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「ねえねえ、水さん。なんで響さんちのベビーちゃんの名前が決まらないか知りたくないですかぁ?」
「愛菜、余分なこと言わなくていいから」
思わず舌打ちしそうになった。危ない、危ない。
まだ愛しの息子を抱っこしているんだ。尊くて清らかな我が子にママの舌打ちなんて汚いものを聞かせたくない。
悪い顔を隠し、すっかり夢の国に旅立った我が子をベビーベッドに寝かせナースに預けバイバイと手を振った。
「こんな面白い話、誰かと共有したいじゃないですかぁ」
「愛菜、余分なことは言わなくていいから。悪い顔して授乳しないの。おっぱいあげてるときは赤ちゃんに集中しなさいよ」
ニタニタと悪い笑みを浮かべる愛菜にまた舌打ちしたくなる。
瑞紀のヤツ、雅田さんに話したな。
どう伝わっているのかわからないけど、おそらくほぼ真実だろう。
オジョウサマの方はすごく聞きたいけど聞けないって顔をして私と愛菜を交互に見ている。
何だか面白そうだもんね、知りたいよね。
でもそこで「教えて」って言えないところがこのオジョウサマのいいところであり可哀想なところだと思う。
オジョウサマはここのオジョウサマでしかもあの館野先生の奥様だ。
どこに行ってもVIP対応をされる地位にいて、特に自分の病院でも特別な目で見られる。
本人の希望がどうであれ自分の病院で出産しなければいけなかっただろうし、いつでも注目されるっていうのは疲れることだろうと思う。
わたしの同期の助産師に聞いたけど、人目を気にしてなのかあの過酷な分娩中でさえ泣き言を漏らさず叫びもせずぐっと耐えていたそうだ。それに気が付いた館野先生がちょっとの間人払いしたらしいけど。
健気というより可哀想。
「じゃあ莉空のおっぱい終わったら教えてあげるよ、ホントに傑作だから」
愛菜は視線を莉空固定したままオジョウサマにそんなことを言う。
どうしてもこの話をオジョウサマにしたいらしい。
なんて奴だ。仮にも私は先輩なのに。
オジョウサマは困ったような笑みを浮かべて私を見るし。
同じ日、同じような時間に初めてのお産をした。しかも顔見知り。
仲間意識、連帯意識なんてものはこうして生まれるのだろうな。同志?
「ねえ、館野さん、愛菜じゃなくて私が面白い話を教えてあげるわ。消灯まではまだ時間があるし、今から談話室に移動してハーブティーでも飲みながら話さない?」
そう言うとオジョウサマの顔がぱっと明るくなった。
「ぜひお願いしますっ」
「うん。私の後輩ナースが分娩中、立ち会い出産の旦那をひたすら罵倒してたって話なんだけどねーーー」
「行こっか」とオジョウサマの背中に手を回して連れ立って授乳室から出ようとすると、「それ、うちの話じゃないですかっ」と愛菜の声が背中に刺さる。
どうせ口止めしても愛菜は私の話をするはずだし、だったら愛菜の話もしてやらないと。
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