クレヨン

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クレヨン

 創作仲間達とアトリエにしようと、格安の中古物件を購入した。  市街地から車で三十分以上掛かってしまう立地ではあるが、とにかく安かった。安すぎて内見するまではどんなに酷い物件なのかと相当な覚悟が必要だった程だ。  つまり、少し高い中古車くらいの価格で二階建て庭付きの一軒家が買えてしまったのだ。なにか裏があるのではないかと疑いたくもなる。  案内を担当してくれた不動産会社の職員によると、過疎化が進みすぎていて、出来ればこの地域に住んでくれる人に販売したいからと格安で販売されているらしい。購入の条件に、冬場の雪かきへの参加や夏祭りへの参加が義務として追加されていた。が、男五人で住んでも問題なさそうな物件だった。  仲間達に相談したが、最早住んでも問題ないような物件と言うこともあり、ほぼ即決で購入してしまった。  一階のリビングらしき十二畳間と和室の六畳をギャラリーにし、ダイニングキッチン横の寝室を仮眠室にすることで合意した。つまり来客対応と生活は一階で済ませ、作品制作は二階で行うことにしたのだ。  水回りはリフォーム済みでとても綺麗だったし、一階二階の両方に風呂とトイレがあるのもまた便利だった。  二階は六部屋あり、それぞれが一部屋ずつ自分の作品制作に使える部屋として、もう一部屋は資材置き場で合意した。  羊毛フェルト作家の自分がこの集団に所属するのは少し妙だったが、画家や彫刻家など分野の違う人間と一緒に活動できるのはいい刺激になる。  その時の僕はとても期待に胸を躍らせていた。  異変に気づいたのはここでの活動を開始して三日ほど経った頃だろうか。  家事は特に当番もなく、なんなら寝泊まりせずに自宅から通っても構わないこのアトリエで、昼食を用意しようとキッチンに立った。  ついでだからと彫刻家の斎藤さんの分も焼きそばを作り、皿を並べた時だった。  キッチンの床にクレヨンが落ちていた。  緑色の、かなり使い込まれたクレヨンが一本。  富田さんが落としたのかな? なんて思いながら拾う。  富田さんは画家で、専門は水彩画だ。けれども様々な画材を使って絵を描くところを動画投稿サイトに投稿している。絵画講座的な動画だ。  だからそれほど気にならなかった。  斎藤さんと二人で昼食を済ませ、食器洗いは彼に任せて自室に戻る。  今日は依頼されている猫の人形の作業だ。  羊毛フェルト作家への依頼で多いのはペットそっくりな人形を作って欲しいというものだろう。僕の元に届いている依頼は亡くなった猫ちゃん、高齢になったわんちゃん。そして絵本に出てくるうさぎのキャラクター。  本当は自分の好きな作品を作ってそれが売れるのが嬉しい。けれどもそれだけでは食べていけないので個人からの依頼を引き受けている。日々腱鞘炎と闘いながら。  羊毛フェルト作家に腱鞘炎はつきものなのだ。仕方がない。好きな事で生きていくためには多少の犠牲が必要だ。僕の場合は、好きな作品だけを作れないという時間の拘束と健康な手首。それだけの話だ。  数日後、またキッチンの床にクレヨンが落ちていた。  黄色の、これまた使い込まれたクレヨンだった。  おかしいなと首を傾げる。  ここ数日富田さんは来ていないはずなのだ。  またクレヨンを拾う。他に画材を使う人がいただろうかと首を傾げた。  斎藤さんは彫刻家だし、僕は羊毛フェルト作家だ。柳生さんは水墨画だからクレヨンなんて使わないだろうし、石川さんはそもそもデジタルで漫画を書いている。つまり、富田さん以外クレヨンを使いそうな人が浮かばないのだ。  クレヨンを拾い、小さなカゴに入れる。  勝手に部屋に入るのは失礼だと思うので、メモを貼って食卓に置くことにした。  更に数日後、町内会の廃品回収に参加して欲しいと言われ、参加出来そうなのが僕しかいなかった為、泊まることにした。  廃品回収の時間帯に間に合わせるには、自宅から通うのは少し厳しいと感じたからだ。  僕はあまり朝が得意ではない。早起きをしたくないから羊毛フェルト作家になったと言っても過言ではないほどに早起きが苦手だ。  仮眠室の収納から自分の布団を引っ張り出し、そこで眠ることにした。  みんなそれぞれ布団を用意してある。