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後編 奇跡の供物
いよいよ今夜。
私たちが捧げられてこの村が救われる。
この村では幾度となく繰り返されてきた光景。
「ああ……怖いな……」
私は姉に話しかける。
弱音を吐ける相手など、姉しかいないのだ。
頼れるかどうかは疑問の残るところだが、同じ境遇なのはこの姉しかいない。
「仕方ないよ。こうするしかないんだから」
姉の声はいつも以上に静かで淡々としていた。
まるで感情を失ったかのように。
努めて冷静さを保つように。
降りしきる雪のように白く白く……。
「来たのか……」
私たちは日が沈み切った夜闇の中、手に持つ懐中電灯の明かりを頼りに、長老の家の前にやってきた。
今日が供物の日。
今日が別れの日。
「……」
長老の大川じいは、何も言わなかった。
言葉が見つからないのだろう。
最初から決まっていた運命だったとしても、実際に目の前に迫ればなかなか受け入れられない。
その気持ちは、私たち以上に大川じいや、他の村の人たちの方が強いだろう。
「いいよ、大川じい。分かってたでしょう? この日が来ることは、最初から分かっていたでしょう?」
「しかし……」
私たちを目の前に、大川じいは大粒の涙を流す。
雪が白く染めた地面を、大川じいの水滴が溶かしていく。
気づけば私たちの周りには、村人全員が集まって来ていた。
みんな一様に目に涙を浮かべ、やや下を向いていた。
私たちを直視できる者などいやしない。
「良いんだよみんな。最初から決まっていたことだし、分かっていたことでしょう? カレンダーが次へと進むように、今夜が過ぎ去れば私たちのいない日々が普通に始まるだけ。何も変わらないし、何も変えられない。本当はもっとみんなと過ごしたかったけど、それはもう諦める。ここニ、三年みんなだって、私たちにどう接して良いか分からなかったでしょう?」
私は雪が降り積もる中、周囲を見渡し演説する。
話しているうちに体が熱くなってくる。
覚悟を決めていたはずなのに、私の目尻からも涙が流れ出す。
いけないいけない。
別れは笑ってすると決めていたのに。
でも仕方ないよね?
溢れる涙は止められない。
滲む視界は制御できない。
だから私は我慢するのをやめた。
泣くことにした。
姉も泣いている。
私も泣いている。
雪の中、冬の夜。
村人が一堂に会して泣き腫らす異様な光景。
だがこの村では定期的にやって来る行事なのだ。
「さあ案内してよ大川じい。いつまでも泣いてないでさ」
私は大川じいを急かす。
一刻も早くここから移動したかった。
別に村のみんなのことが嫌いな訳ではない。
むしろ逆だ。
これ以上みんなの顔を見ていたら、私たちを惜しんでくれたら、決心が揺るぎそうだったから。
無様に命乞いして、なんとか抜け穴をさがすことに躍起になって……。
そうなりそうだったから、私は大川じいを急かすのだ。
早く楽になりたいから。
私は残酷にも大川じいを急かす。
彼は私たちを供物に捧げる張本人となる。
実際に手を下すわけではないけれど、それでも祭壇に私たちを連れて行くのは長老の役目なのだ。
「……分かった」
大川じいが発した言葉はそれだけだった。
私たちは大川じいの案内の元、村の奥に続く竹林を抜けていく。
ここまで村のみんなはやってこない。
村の掟として、ここには関係者以外は立ち入ることが許されていないのだ。
「仮に許されたとしても、ここまでついてくるほど気持ちの強い人なんて、あの中にはいないわよ」
姉が静かな声で呟く。
声色は冷静を通り越してやや冷たかった。
姉が村人たちに対して良い感情を抱いていないことは知っていた。
自分たちを犠牲にしてのうのうと生き残る者たち。
姉にとっての村人たちはそんな存在。
むしろ村のみんなのことが好きな私の方が、どこかおかしいのかもしれない。
「確かにいないかもね……でも私にはお姉ちゃんがいるように、お姉ちゃんには私がいるでしょう?」
そんなことを話しながら歩くこと約三〇分。
寒さで手足がかじかんできた。
「ここだ」
竹林を抜けた先には、薄暗い提灯が続く一本道が真っすぐと伸びている。
左右は二股に別れた小川が流れ、その中央には道幅三メートルほどの砂利道が続いていた。
「この先を歩いて行けばいいの?」
私は大川じいに尋ねる。
見たところただの川辺。
二股の小川と道なりに並ぶ提灯はちょっと珍しいが、とても祭壇と呼べるような雰囲気ではない。
「この道の先に洞窟がうっすらと見えるだろう? あの中に祭壇があるんだ」
大川じいはそう言って深々と頭を下げる。
彼なりの敬意のつもりだろうか?
