一.若き王の憂い

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一.若き王の憂い

 マラド・シティ。  砂漠の国ジャッシュの王都であるこの街には、国王シーザの城がある。  砂漠地帯にあるこの国は、古くは水不足が深刻であった。国教であるクルス教の女神がその渇きを潤すために水を湧きあがらせたのがこのジャッシュの地であり、それが王都の始まりであると言われている。  現在でもその湧き水は国の人々の生活を潤し、城内の庭には簡素ながらも美しく手入れの行き届いた純白の井戸が残されている。井戸とそこから湧き出す清らかで冷たい水には女神クルスの加護が宿るとされ、その聖なる水を求め城を訪れる民も少なくない。  城からまっすぐに伸びたメインストリートには様々な店が立ち並び、行き交う人もまた様々だ。華やかに着飾った貴族たちと、その貴族たちを相手にする行商人であふれている。  このメインストリートから一歩でも裏路地へ入るとそこはゼロストリートと呼ばれ、貴族以外の者たちが細々と暮らしている。そこに住まうのは決して裕福ではない者たち、身寄りのない者たち、裏の世界でしか生きられない者たちなど多種多様である。 貴族たちからの迫害や差別があるわけでもない。貧富の差による社会的格差が目立つわけでもない。しかし、ある一定の地位以下の者たちは堂々と大きな通りに住むことはない。  この国で一番栄えている街。この国で最も表裏のある街。それがこの、王都マラドである。  藤堂灰次(とうどうはいじ)はちらりとゼロストリートを見やった。自分が住み着いていた頃とさして変わっていない。  後ろでひとつにまとめた長い灰色の髪と、裾の長い真っ黒なスーツを揺らしながらメインストリートを進む。 色とりどりの服を纏った貴族たちの中ではその暗い色は逆に目立つ。加えて色濃い紫色のサングラス。表情の読めない男の姿に、すれ違う何人かはそっと避けていくのが灰次自身にもわかる。  そして彼が目立つ理由がもうひとつ。連れている少年の容姿であった。  陽の光を吸い込んでしまうような真っ黒な髪と、深紅の瞳。この国を加護する女神クルスを祖としたクルス教において、赤い目は不吉とされ、黒髪は悪魔の遣いであると昔から言い伝えられている。  白く輝き透き通るような髪と肌を持つ女神を気高き白猫と例えるならば、反対に光を吸い込む漆黒の色、黒猫は不吉の象徴とされていた。  赤い瞳、黒い髪。そのどちらも兼ね備え、かつ服装もほぼ黒で統一された漆黒の少年は、貴族たちの目から見ればまさしく異端であった。  長身の灰次に比べて背は小さく、前を歩くその影にすっぽりと隠れてしまうほど。歩幅も狭く、長い足でペースを落とさずに歩き続ける灰次の背を懸命に追いかけている。 灰次に追いつこうと小走りになると、赤いチョーカーに付いたメダルがと首元で小さな音をたてて揺れた。 「疲れたか?」  灰次は歩くペースを緩め、少年に問う。少年は首を左右に振ることでそれに答えた。 「腹減ったか?」  今度は立ち止まり、少年に向き合って問う。一瞬頷こうとして、少年はすぐに首を大きく横に振った。 「おうさま、ごはんくれる?」  少年がたどたどしい口調で尋ねる。その口調に似合わぬ、涼しげな凛とした声である。 「どうだろうな。仕事はくれるだろうよ」 「おしごとしたら、ごはんたべられる?」 「ヘマしなきゃな」  少年の黒髪をそっとなでると、灰次は再び歩き始めた。 「お前のおねだりならシーザも聞いてくれるかもな」 「ごはん?」 「ああ」  少年はその言葉に少しだけ口元を緩め『おねだり』と小さく繰り返した。 「おうさまは、灰次のぶんもくれるかな?」 「俺? さあな」  灰次が前を向いたまま返事をすると、少年は再びもごもごと何かを呟いてにっこりと笑った。  しばらく歩くと、目の前に大きな門が見えた。灰次はそこで足を止める。シーザ王の居城。