シーツ類もそれぞれ自前の物を用意していて、僕のシーツが子猫柄であることを多少からかわれたりはしたが、わかりやすいので重宝している。  自分がややフェミニンな性格であることは理解していた。  一般的に言う男らしさとはかけ離れている気がしている。けれども女性になりたいとかそういう願望はない。  ただ少しかわいいものが好きなだけで、男性に興味があるようなタイプでもない。  ここに集まる人達は僕のその微妙な部分を理解してくれているのか、興味を持たないのか家族のようにからかったりすることもないので心地よく感じている。  だからだろう。雑務を引き受ける回数が多いような気がするが、それほど不満にも感じていなかった。  石川さんがだらしなく脱ぎ捨てたパジャマとぐしゃぐしゃのままの布団が気になり、シーツ類と纏めて洗濯したのも単純に僕が気になっただけだ。  自分の分を作るついでにみんなの分も食事を用意するのにもあくまでついでだから。  けれども急に斎藤さんにいわれた言葉が気になった。 「高橋くんさ、ちょっとみんなの世話焼きすぎじゃない? 大丈夫? 自分の作品もあるだろう?」  彼は僕を心配してくれていたのだろう。  僕は他のみんなほど締め切りにぴりぴりしないで済んでいる分雑務をする時間がある。 「石川くんなんて高橋くんを母親だと思っているのか随分甘えちゃってるでしょ」  斎藤さんは呆れたように言っていた。  幸い締め切り前だから手伝ってと言われたことはないが、夜食を作って欲しいだとか、ボタンが取れたから付けて欲しい程度のお願いはされたことがある。けれどもそれを負担だとは思っていなかった。  役に立てるなら嬉しい。  純粋にそう思っていたのだと思う。  だからだろう。  夜中に斎藤さんの言葉を思い出して、少し敏感になっていたのかもしれない。  ドンドンとどこかからなにかを叩くような音が聞こえた気がした。  風が強いのかな程度に思っていたけれど、だんだんと音が強くなる。  今日は誰が居たっけ? などと眠たい頭で考えながら、欠伸をして起き上がる。  ドンドンという音は、階段の方から聞こえる気がする。  仮眠室の隣、ダイニングキッチンの妙な位置にある階段は上ってすぐにカーブして二階に続く。  誰かが階段を移動しているのだろうかとも思ったけれど、そんな音でもないようだった。  眠たい頭のまま二階に上がる。  それぞれの部屋の扉には思い思いのネームプレートが掛かっている。僕の部屋だけフェミニンで、女の子の部屋みたいだと言われてしまうが、ヘッドドレスを着けた猫ちゃんのイラストを描いてくれたのが富田さんだという事実を忘れないで貰いたい。勿論、依頼したのは僕だ。  僕の部屋は扉が開いたままで、猫のキャラクターののれんが掛かっている。あまり閉鎖された空間で作業するのが得意ではないので扉は開けっぱなしのことが多かった。  当然、部屋には誰も居ない。  斎藤さんの部屋をノックする。粘土細工のネームプレートは現代アートのようだ。 「すみません、いますか?」  訊ねても返事はない。  そう言えばイベントがあるだかで数日来ないと言っていた気がする。  次に柳生さんの部屋をノックする。牡丹の描かれた水墨画を加工したネームプレートがとても存在感があった。 「すみません、柳生さん、いますか?」  柳生さんは物静かな人で、一度集中すると全く人の声なんか聞こえなくなってしまうよう集中力を持っている。二回ノックをして返事がなければ勝手に部屋に入って構わないと言われているので扉を開けた。  電気は点いていない。つまり留守だ。  そうしている間にもドンドン音が鳴っている気がする。  次に富田さんの部屋をノックしようとして、扉が僅かに開いていることに気づく。これは不在の合図だ。彼は部屋に居るときだけぴったり扉を閉める。集中したいから誰も入ってくるなという合図なのだ。  最後に石川さんの部屋。ネームプレートはコミックアートのアクリル板だ。彼がネット連載している漫画のスーパーヒーローが描かれている。 「石川さん、生きてますか?」  ノックをして確認する。  彼はほぼこのアトリエに住み着いている状態だから、居るか居ないかよりも生存確認が重要だ。 「あー、さとるちゃん……寝落ちしてた……」  大あくびをしながら伸びて、石川さんはこちらを見た。 「あー、また締め切り前、でしたっけ?」 「うん。