前編 呪いの猿神村

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前編 呪いの猿神村

 私たちの住むこの村はちょっと……いや、相当おかしかった。  本当に現代の日本なのか疑わしいほどに閉鎖的で、古くからの伝承に縛られている。  私たち姉妹の住む通称”猿神村”という名称は、山あいに存在するこの村のさらに奥。竹林を数キロ抜けた先にある、古びた洞窟に祭られた神様の名前からつけられたものだ。  村に伝わる伝承によると、ここの神様は巫女の体を雪の降る日に供物として求める。  数十年に一度。  巫女の血族の娘が一八になる年に。  過去に一度供物を供えなかった世代があったらしいが、その年の春に謎の病が流行して村人の大半が命を落とし、普段は聞こえない猿の鳴き声が村中に響き渡ったという。    現代の日本においてそんなふざけた話がと思われるかもしれないが、実際この村では巫女の血筋の娘を捧げていた。   「いよいよ私たちの番ね」 「そんなにあっさりと言わないでよお姉ちゃん」  私は姉とそんな会話をする。  前々から分かっていたこととはいえ、私は恐怖で体が固まる思いなのだが、同じ条件であるはずの姉は全くもって緊張感がない。 「そんなに怖いなら村を出れば良かったじゃない」  姉は当然の提案をする。  言われてみれば実に当たり前の話で、別にこの村に執着する理由はない。  この何もない村から街に出ればいいのだ。  出れればの話ではあるが……。  この村があるのは小高い山の頂上と中腹のあいだ。  人口は当然少なく、一番近い街まで車で六時間ほどかかるらしい。  らしいというのは、一週間に一度だけトラックで商品を売りに来るおじさんから聞いた話だ。  私たちは一度としてこの村から出たことはなかった。  携帯も持っていなければ、電波が届かないためにテレビも見れない。  唯一辛うじて届く電波はラジオが数局程度で、村の者たちにとって世間を知るチャンスはここしかなかった。  ラジオで聞いたニュースの断片を、村の中心にある古びた集会所で楽しそうに話すのが日課となっている。  そして私たちがこの村から離れられない理由は簡単。  私たちが巫女の血筋だからだ。  私たち姉妹の体に流れる血は、遥か昔から脈々と受け継がれてきた猿神様を鎮める巫女の血だ。  つまり巫女の末裔。  なぜか巫女の血族は必ず姉妹で生まれる。  仮に供物にされても、もう一人が子孫を作るためではないか?  そんな推測を長老の大川じいが話していた。  巫女は供物にされるのが当たり前となっていた。  しかし巫女たちも、黙って供物にされ続けてきたわけではない。  過去にはこの村から脱出した巫女もいたそうだが、この村から出てたった三日で全身の穴という穴から血を吹き出し絶命したらしい。  呪われた血。  呪われた血族。  呪われた村。  それに私たちが逃げ出してしまえば、ここでしか生きられない村人たちはどうなる?  猿神様の呪いによって死んでしまうかもしれない。  一度供物を捧げなかっただけで原因不明の病を流行らせる神だ。  絶対にただではすまないだろう。 「だからこれは私にしか出来ないこと。私たちにしか出来ないこと」  木造の小さな小屋から顔を出すと、まだ夕方も向かえていないのに、分厚い雲のせいかだいぶ暗くなっている。   「これだけ雲が分厚いと雪でも降るんじゃない?」  お姉ちゃんがクスクスと笑う。  実際今年の冬は寒い。  いつ雪が降ってもおかしくない。  村を散歩する。  もうじき見納めとなるこの村を目に焼き付ける。    もちろん死ぬのは怖い。  いや、供物に捧げられた女性がどうなるのかは分からない。  実際に見たわけではない。  しかし誰一人として帰ってこなかった。  だから私は、生まれてから一八年間過ごしたこの村を見て回る。  覚悟ができていると言うのは簡単だが、そう簡単に割り切れる話でもない。  自分の命を捧げて村を守る。  表面上は美談にでも仕立て上げられそうだが、実際はとんでもなく怖いし、悔しいし、腹立たしい。  なぜこの血筋で生まれたのか泣き腫らした夜もあったし、今はもう病で死んでしまった母親と言い合いになったこともある。  小屋を出て村の集会所に向かう。  中心のこの建物の他に家は一〇軒ほど。  十数人がひっそりと暮らすこの村の恐ろしい実情を、世間は当然知らないし、知る由もない。  事情を知っている外部の者は存在しないし、いたとしてもそれを世間はまず信じないだろう。    村のみんなは私たちの姿を見かけると、お喋りをやめてコソコソとどこかへ行ってしまう。  幼少の頃は構ってくれたのに、二、三年前からこんな感じ。  寂しさもあって、当初はイライラしていたのを憶えている。  まるでイジメられているみたい。    でも今になってみれば理由が分かる。  単純になんて声をかけて良いのか分からないのだ。  私たち姉妹を犠牲にして生きることになる自分たち。  若い命を、赤ちゃんの頃から知っている子供を犠牲にして生きるというのはどんな気持ちなのだろう?  だけど私はこの村の皆を恨んだことなどなかった。  どうせ私たちは、この村から出ることができないのだ。  供物を捧げなければ、今度は猿神様の呪いで死ぬ。  村を出れば全身から血を流して死ぬ。  供物に捧げられても死ぬ。  最初から一八年しかもたない命。  生まれた私たちを村の大人たちは、一体どういう気持ちで育ててきたのだろうか?  想像できない。  想像できないけれど、苦しかったに違いない。  罪悪感で押しつぶされそうになっていたに違いない。  だから私は、この村の大人たちを憐れにすら思うのだ。
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