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「いっつ……」
堪らず後方に距離を取る。痛みの波は引かないままじわりと熱を帯び始める。
幸いにして傷は深くない。爪先で済んだから良かったものの反応が遅れてたら内臓が出ちまうとこだった。
顎に手を添え師範代は首をごきりと鳴らす。
「懐に入り込んだのは見事だった。ただ狼の顎の力を甘く見たね」
ダメージを引きずっている様子はない。くそっ、やっぱり人間とは体の構造が違い過ぎる。
鋭い爪で血が滲む俺の腹部を差し、
「痛むだろ、その傷。大人しく言う通りにしてくれたら余計な怪我はしなくて済むんだよ」
反抗の意思表示の代わりに、地面に唾を吐き捨てた。
「どのみちバットでボコすんだろ?ならいくら怪我してても関係ねーよ」
「聞き分けが悪いな。稽古の時はあんなに素直でいい子だったのに」
頭を左右に振り、残念がっているその姿が俺の神経を逆撫でする。
「……うるせぇよ」
教えを請い、何も知らずに尊敬し続けた自分に腹が立つのではない。
ただこうして敵意を持って向い合っているの現状が、そうせざるを得ない状況に陥っている事実が、どこまでも悔しくて堪らなかった。
「てめぇのこと、もう師範代だなんて思ってねーから」
言葉をもって自分を騙す。口にしてしまったら訂正は効かない。
自ら退路を断つ。怒りで甘さを塗り替える。
師範代は俺の罵倒を染み込ませるようにゆっくり目を閉じた。
「そうか」
たった一言、師範代は呟く。
開眼。黒い毛で覆われた瞼の奥に潜むのは魔物の目だった。
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