運命の井戸の底【レミ】

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「身体に結べ。引き上げてやる」  落ち着いた、男の声だった。  言われた通りその紐を脇に通し、ぐるぐると胴体に結びつける。男が紐を引くのに合わせ、井戸の壁をよじ登った。  ようやく地上に顔を出した瞬間、太い男の腕に軽々と持ち上げられる。 「怪我はないか、」 「……お、嬢さん?」  頭に真っ黒なターバンを巻き、漆黒のマントを羽織った、大人の男だった。さっきまで一緒にいた遊牧民とも、また少し違う服装に見える。 「お嬢さんじゃねぇよ! 俺は男だよ!」  その腕の中でジタバタと暴れる。男はそれを気にするようすもなく肩を揺らして笑った。 「……なぁんだ、小僧か。遠くから見たら、女に見えたんだ。なら、嫁にしようと思ったのに」  運命の、女? そうだ、この井戸は――  ゆっくりと地面に降ろされる。周囲を見渡すと、狼に似た獣の死骸があたり一面に散らばっていた。 「……これ、ぜんぶあんたが倒したの?」 「ああ。まったく夜中にひとりで砂漠に来るなんて、命知らずにも程があるな」  男はため息を吐き、地面に転がっていた長剣を拾い上げた。その刃についた血をマントの縁で拭き取ると、腰に下げた鞘に戻す。  その男の顔を見上げた。自分よりずっと背が高い。顎に散らばった無精髭。すっと高い鼻筋。歳はいくつだろう。ルイやユリウスより、もう少し年上かもしれない。  男がふと下を見る。目が合ってドキリとした。夜の中でもわかる、エメラルドに似た緑の瞳――  男が俺の手首を掴んだ。 「血が出てるな。痛むか?」 「……痛い。すっごく」  そう言えば、優しくしてくれるんじゃないかと思った。案の定、男はふたたび俺を抱え上げ、井戸に背を向けて離れた。  近くに馬が待っていた。鞍に括りつけられた袋の中から、ゴソゴソと小さな瓶を取り出す。多分、傷に塗る軟膏みたいなもの。  なぜか子どものように膝に乗せられ、腕と脚の傷に薬を塗られた。いや、どうせ子どもだし、子どもだと思ってるんだろうけど。  薬草の、すうすうとしたいい香りがした。
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