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王の選択
輿を降りた先では、大勢の人間が集まっていた。こちらの姿を見た者たちが息を呑んでいる。それから慌てたように、人々はそっと頭を垂れた。
その中で一人だけ、こちらを見つめている男がいた。
磨き上げられた黒曜石のようだ。
岩永姫は目の前の男を見るなり、そんな印象を抱いた。
美しい。その言葉さえ陳腐になる。
それほど、目の前に立っている男は見目麗しかった。柔そうな外見とは裏腹に、鏃のような鋭い雰囲気を纏っていた。その相反する姿がいい具合に調和している。白皙の美貌にキリリとつり上がった双眸がこちらを見下ろしていた。
岩永姫は一目見て、目の前の男に惹かれた。
ああ……この方の妻になるのだな。
どこか漠然としていた理解が、後から追いついてくる。
豊稲国の王――照守王。
岩永姫が妹の咲夜姫とともに妃として嫁いできた国の王であり、仕えるべき夫である。
「山主神が娘、『岩永姫』にございます」
「同じく、山主神が娘、『咲夜姫』にございます」
肩を並べ、妹とともに名乗り上げる。
岩永姫は垂れた頭をそのままに、ちらりと照守王を一瞥した。
妹以外に、これほど美しい人間を見たのは初めてだった。
照守王は貫頭衣の上から袖のある上衣をまとい、色鮮やかな腰巻でまとめている。金の装飾品で飾られた王冠が、陽光を受けて輝く。若いながら、まさしく王者の風格を纏う男であった。
こちらの視線に気づいた照守王が、一瞬眉根を寄せた。慌てて視線を足元へ落とす。
いけない、見とれてばかりいて肝心の挨拶が途中であった。
「豊稲国が偉大なる王、照守王さまのご尊顔を拝謁でき、恐悦――」
輿の中で何度も練習した挨拶を口にする。
すると、照守王本人がこちらの口上を遮った。
「よい、遠路よりはるばるご苦労だった」
照守王はそう言うと、まっすぐこちらに歩み寄る。
そうしてかの王は、迷わず妹の手を取った。
「え……?」
「あ、あの……」
岩永姫と咲夜姫が同時に戸惑いの声を上げた。姉妹は思わず互いに顔を見合わせる。
王の行動に、周囲の家臣たちもどよめいている。
照守王は咲夜姫を立たせる。かの王が岩永姫に顔を向けた。
「貴様はもう帰っていいぞ。山主神には必ずや咲夜姫を幸せにすると伝えろ」
照守王は咲夜姫の手を引き、こちらに背を向けた。
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