのは、ズボンのポケットに丸めて差し込んでいた縄文資料館のパンフレットだった。
「あぁ、これ、パンフレットだよ……、あ、まさか!」
僕は思い出した。このパンフレットには僕の住んでる青森の歴史がイラスト入りで書かれていたことを。そこには岩木山が噴火し、古代その麓に住んでいた部族の村が溶岩にのまれてしまったという言い伝えが書かれていた。ホッケたちの村を遠くから見守るようにそびえていた山、あの煙を吐いていた山のかたち。どこかで見たことがある山だなと思ったら岩木山だった。
「ホッケが死んじゃう」そう思った僕は急に目にいっぱいの涙があふれてきた。
「ホッケ、思い出した。山が火を噴くんだ。これを見てよ!」
僕はパンフレットに書かれている岩木山が火を噴いて、真っ赤な溶岩が村を襲うイラストのページをホッケに見せた。ホッケはそれを見て顔をゆがめた。
「おじいさんたちを連れて早く逃げよう。僕も一緒に頼んでやるよ。ホッケの村に戻ろう!」
「や、やっぱり神様の言う通り山が火を噴くんだな……」
その時だった。ゴゴゴという音とともに、岩木山から大量の噴煙が舞い上がった。まるで山の頂上に爆弾でも落ちたかのようにキノコ雲が空高く広がっていく。テレビやインターネットで見慣れた山の噴火の様子だったけど、本物を間近で見るのは始めてだった。目の前で見ると、こんなに怖いものだなんて思いもしなかった。でも、僕以上にホッケは震え上がっていた。足が完全に止まってガクガクと震えていた。
「あわわ、山が怒ってる。おいら、あんな山は初めて見た。黒いモクモク……化け物だ……」
「ホッケ、あれは山が噴火する時の合図だ、村が焼かれて、溶岩に飲み込まれちゃうんだ!」
「フンカ? ヨウガンってなんだ? 村が焼かれちゃうって?」
「いいから早く、早く戻って村の人を助けに行こう!」
僕とホッケは来た道を全速力で走った。噴煙がみるみるうちに青空を覆っていく。とてもゆっくりだけど着実に噴煙は広がっていく。そのうち太陽が隠れて、僕たちが走り抜ける森の道もどんよりと暗くなった。今はまだ煙だけど、そのうち溶岩を吹き出すかもしれない。そうなったら僕とホッケも死んでしまうかもしれない。
息が切れるほど走り、やっと森が開けてきたと思ったら、さっきまでいた竪穴式住居の集落が見え始めた。広場に向かうと、大きな噴煙を上げてゴウゴウと唸る山を見上げながら、たくさんの村の人たちが心配そうな表情を浮かべていた。
「おや、ホッケ、そしてツボケの子も……」
そこにはホッケのおじいさんもいた。僕とホッケは大声でおじいさんに伝えた。
「早く逃げて! 山が火を噴くよ!」
「山が火を噴くなんて、まさか、そんなことがあるもんか」
ホッケは泣きながらおじいさんに訴えかける。
「本当だよ! 信じてよ! ほら、神様もそう言ってるんだよ!」
「神様って、この子はツボケの子じゃろ? お、おぉ、消えていく……まさか本物の神様じゃったのか……」
「ホッケ、おじいさん、これは本当だよーっ! はやく逃げてー!」
僕は思いっきり叫んだ。涙声だったけど、今まで生きてきて一番というくらい大きな声を出したつもりだったのに、なぜか声にならなかった。おじいさんはゆっくりと僕の視界から消えていった。いや、おじいさんだけじゃない。ホッケも、村人も、噴煙を上げる山も、縄文時代の風景がなにもかもゆっくりと僕の視界から消えていった。
気が付くと、僕は縄文人の暮らしのゾーンにいた。説明ボタンの前でボーっと立っていた。目には涙が溢れていた。女性の声で縄文時代の暮らしの説明の自動音声が流れていた。
『……縄文人たちは、こうして平和に暮らしていたのです』
自動音声が終わると、背後から声が聞こえた。
「はい、おしまい。縄文時代の人たちは、自分たちで漁をして自給自足の生活をしていたんですね」
案内係のおじいさんだった。
まるで狐につままれたようだ。夢を見ていたにしても、あまりにもリアルだったし、しかも、ずっとここで立っていながら夢をみるなんてありえない。この前お父さんとここへ来た時にこんなことは起こらなかった。
「さあ、次の展示を見に行きましょう」
「あ、あの、僕は今、縄文時代に行ってきたんだよ。本当なんだ……」
僕がそう言うと、係のおじいさんは笑っていた。そして僕の首もとを見て言った。
「おや、その貝殻の首飾り、おじいさんと同じ首飾りだね」
ハッとして首もとを見ると、あの時ホッケからもらった貝殻の首飾りが僕の首にかかっていた。さっき見たのは夢じゃなかった。
ふと縄文人の子供の蝋人形をみると、さっきまで首にかかっていた貝殻の首飾りが消えていた。
「ど、どうなってるの? ぼ、ぼく取ってないよ! これは、ホッケからもらったんだ!」
おじいさんは笑っていた。
「そうだね、キミは最初から首にかけていたね。さあ、次の展示を見に行きましょう」
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