「良いよ、大川じい。辛い役目で悪かったね」
私は大川じいを下がらせる。
村に戻す。
皆のところへ……。
彼だって彼なりに辛いのだ。
「この先ね」
そんな大川じいには目もくれず、姉は何かを覚悟したような、そんな素っ気ない声色で先を示す。
いつにも増して冷淡な声。
もうじき死ぬというタイミングで、いつもと変わらない方が異常なのかも知れないが、それでも姉の様子が気になった。
私たちは小川に挟まれた砂利道を、道なりに並んでいる提灯の明かりを頼りに進んでいく。
ちょっと歩けば思ってたよりも広い洞窟に辿り着く。
「いくよお姉ちゃん」
「ええ」
私たちは恐る恐る足を踏み出す。
入り口の大きさは私たちの家と大差ないほど広く、洞窟の中にも提灯が延々と続く。
そのまま歩くこと約五分、開けた場所に出くわす。
「思ってたよりもしっかりしてるね」
「そんなこと言ってる場合?」
私はもうじき死ぬという事実を忘れて祭壇を指差し、呑気に感想をもらす。
私の声が洞窟に木霊して、姉が呆れながら笑った。
「ここが猿神様の……」
私は祭壇に登る。
四角形の祭壇は木造の舞台のようになっていて、中央には一式の布団が敷かれている。
その前方には古びた石の盃が置かれ、白と赤の紙でできた飾りが左右から伸び、その盃にくっついていた。
「ここに寝れば良いんだよね?」
「そうなんじゃない?」
私たちはゆっくりと慎重に布団に入る。
なんとも不思議な気分。
何故か心は落ち着き、昔を思い出す。
「今日で最後か……」
「そうね」
「もっと……生きたかったな」
「そう……ね……」
私の独白に姉が答えるいつもの光景。
いつものやりとり。
不思議と落ち着いていた気持ちは、いまここに至って崩れていく。
生への願望があふれ出る。
心のどこかで村人たちに嫉妬する。
この先も生きていける彼らに嫉妬する。
醜い感情。
「いいから寝なさい。大丈夫だから。起きたら全てが上手く収まってるわ」
姉は妙な言い回しで私を睡眠へと誘う。
でも私は知っている。
姉が言い切るときは、大抵その通り行くのだ。
今までだってそうだったし、きっとこれからも……。
「お姉ちゃん」
「なに?」
「おやすみ」
私は努めて普段通りに振舞う。
まるで家で眠るかのように、自然に……。
「ええおやすみ。良い夢を」
私はそのまま目を瞑る。
すぐに睡魔が迫ってくる。
怖い気持ち半分と、姉を信じる気持ち半分。
それらが頭の中をぐちゃぐちゃにして、逃れるように意識を手放した。
目が覚めると頬が濡れていた。
泣いていた。
私は泣いていた。
時刻は分からないが、小さく見える洞窟の入り口は明るかった。
「お姉ちゃん?」
私は声に出す。
昨日までずっと一緒にいた姉の名を呼ぶ。
生まれてからこれまでずっと一緒だった、姉の名を呼ぶ。
「え……いないの? 私だけなの?」
私は混乱する。
いつも私の中にいた姉がいない。
常に私を見守ってくれていた姉がいない。
巫女の血筋は必ず姉妹で生まれる。
だけど私たちは違った。
私しか生まれていない。
私は一人っ子だ。
姉は私の中にいたのだ。
生まれた時から、まるで双子のように。
世間では二重人格とでもいうのだろうか?
でもそんな気はしない。
私たちは本物の姉妹だった。
母は姉を認知していない。
村人も姉を認知していない。
姉を知るのは私だけ。
私一人だけ。
ここに敷かれた布団は一式だけ。
なぜなら姉妹の”どちらか”だけが供物となり、残ったもう一人は子孫を残すからだ。
そして寝たのは当然私。
私しか体を持っていないから。
だけど私は生きている。
ここに生きている。
なぜだろう?
「これは……?」
私は自分が紙を握っていることに気がついた。
紙を広げると、それは手紙だった。
見たことのない筆跡だけど、言葉の端々から姉が残したものだと分かった。
貴女が眠った後だから少々体を借りるわね。
最初からこうするつもりだったから、怒らないで読んでちょうだい。
猿神様は供物を指定しない。
巫女の血筋であれば、姉妹の内どちらかでいい。
それは分かっていた。
だから私は交渉することにしたの。
別に体は要らないでしょう?
猿神様にそう持ちかけることにした。
あっちだって霊体なんだから、実際の肉体なんて別に必要無いんじゃないかしら?
そう思って私は私自身を供物に捧げることにしたわ。
私は貴女に生き延びて欲しい。
この体は私のものでもあったかも知れないけれど、村の人たちと会話をしていたのはいつも貴女。母親が認知していたのも貴女。
私はいつも貴女の影にいただけ。
だから……ごめんなさい。
事前に話したら、優しい貴女は絶対にこの役を譲らないでしょう?
だから本当にごめんなさい。
いまこの手紙を読んでいるということは、無事に交渉が上手くいったという証拠ね。
生きなさい。
私の分まで生きなさい。
泣いたら許さないわよ?
笑って生きて。
これは私のたった一つの願いなのだから。
最後に、貴女の姉として生きてこられて良かったわ。
姉より
「そんなのって無いよ……」
私は早速姉の願いを踏みにじってしまう。
泣いてしまった。
涙が止まらない。
嬉しくないよ。
こんな生き方……。
ずっと一緒だった家族を犠牲にして生きていくなんてそんなの……。
私は泣きながら手紙を何度も読み返す。
やっと見れた姉の文字。
やっと聞けた姉の本音。
姉の声がまだ脳内で木霊する。
幻聴のように木霊する。
生まれてからずっと一緒にいた姉の声。
消えたからといって、そんなすぐにその声が止むことはない。
だからだろうか?
姉の笑い声が聞こえた気がした。
まるで私の気持ちを明るくするように、いつものように私を気遣って……。
「ごめんなさい私……」
もうしばらくは笑える気がしない……。
本当に一人っきりになった祭壇の上で、私は延々と止むことのない涙を流し続けた。
END
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