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四、過ぎゆく秋と、冬の初め-7
観念した父親は、黙って悟の話を聞いていた。悟がところどころクスクスと笑いをもらすたび、居心地の悪そうな表情を浮かべていたが、悟が話の終わりにそう彼に尋ねると、彼は悟に向かって右手を差し出した。
「ああ、分かった。取引だ」
「握手? 紳士だね」
悟は差し出されたその手を握った。初めて味わった父親の皮膚の感触が取引の握手だったら、グレない方がどうかしている。悟はすぐにその手を離した。ビクリとした父親に、悟はまた笑顔を向けた。
「安心して。もうムリに僕を可愛いと思わなくていいんだからね。本当に愛してる家族を大事にしてあげて」
僕にだって、僕を愛してくれてるひとがちゃんといるから。最後に悟はそうつけ加えた。会話の終了の合図に、少し離れたところでふたりの様子を心配そうにうかがっていた父の「妻」に、悟は笑顔で手を振った。
そう。悟は今幸せなのだった。自分には一切構わなかった父が、外で子煩悩ぶりを発揮するのを目にしても、もはや痛くも痒くも感じないほどに。
再び合流する親子を背に、悟は小走りに遼一のそばへ戻ってきた。
「お待たせ!」
遼一の手をつかんで、勢いよく歩き出す。
「悟……」
遼一は何と声をかけたらよいか決めかねていた。悟は上機嫌でつかんだ遼一の手を振った。
「ふふふ。あの男を家から解放してやったぜ。いいことをすると気分がいいなあ」
遼一は黙って悟に手を振られていた。握った手から悟の開放感が伝わってきた。今、悟は、自分を省みなかった空中分解家族の一角から自由になったのだ。自分を愛さない父を、愛する義務はなくなったのだ。
「ふふ……」
悟は遼一の手を握ったまま、遼一の腕にもたれかかった。
「ねえ遼一さん、ごほうびに、遼一さんにメチャクチャに可愛がられたい。早く帰って」
悟はそこで口をつぐみ下を向いた。遼一の手を握ったまま黙って足下を見て歩いていたが、悟は遼一の指に自分の指を一本ずつ滑り込ませた。
「……僕を愛して」
耳まで赤くなっていた。
「あっ……あっ……あっ……」
白い裸身をくねらせて、悟は忘我の境地に漂っていた。意識と無意識の狭間を行きつ戻りつして快楽を紡ぐ、その表情は淫蕩で、かつ清潔だった。
「遼一……さんっ……」
鋭い感覚を求めるその動きは敬虔な聖職者の祈りにも似て、絶え間なく反復を繰り返す。いつもは黙って与えられる感動を待っていた悟だが、今日初めて自分から遼一の器官を求めた。身体の一番深いところで遼一を味わい尽くすべく、細い指が遼一の腹の上でその軽い体重を支えていた。
(悟……)
遼一は身体を起こし、悟の片手を腹から外してその指を口に含んだ。その動きは悟の感覚に大きな波を呼び起こした。遼一が悟のあばらに指を這わせたとき、悟は遼一の首にしがみついて叫んだ。
「ああっ、ああっ、ああ」
悟の全身が大きく痙攣し、遼一を強く締めつけた。苦しげに寄せた眉の下で、淫らに開いた唇が紅く濡れていた。遼一はその唇を吸った。悟の身体から力が抜けた。遼一が唇を離すと、悟はその胸に倒れ込んだ。その瞬間、悟はその身を固くした。
「遼一さん……僕……どうして……?」
悟は自分の身体の異変に気づいて惑乱した。あるべきものがそこになかった。遼一は悟を落ち着かせるように、あやすようにその身体に腕を回した。悟の身体は遼一の器官を捉えて放さない。悟の小さな動きも増幅されて遼一の感覚を刺激する。
遼一はその手のひらで悟の背を支え、身体の上下を入れ換えた。悟の咽がまた甘い声を上げた。
「遼一さん……」
遼一は悟の背を撫でつつ、空いた手で悟の頬をくるんだ。遼一が動くたび、悟の身体は切なく収縮を繰り返す。せわしない呼吸の下で悟は言った。
「僕のカラダ、気持ちいい?」
「悟……」
「今まで抱いた女のひとより、僕の方がいい?」
(悟……)
涙を溜めて尋ねる悟の瞳。それは遼一に、めまいにも似た陶酔をもたらす。
没頭したい。自分の胸の下に組み敷いたこの小鳥に。
「ほかの誰かの話をするな」
「遼一さん……」
「今、俺、お前のことしか考えたくない」
遼一は自分の快楽に没入した。悟は遼一の快楽を受け容れたまま、何度も、何度も痙攣を繰り返した。最後に大きく身体を仰け反らせて息を止めるまで。
遼一は果て悟の身体の上に脱力した。悟は息を吹き返した。しばらくそうしていたあと、遼一はゆっくりと身体を離した。そのままふたりは仰向けに並んだまま、はあはあと荒い息をついていた。