俺もアシスタントさん雇える身分になりたいけど共同作業が向いてないからやっぱ無理……」  石川さんは隔週連載で漫画を描いている。僕も時々読ませて貰っているが、描き込みが多いのに全部一人で作業しているという。一種の化け物なのではないかと思うけれど、彼の生活を見ていれば超人だとかそういったものよりも、単純に他の全てを犠牲にして創作に打ち込んでいる人なのだと思う。 「それより、さとるちゃんこの時間に居るの珍しいね。どうしたの?」  また欠伸をしなが訊ねられた。 「明日、町内会の廃品回収があるので泊まり込もうかと。そうしたらドンドン音が聞こえたから、誰か居るのかなって」 「今日は俺しかいないかな? 富田さんはしばらく来てないね。昔お世話になった画塾の臨時講師するって向こうに泊まってるみたい」  先生が怪我しちゃったんだってと僕より把握した情報を提供されたことに驚いてしまう。 「しばらくっていつから来てませんでしたっけ?」 「うーん、前の締め切り直後かな? 脱稿したー! って喜んでたらジュース奢ってくれた」  つまり二週間近く前だ。 「あれ? じゃあ、富田さんのじゃないのかな?」 「なにが?」 「クレヨンを拾ったんです。緑色と黄色の。どっちもキッチンの床に落ちていて、てっきり富田さんのだと思ったんですけど、もしかして、石川さんのでした?」  富田さん宛のメモを書いてしまったなと思いながら訊ねると、首を振られてしまう。 「いや。俺デジタルしか描かないから。クレヨンなんて小学校の図工で使ったっきりだよ」 「そう、ですか。じゃあ、ドンドン音が聞こえたのも風が強かったせいですかね?」  他に誰も居ないのだし、石川さんは寝ていたのだ。  その日はそう納得して、眠りに就いた。  翌日、またクレヨンが落ちていた。  赤のクレヨンは今までのどのクレヨンよりも使い込まれていて、小指の先ほどの長さになっていた。  流石に気味が悪いと思う。  どうして誰も使わないはずのクレヨンが落ちているのだろう。  もやもやとしながら廃品回収を手伝い、ご近所さんと麦茶を飲んで解散する。  その帰り道、アトリエの外壁を見るとチョークで描かれた落書きのようなものが目に入った。近所の子供達だろうか。  絵にはあまり詳しくないが、子供特有の多視点画というものだろう。  上手なのだとは思う。けれども一応アトリエの壁だ。現場を見かけたら注意くらいはしようと思った。    ギャラリースペースにはまだそれほど作品が置かれていない。斎藤さんの小さな作品が置かれた展示台の同じスペースに僕の作った猫ちゃんが置かれているという不思議空間が出来上がっているが、柳生さんはまだギャラリーに置く作品を決めていないと言うし、富田さんは貸し出している作品が戻ったら置こうと思っているなんて話していた。  正直なところ、本当にこのメンバーで物件を買ってしまってよかったのだろうかと不安になる。使用頻度やギャラリーの使い方で不公平になってしまわないだろうか。  僕は宿泊することこそ少ないけれど使う頻度が多いし、ギャラリーにも作品を置かせて貰っている。そうなると同じ代金でいいのかと少し申し訳なく感じてしまう。  だからというわけではないが、せめて昼食くらいはみんなの分を用意しよう。  そう思って冷蔵庫を漁っていると、ことんと音が響いた。  なんだろう。  手を止めて足下を確認する。  クレヨン。  またクレヨンが落ちている。  使い込まれた紫色のクレヨン。  一体どこからやってきたのだろう。  気味が悪い。  そう思いながらも拾い上げてカゴに入れる。  これで四本目だ。  なにより、クレヨンが随分古い品に見えるところも気持ち悪かった。  気を取り直して冷蔵庫に戻る。  今日の昼はなにを作ろうか。野菜とスパゲティがあるからナポリタンあたりでいいかななどと考えていると、富田さんが現れた。 「あ、さとるくん、久しぶり」 「お久しぶりです。富田さんも食べますか? ナポリタン」 「いいの? じゃあ、お願い。あ、今石川くん気絶してるよ」  また無茶をして気を失っているのかと呆れつつ、救急車の世話にならないことを祈るばかりだ。 「富田さん、このクレヨン、富田さんのじゃないんですか?」  落ちていましたよとカゴの中のクレヨンを見せる。 「え? いや、僕のじゃないな。これさ、結構前にパッケージが変わって……このデザインだと相当レアだよ今」 「そう、なんですか」  ますます気味が悪い。  