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「たの…み…?」真人は、再びいやな予感におそわれた。
「アリサちゃんにオレの想いを伝えてくれ」
「な、な、なにい!」
「こんなこと頼めるのは、オマエしかいないんだ」
「どうして、オレが?」
「オレはこういうことが苦手なんだ」
「あのなあ、ちょっと待てよ。こういう問題は、苦手だからといって人に頼むようなことじゃないよ。自分でだなあ……」
「マサト、聞いてくれ。明日からオレは、国体に向けての強化合宿に入るんだ」
「それがなんだよ」
「オレの肩にはたくさんの期待がかかってるんだ。オレはキャプテンだし、この時期、すべての神経を集中させて練習に取り組まなければいけないんだ。わかるか? オレの辛さが!」
「んなこと言ったってよ」
「たのむよ。この通りだ」
友部はテーブルの上で深々と頭を下げた。
「おいおい待てよ。弱ったな」
真人は思案にくれた。
「合宿が終わってから自分で言いに行けばいいんじゃないか?」
「それが出来ないから頭を下げてるんだ」
「正直言って、オレもそんなことは苦手だよ」
「いや大丈夫だ。キミなら出来る」
友部は変なところで自信たっぷりに胸を張った。
「いい加減なことを言うなよ。彼女にオマエの気持ちを伝えりゃいいんだろう」
「引き受けてくれるのか?」
「仕方ないよ」
「スマン、マサト。恩に着るよ。これで安心して合宿に行けそうだ」
「返事は聞いとかなくていいのか」
「いや、オマエのことだ。きっと上手くしてくれるだろうよ」
「は?」
「ちゃんとまとめてくれるんだろ」
「何が?」
「だから、オレと彼女を…」
「バカなことを!」
「いやぁ、持つべきものは親友だな。やっぱり」
友部は、もう完璧に幸福気分に浸っていて、何を言っても無駄な様子だった。
真人は、悪い夢を見ているような気分だった。
店を出て、路地を右左に曲がる。真人は先を行く友部の後ろ姿を見失わないよう必死に歩いた。
もしもここではぐれたら、この迷路から永遠に抜け出せないのでは、とさえ思ってしまう。
幸い、友部の大きな背中は見失うなと言う方が無理なくらいなので、真人は無事、迷路から脱出できた。だが、そのかわり視界が遮られて、どこをどう通ったのかさっぱり分からずじまいでいた。
駅へと続く繁華街を歩きながら、真人は友部に訊いた。
「どうして彼女を気に入ってしまったんだ?」
「オマエは彼女を気に入らないのか?」
逆に友部が訊いた。
「オレか? オレは考えたことねえな」
「全男性の憧れの的だぜ」
「オレはそんなミーハーじゃないよ」
「彼女のファンはミーハーばかりじゃないよ」
「オマエはそうじゃない、と言いたいわけか?」
「さあな」
真人は左右に首を振った。わけのわからん奴だ、こいつは。「オマエの恋人はラグビーだけかと思ってたよ」
友部はニヤリと笑った。
「それじゃ、マサトの恋人は何なんだ?」
真人より数段きついセリフだった。
真人が慌てて返答に詰まっていると、
「はは、気にすんな。さっきのことはいずれまた話すよ」
そう言って友部は「またな」と手を振り、人混みの中に消えて行った。
飄々としたその歩き方は、まるで恋煩いなどとは無縁のような印象を与える。
そしてやがて筋骨隆々の巨体は駅の雑踏の中へ消えて行った。
それにしても、大変なことを頼まれてしまったもんだ。
一人で歩き出しながら、真人はあらためてそう実感した。
「アリサちゃん、アリサちゃん、か」
そう呟きながら、改札を抜けた。
真人の家はここから二十分程電車に乗って行かなければいけない。
夕方のラッシュ時にかちあうと、身動きとれないほど、混み合ってしまう。幸い、今はまだ少し時間が早いので、そう心配することはない。
それでも、電車に乗り込むと空いた座席は見つからなかった。
仕方なく、真人はドアにもたれて立ったまま外の景色をぼんやり眺めた。
「ウン?」
真人は、ホームを行き来するまばらな人影を、身を乗り出して見つめた。
「……由加里じゃないか?」
妹の由加里がそこにいた。
「何だ? あいつ。それに、ナ、何なんだあの男は……」
思わずそう呟いたのも当然で、由加里は男と楽しそうに腕を組んで歩いていたのだ。しかも、その男というのが、金髪に派手なシャツ、ダブダブのハーフパンツに婦人用のサンダルをひっかけ、細いサングラスといった出立ちで、見るからにマトモとは言えない人種なのだ。
今すぐ飛び出そうとしたが、そのときすでに真人を乗せた電車は動き始めていた。
由加里とその不良じみた男は、真人にはまったく気付かず、楽しそうに笑い合っている。
電車が走り出し、あっという間に二人の姿は見えなくなった。
真人はまだ、信じられない気持ちでいっぱいだった。まさか、由加里の奴がよりにもよってあんな男と付き合っているとは……。
許さないぞ! 兄貴として認めるわけにはいかない。誰が見ても反対するに決まってる。
もしかしたら、由加里はあのヤンキー男にたぶらかされて……。
そぅだ。きっとそうに違いない。いくら生意気だとしても、由加里はまだ世間知らずの高校生に過ぎない。あの男に思うように操られているのだ。ここはひとつ、兄貴として、しっかり妹を悪から守り、立ち直らせていかねばなるまい。
真人は次第に頭に熱が回り始め、手摺りをギュッと力まかせに握りしめていた。
よし、今日帰ったらさっそくみっちりと説教してやらねば。
「ただいま」
玄関のドアが勢いよく開けられた。
時計はすでに午後八時を回っている。
由加里は下駄箱に靴を放り込むと、ズタズタと音を立てて家の中へ上り込んだ。
「コラッ! もっと静かに歩け!」
「ん? 声はするけど姿が見えず。どこなのお兄ちゃん」
「ここだ!」トイレの中から真人の声がした。
由加里は思わず、プッと吹き出した。
「ハイハイ、ではごゆっくり」
由加里は近くにあったほうきで、トイレのドアにつっかえ棒をすると、軽やかな足取りで二階の自分の部屋へ上がって行った。
背後で「コラッ、待て! 開けろ!」とわめく真人の声が遠く響いた。
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