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9
上原がサーブを打ち込むたびに、取り囲んだ女子部員たちの間でため息とも取れる叫び声が上がった。
朝の講義が始まる時間が近付いたのだろうか、いつのまにか、コートの外にも女性たちの姿が目立ち始めた。
さあ、そろそろ引き上げようかと、上原が思ったとに、小山が近付いて来た。
「上原さん、上原さん」
「どうした?」
「来てますよ」
「誰が?」
「吉永真人ですよ」
上原は小山の指差す方を見た。
「いつもは昼からしか来ないのに、どうしたんでしょうね」
真人は構内をブラブラとうろついていた。
アリサの姿はどこにも見当たらない。
校舎の裏手から人の声が聞こえていたので、足を向けてみるとテニスコートが見えた。
しばらく人垣の隙間からコートを覗き込んでみたりしたが、あまり興味は持てなかった。
別の場所を見てみるかと芝生の上に出て、ボンヤリ歩いていると、突然、真人の目の前をヒュッと音を立てて何かがかすって行った。
びっくりして横を向くと、それは校舎の壁に当たって真人の足下へ転がって来た。
真人はそのテニスボールを拾い上げた。
「失敬したね」
声がした。見ると芝生の斜面の下に上原隼人が立っている。
真人はしばし茫然としていた。
「どうかしたのかい? 吉永真人くん」
上原が名前を呼んだので、真人は驚いた。
「これは光栄だね。君のようなスターに名前を覚えられているとは」
皮肉を言ったつもりだったが、上原は面白そうな顔を浮かべて、
「君は有名だからね」と言った。
「1週間前からね」
真人はアリサに自分の名を告げた日のことをさして、そう言った。上原が真人の名前を知っているのは、それしか理由が見当たらない。
だが、上原は相変わらず不敵な微笑みを浮かべたまま、
「朝っぱらから散歩かい?」と訊いた。
この上原という男を真人はどうも好きにはなれずにいた。
「君には関係ないね」真人はテニスボールを上原に投げ返した。
かなり至近距離から強い球を投げたのだが、上原は難なく片手でそのボールを受けた。
「ひとつ教えておこう。彼女を捜しているのなら無駄だ。母親の看病のためずっと病院につきっきりだ」
「看病?」
「ああ、単なる過労だそうだ。君が心配する筋合いではない」
「それでずっと姿が見えないのか」
上原は芝生の斜面をゆっくり登りながら、
「どういうつもりか知らないが、彼女にこれ以上つきまとうのはやめてもらおう」と言った。
上原が真人のそばに来た。真人より数段背が高い。
2人は向かい合って、睨み合うような格好になった。
「君と彼女の関係は?」
真人がそう訊くと、上原は意を得たように、ニヤリと笑い、
「恋人同士さ」と、宣告した
真人は頭を垂れた。
上原は低い笑い声をあげ、
「気の毒だったな。まあ、せいぜい勉学に励んでくれ」と捨て台詞を残し、芝生の坂を降りて行った。
その後ろ姿に向けて、真人は言った。
「分かった。もう彼女には近付かない。知らなかったよ。ナオミちゃんが君の婚約者だったなんて」
上原は芝生の斜面をすべり落ちた。
「あのなぁ……」と振り向いたが、真人の姿はもう見えなかった。
その様子を見ていた小山が、ポカンとして、
「ど、どうしました? 上原さん」と、訊いた。
その頃、ナオミは派手なクシャミをしていた。
「まあ、風邪かしら。イヤだわ」
「ナオミも風邪ひくこと、あるのね」
サヤカが、からかった。
「あら、言うじゃない。さもなければ誰かが噂してるのよ」
「どんな?」
「決まってるじゃない。ステキな王子さまが私を婚約者にしたいって相談してるのよ」
「プッ」思わずサヤカは吹き出してしまった。
2人がこれだけ無駄話に花を咲かせている。つまり、今は授業中なのだ。
「あらっ、ちょっと見てよ。サヤカ」
ナオミが窓の外を指差した。
「あら、あの人」
「吉永真人だ!」
2人は顔を見合わせて叫んだ。
「何してるのかしら? 授業中だというのに」
フラフラと歩いて行く真人を見ながらそう呟いた。一応、授業中であることは2人とも認識していたようだ。
「またアリーのこと探してるんじゃない」
「まさか」
「きっとそうよ。あの手の顔は執念深いのよ」
「でもアリーならいないのに」
「そんなこと、あの男が知るわけないでしょ。いい気味だわ」
ナオミは面白そうに、窓から眺めた。
サヤカは切なそうな表情をして、真人の後ろ姿を見つめていた。
真人は講義を聴く気にもなれず、ブラブラとしていた。
もちろん、上原の言っていた彼女というのはアリサであることは分かっていた。
上原が真人の名前をしっていたのは、アリサから話を聞いたのに違いない。
それはつまり、アリサが真人のことを気にかけていることの現れではないかと考えられる。
さほど、つきまとうというほどのこともしていないのに、上原がああして警戒して来たところを見ると、その件に関しては自信を持っていいだろう。
だが、問題は、上原とアリサが本当に婚約をしているのかどうかというところだ。
もし、それが本当なら……。
真人はため息をついた。あらためて、とんでもない問題を背負いこまされたものだと友部の顔を思い浮かべて睨んでやった。
上原が言ったようにアリサはどうやら休学しているらしい。
アリサのいない大学に残っていてもしようがなかった(?)ので、真人は帰ることにした。
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