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頁01:「序文に代えて」
当作品には『暴力』『残酷』『流血』といった所謂『過激な描写』が所々に登場致します。(特に7話迄は)
『苦手かもしれない』と予想される方、そして自身には耐性が無いと御理解されているのであれば尚更、この先は自己責任にてお読み下さいます様、御願い申し上げます。
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「生きる実感を得る為に死と隣り合わせにある日常はマトモじゃない、と。まあ確かに一理あるよね♪」
乱暴に掴まれた髪の根元が、地面に吸い寄せられる私の重さに耐えられず痛みという悲鳴を上げていた。
痛みなど最終的には0に戻されてしまうというのになぜ残しておいたのだろうか。
「ただ、ね。オレの世界は別にキミのマトモを必要としてないんだワ。自分の立場、なんか勘違いしちゃったのかなァ?」
蛇の様にいやらしい柔和な笑みを浮かべながら、私の頭を私の髪で吊るす形で雑に掴んでいるその男が細い眼の奥に底知れない暗さを湛えつつ言い放つ。
ともすれば現代女性が好みそうな整った顔立ち、という分類なのだろうが、だらしない出で立ちに無造作に散らかった髪型、しかも毛先は金髪なのに生え際が真っ黒、更に知性も誠実さも欠片も感じられない物言いに嫌悪感が先に立つ。
私は重力のせいで上手く動かせない口を必死に操り、言葉を捻り出す。
「……私は、私が正しいと、思った事を、言っただけ──」
言葉は最後まで言い切れなかった。
不意に後頭部から強い力が掛けられ、顔の中心から地面に叩きつけられたからだ。───重力に引かれ先に地面に落ちた、長年愛用している眼鏡の真上から。
「───────────!!!!」
重力が加わった衝撃による耐えがたい痛みがすぐ傍にある脳に届く。悲鳴の上げ方を一瞬忘れた喉がくぐもった音を鳴らした。
生臭い鉄の味が潰された鼻から喉に、口と肺まで満たしていく。やっとわずかに開けた薄ら紅く染まる視界には、割れたガラスの欠片と、滴り落ちる赤い塗料…いや私の血か。
眼鏡が割れて、更にその破片が皮膚に突き刺さっているのかもしれない。
「───俺な、【正しさ】って価値観嫌いなんだ。虫唾が奔る」
痛みへの反射か自然と横向きに寝転ぶ姿勢となった私の横顔に何かが落ちてきた。
それが彼の足だと分かったのは数秒遅れてだった。ちなみに裸足だ。
圧倒的な屈辱感に、まだはっきりとしない視界で怒りの眼差しを向ける。厳密には姿勢的に彼の姿を視界に捉える事が出来なかったので気持ちだけなのだが。
「【正しさ】って何ヨ? そりゃオレにだって善悪は一応あるけどサ」
女性の顔を素足で踏みつけるのは善悪どちらなのだろうか。
言ってやろうと思ったが口が上手く動かない。
私が何か言おうとしている動きに気付いたのか、顔を踏み付けていた足から重さが消えた。
と、直後に背中に強烈な衝撃。成す術も無く私は数メートル先に転がり飛ばされた。
恐らくは浮かした足でそのまま蹴られたのだろう。
打点が肺の辺りだったせいでうまく呼吸が出来ない。
「───正しければデカい顔で生きててOKで、そうじゃなければ死ねと?」
いつの間にかそこに現れた大きく派手な肘掛け椅子に足を組んで座った彼が、頬杖を突きつつ独り言みたく吐き捨てた。
相変わらず胡散臭い笑顔は能面の様に張り付いていた。これはどちらの笑顔なのだろうか。
重力の枷がいつの間にか解かれようやく動くようになった体を起こし、蹴られた時に一緒に巻き込まれて飛ばされ近くに転がっていた眼鏡を拾って耳に掛ける。レンズは何事も無かったかのように傷ひとつなく、ガラスの破片で切り裂かれた肌も潰されて大量に血を流していた鼻も元に戻っていた。
立ち上がり咳払いを一つ、服に着いた汚れを小さな所作で払い落とす。細胞まで染み付いてしまった一連の動作。
「そうとは言って───」
「じゃあさ」
またしても遮られる。私に喋らせるつもりは無いのだろう。
「キミが言う【正しさ】ってのが本当に正しいとして、よ?」
組んだ足を入れ替える。
「キミが後生大事にしていたタダシイセカイは、それはもう素晴らしき楽園だったんだろうねぇ? 羨ましいなァ」
「…!!」
反論しようとしたが最適な言葉が選べずに詰まる。やっとまともに喋れる様になったのに。
「正しい規律、正しい人達、ああ正しき人生よ…ワタシは毎日が幸福で満ち満ちております~」
手振りを添え演技掛かった口調で諳んじられたその言葉は私の心臓を何度も串刺しにした。
「限りなく死から遠いキミの言うマトモな世界で…キミはさぞかし生きる実感に包まれていたんだろうねぇ。オレの人生に比べたらヒジョーに羨ましい限りだわ」
「……」
足が、手が、全身が震える。怒りなのか何なのか形容し難い感情によって。
開いた手を握り締めたい衝動に駆られる辺り怒りに近いのかもしれないが、必死に耐えた。
───なぜ耐えているのかも分からずに。
「満足ぅ?」
「ひっ!!」
思わず悲鳴を上げてしまった。
いつの間にか背後に回っていた彼の声が耳元で囁かれたからだ。全身が嫌悪感に総毛立つ。しかし彼は構わず二の句を繋ぐ。
「そりゃ満足だよねぇ…。あんな素敵な最期だったんだもんねぇ…」
(次頁/02へ続く)
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