遼一は深く満足した。遼一のこの身で、悟は新たな世界に分け入った。未成年にそんな強い感覚を与えてしまうのは、罪深いことだろうか。
罪なら、罪ごと、受け容れる。
遼一はそう胸に誓った。悟の求めるものは、全て与える。それが罪なら罪でいい。
「遼一さん……」
悟はだるそうに腕を上げ、そろそろと遼一の方へ伸ばしてきた。指が遼一の頬に触れた。
「……スキ……」
その瞳も唇も、夢見るようにうるんでいた。
遼一は寝床から這い出しPCへ向かった。
「さーもそろそろ勉強しろよ」
一応はそう声をかけておいた。テスト期間は始まったばかりなのだ。
カチャカチャとキーボードを叩いていると、奥の部屋で衣擦れの音がした。悟は寝床からシーツをはがして身体に巻きつけ、狭い床を引きずってきた。
「遼一さん、仕事?」
「ああ」
「どっちの?」
「株」
悟はシーツにくるまったまま、椅子の後ろから遼一の肩に腕を回した。
「嘘。もう後場退けたじゃん」
「ちょっと気になる銘柄があるんだよ」
「どれどれ」
悟は遼一の肩越しにPCのモニターをのぞきこんだ。悟の肩からシーツが滑り落ちた。
「ねえ、遼一さん」
「んー?」
「株ってもうかる?」
「うまくやればな」
「遼一さんは、うまくやったの?」
「まあ、そうなるかな」
もちろん遼一も、負けたことは何度もある。が、トータルでは勝ち越しだった。生活費と学費は自分で稼がなければならなかった。親の遺産を元手に突っ込んで商いの桁が大きくなり、そこからは随分仕事がしやすくなったものだった。
「僕にもできる?」
「どうかな」
遼一は画面を新たに開いた。
「何だ。株に興味あるのか?」
「んー。外に出なくてもできるじゃない?」
誰ともつき合わなくてもいいしさ。悟はそうつけ加えた。
その通りだ。遼一も大学に入って居酒屋のバイトなどもしてみたが、株に比べると時間当たり単価が低すぎた。マイナスになることがないのは利点だが、自分には向いていなかった。悟にとっても同じかもしれない。
「遼一さん、教えてくれる?」
「そうだな。ジュニアNISAとかもあるしな」
遼一は振り返った。
「元手は自分で確保しろよ」
悟は、ずり落ちたシーツを辛うじて腰骨に引っかけて立っていた。遼一は呆れた。
「……また、随分エロい格好だな」
遼一の視線を意識して、悟は自分の胸に指を這わせた。
「エロい? そんなに感じる? 僕の身体」
遼一は悪戯っ子をたしなめるように、ずり落ちたシーツを引き上げて悟の身体に巻きつけ、ポンポンと叩いた。
「大人をからかうな」
「からかってない」
悟はそう言って遼一の目を真っ直ぐ見据え、言った。
「遼一さんが僕のセックスに夢中になってしまえばいいんだ」
「悟……?」
「そうすれば、僕はもう不安じゃなくなる」
遼一が引き上げたシーツを、悟はするりと肩から落とした。
「遼一さんを、僕の身体のとりこにしてしまえば」
そんなことを思いついて、それでがんばっちゃったのか、この子供は。さっきの寝床はミイラ取りがミイラになった感じだったが。
「お前はどうだ?」
「え……」
悟はまつげをしばたかせた。
「初めてだったろう、さっきの……」
遼一は悟の頬に触れた。悟は不安げに目を伏せた。
「……うん。僕、どうしちゃったのかな」
そんなことも知らないで、ひとのことをとりこにしたいなどとうそぶいたのだ。成熟と幼さのアンバランスは、この年頃の特徴だろうか。
「あんまり気持ちよすぎたんだ」
男体の神秘だな。遼一はからかうようにそう言った。悟は再び真っ赤になった。
「知ってると思うけど」
遼一はさらに追い打ちをかけるように、悟の耳に吹き込んだ。
「もうずっと、俺はお前に夢中だよ。キレのいいその脳みそも、可愛い仕草も。か細いくせにエロい身体も。メロメロだ」
「遼一さん……」
悟の脚から力が抜け、遼一の足下に膝をついた。
「だからこれ以上、俺をどうにかしようとがんばらなくていい。悟は悟の不安と和解するんだ」
悟は遼一の脚に寄りかかった。
「……できるかな、僕に」
遼一は悟の髪を撫でた。
「ああ。俺のこと、本当に好きなんだったら、できるさ」
遼一は床に波打つシーツを持ち上げ、悟の身体にかぶせて言った。
「さあ、もう寒くなるから服を着て。俺、さーの淹れてくれたコーヒーが飲みたいな」
リクエストに応えるかどうかは、百%悟の自由だ。
悟は衣服を身につけて、台所で湯を沸かした。
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