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10
帰りの電車はラッシュアワーも過ぎ、ゆったりと座席に腰掛けることができた。
それでも、まったくのガラガラというわけではなく、車内には数名の乗客がいる。
そう言えば、数日前、この車内で熊田祐介を見つけ、アパートまで尾けて行った。
結局、その後、熊田という男のことは分からずじまいだ。
学生なのだろうか? どう見ても定職を持っている風ではなかった。
もしかしたら、またこの電車に乗り合わせていないだろうかと、真人は周囲を見回してみた。
さすがに、そうそう偶然に同じ電車に乗り合わせるわけもなく、熊田の姿は今日は無かった。その代わりというわけでもないだろうが、由加里がいた。
「な、なにをしてんだ。あいつは」
真人は愕然として立ち上がった。
学校はどうしたんだ? 何でこんなところにいるんだ?
由加里は真人に気が付かず、隅の方ですまして立っている。
真人が意気込んで、由加里の方へ歩きかけたとき、電車がガクンと揺れて駅のホームに停まった。その拍子に真人はモロに仰向けに倒れてしまった。
真人が起き上がったとき、由加里の姿は消えていた。
ハッとしてあたりを見渡すと、由加里はホームの階段を上がって行くところだった。
ベルが鳴り響き、ドアがしまりかけた。ギリギリのところで真人はホームへ飛び出た。
駅員がかけ寄り注意を言い始めたが、真人はそれをやり過ごして、由加里の後を追った。階段を一気に駆け上がると、由加里の姿は無く、改札があった。
改札を抜けて、駅の外へ出てみた。
(どこへ行ったんだ。あいつ)
駅前から真っ直ぐに道が延びていて、その突き当たりに大きな建物が見える。
真人もそれが病院だということは知っている。何故ならこの駅の名前も病院前というからだ。
とすると、由加里も病院へ行くためにこの駅で降りたのだろうか。
病院へ続く道を真人は注意深く、眼を凝らして見つめた。
脇の歩道をヒラヒラと揺れるものがあった。よく見ると人が走っているのがわかった。
「あれだ」
真人はそう呟いた。走っているのは由加里だったのだ。
何をあんなに慌てて走っているのだろう。真人の存在に気付いたからだろうか?
それとも、別の理由か。とにかく、真人も由加里の後を追って走り始めた。
走ったと言っても、真人の鈍足では追い付けるはずはない。しかし、血筋と言うべきか由加里にしたところで、そんなに早くはなかった。
約30メートルの差をつけて、由加里は病院の中に飛び込んだ。真人の存在にはまだ気付いていない。
いったい何をあんなに急いでいるのだろう? 真人は不思議に思った。どこか身体の具合が悪くて、病院に駆け込んだのだろうか。それにしては駆け込み方が元気過ぎる。
ということは、誰かの見舞いだろうか? ここはひとつ、少し離れて様子を見よう。そう考えながら、真人は病院の玄関をくぐった。
そこは、ホテル並の広いロビーになっていた。
数人の患者や見舞い客が行き来している。
突き当たりが薬局になっていて人が沢山並んでいる。その前の角を由加里が右に曲がって行くのが見えた。
真人は慌ててロビーを横切った。折角、ここまで来たのに見失ってしまうわけにはいかない。
あまり、病院の廊下を勢いよく走ってはいけないと思ったので、真人は早足で歩いた。
そして、同じように角を右に曲がった。
「いっ!」
思わず真人は声をあげた。
そこは廊下ではなく、エレベーターだった。
真人の目の前に由加里の顔があった。
「お兄ちゃん!」
由加里は目を真ん丸にして叫んだ。
「や、やあ」
エレベーターのドアが真人の背中で非情にも閉まった。
「何してるの? こんなところで」
由加里は目をパチクリしながら質問した。
まさか、おまえの後を尾けて来たとは言えない。
「そ、それはともかく、お、おまえこそ、何をしてるんだ」
「お見舞いよ」
「誰のだ」
「友達が足の骨を折って入院したらしいの」
由加里は平然として答えている。どうも真人はこの友達と言うのは曲者だなあと感じた。
「お兄ちゃんも誰かの見舞い?」
「え? あ、おれ? そ、そうそう、大学の友人が首の骨、折っちゃってサー」
「ええ! 首の骨?」
「ん? いや、背骨だったかな?」
真人は汗をかいた。
それ以上何かを由加里に訊かれていたら、真人はきっとボロを出していただろう。だが、運良くそのとき、エレベーターのドアが開いた。
「あ、おれ、ここだから」
真人はエレベーターから出ながら言った。ところが、
「私もこの階だわ」と、由加里も同じように降りて来た。
「ああ、そう奇遇だねえ」
真人は引きつった笑いを浮かべた。
「で、病室はどっちなんだい?」
「ええとねぇ、305号室だって聞いたから……」
由加里は壁のフロア案内を見た。
「ああ、こっちね」と右の方を指差した。
「あ、そうか。じゃあ、おれはこっちだからな」
真人は左の方を指差して歩き始めた。
「お兄ちゃん」
由加里が怪訝そうな顔で真人を見つめた。
「そこは、行き止まりよ」
「あ、ああ、そうだっけ。いや、病院てとこはややこしくてかなわん」
「お兄ちゃん、本当に友達のお見舞いなの?」
由加里は疑わし気な目をして真人に訊いた。
「なんだと、それじゃあおれが嘘でもついてるなんて思ってるのか?」
「そうは思いたくないけど……」
由加里はじりじりと真人に詰め寄って来た。
「バカな。じゃあどうしておれがこんなところにいるんだ。まさか、おまえを尾けて来たなんて言うんじゃないだろうな。そんなことするわけがない」
これじゃあ、かえって白状しているようなものだ。
「へえ、面白いこと言うじゃない」
ニヤリと微笑して由加里は、また一歩真人に詰め寄った。思わず真人は後退りした。
そのとき、エレベーターのドアが開き、女性がひとり降りて来た。
その女性は真人を見て、驚いて立ち止まった。
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