とりあえずナポリタンを作ってしまい、食卓に皿を並べる。  それから一応石川さんに声を掛けようと階段に足を乗せた瞬間だった。  ドンドンッ  なにかを叩く音がする。  それは薄い板を叩いているような響きだった。  そして、階段の向こうから聞こえる気がする。 「富田さん、今の聞こえました?」 「え?」 「この向こうからなにか叩くような……」  そう言っている間にも音は激しくなっていく。  壊しそうな勢いで板を叩いている。 「いや……なにも聞こえないけど……」  困惑したような富田さんに信じられないと思ってしまう。  こんなに激しい音なのにどうして。  階段の向こう。つまりカーブの下。  仮眠室との間の空洞と思われる空間から激しい音がする。  試しに壁に触れてみる。コンコンと叩けば確かに空洞があるようだ。  なんのために?  普通、こういう空間には収納でも作るのではないだろうか。  この家は収納が少ないと思っていた。だったらなおさらこの空間は収納にするべきだ。  数カ所叩いてみると、微妙に音が違う。  部分的に素材が違う。  まるで後から塞いだように。 「そんなにそこが気になるなら開けてみる?」 「え?」 「壁紙剥がしてさ、ちょっと壁壊してみて確認したら納得するんじゃない? まあ、修理に使う板はさとるくんに買ってもらうけど、壁紙の代わりに僕が絵を描いてもいいし」  その提案がどんなに有り難かったか。  この先も妙な不安を感じ続けるくらいなら板代で済む安心の方が欲しい。 「お願いします」  僕は工具の扱いなどは得意ではないので余計に有り難い提案だった。  富田さんは頷くと、ナポリタンにラップをかけ、カッターを手に壁紙を剥がし始める。  手慣れていると思った。  壁紙はこんなに簡単に剥がせるのかと感動したくらいだ。  綺麗に剥がされた壁は思った通り不自然な板があった。  収納を後から塞いだように見える。 「これは……狸でも入り込んだかな?」 「ええっ? 狸ですか? この辺だったら出てもおかしくはないですけど……」  動物が入り込んでいるとしたらどこかに穴でも空いているのかもしれない。だとしたら暴れ回ってうるさかったとしても納得できてしまう。 「剥がしてみよう」  富田さんはどこから持ち込んだのか工具を板の隙間に差し込んで、後付けされた板を剥がした。  ばたんとこちら側に倒れる板。  それを見てぞっとした。  だして。  だして。  ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ここからだして。  もうしません。  ごめんなさい。  だして。だして。おかあさん。  クレヨンで何度も重ねられた文字。  子供の筆跡に見えてしまう。  緑や黄色、紫、そして圧倒的に多い赤。  すり減った使い込まれたクレヨン。  一番短かったのは赤だ。 「……これは……」  富田さんが硬直する。彼にも想定外の結果だったらしい。  なにか事件性があるかもしれない。  富田さんに促され、警察に通報した。  不動産会社は説明してくれなかった。けれどもこの家ではもう随分昔に小さな男の子が虐待によって殺されてしまった事件があったらしい。  きっかけはクレヨン。  家具に落書きをしてしまい、折檻として収納に閉じ込められた。  そして、そのまま数日放置され死んでしまったのだという。  警察からすれば既に終わった事件だった。  そして、念のためと富田さんの知り合いのお坊さんにお祓いを頼んだ。  それから塞がれていた収納を棚に作り替えてしまい、その周囲を富田さんが明るくポップな雰囲気に塗り替えてくれた。  正直、まだあの不気味な現象を思い出してしまうことがある。  少なくとも僕はひとりでこのアトリエに居るのが苦手になってしまった。 「さとるちゃんって結構びびりだよね」  石川さんが面白がって言う。 「ま、俺が住み着いてるから怖かったら俺の部屋来ていいよー、俺が寝ないように監視する係として」  そんな言葉に少し救われる程度には、今回の出来事に怯えていたようだった。  正直、このメンバーでこの住宅を購入してよかったのかはまだわからない。  けれども、ひとりで購入しなくてよかったと、こればかりはみんなに感謝している。
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