門の両脇には国王直属の白光騎士団(はくこうきしだん)の鎧を着た門番が立っている。 「またお前か」  門番のひとりが溜め息混じりに呟く。 「王様の大事なお客様に向かってその言い方はあんまりじゃないの」 「お前が来るとろくなことがない」  もうひとりの門番も口を挟む。 「ろくでもないことが起こってるから、俺が呼ばれたんだろ?」  灰次は自嘲気味に笑って見せた。 「口の減らないやつだ。よし、名を名乗れ」  門番は表情と姿勢を正すと、手に持っていた銀の槍を灰次の方へ倒した。 「掃除屋の藤堂灰次と、ペットのカラー・カッツェだ」  言いながら灰次は胸元から金属のプレートを取り出した。灰次の名が刻まれており、その裏には女神クルスを象った王国印が見える。  少年、カラーもそれに倣ってチョーカーについたメダルを見せる。同じように、名前と王国印が刻まれている。  王国印は国王から相応の待遇と権限を与えられた者のみが持つことができる。これがあればこの国でできないことはないとも言われるが、実際、王国印を提示した際には記録に残されるため、どこで何をしたかすぐに国王の下へ届く。大きな権限を手にすると同時に、国から常に監視をされているのである。 「藤堂灰次、及びカラー・カッツェ。入城を許可する。開門せよ」  門番は槍を戻し、そう声をあげた。大きな城門が音を立ててゆっくりと開く。  灰次はどうも、と門番ふたりに声をかけ、カラーとともに中へと進んだ。  純白の井戸を横目に広い庭を抜けて大きな長い階段を上れば、そこが謁見の間だ。階段を上るたびに、カツン、カツン、と床に冷たい靴音が響く。埃ひとつなく綺麗に磨かれた床。いつ来てもこの城は美しい。 「藤堂さん」  半分ほど上ったところで下から声がした。呼び止められた灰次は足を止めて振り返る。身なりのきちっとした長髪の男がにこやかに笑い、頭を下げた。 「アヤセ。久しぶりだな」 「はい、お久しぶりです。陛下からのお呼び出しですね? カラーくんも」  アヤセ、と呼ばれた男に声をかけられた瞬間、カラーはさっと灰次の後ろへ隠れた。しっかりと灰次の服をつかんで、その影からじっとアヤセを見つめている。  アヤセはシーザ王の側近で、代々王家に仕えるジュオール家の者である。幼い頃から王を支えるためだけに教育を受けてきた。父も祖父も、何代にもわたって王家を支えてきた家系だ。 「相変わらず嫌われているのかな」 「気にすんな。こいつはなかなか懐かないんだ」  苦笑いするアヤセに笑いかけて、灰次は再び階段を上り始めた。  カラーはどうにもこのアヤセという男が苦手らしく、顔を合わせればすぐに灰次の影に隠れて、じっとにらむような目線を向ける。  肩にかかってさらさらと揺れる美しい青い髪と、切れ長の目とバランスの取れた泣き黒子。大抵の女性なら微笑みかけられただけで頬を染めそうな色気のある男であるが、どうしてかカラーは彼のことが苦手であった。 「お客様のご案内くらいはさせてください」  アヤセは早足で階段を上りふたりを追い越すと、謁見の間へと足を進めた。  ジャッシュを治めるのはエリアル家という、由緒正しい王家の一族である。  現在の王であるシーザ・エリアルはまだ若い。先王のカイザ・エリアルの死後すぐに王位に就いた。五年前、シーザが十歳の時である。  優しく純粋で国民からの信頼も厚いシーザだが、お人好しで少々気が弱く、政治に関してはまだまだ未熟であった。そのため、先王の頃から側近の任に就いているアヤセがシーザの片腕として働いている。  優秀なアヤセは十八でジュオールの家を継ぎ、若くして先王の側近となった。その任に就いてからわずか二年でカイザが逝去し、その後もずっと幼いシーザを他の家臣たちとともに支え続けている。シーザとの年齢差は十ほどで、彼にとってアヤセの存在は優しくも厳しい兄のようなものだった。  先王の頃から城に出入りしている灰次とも、シーザは仲が良い。先王時代にはよく話し相手にもなっていた。  城の外へほとんど出たことがないシーザにとって、灰次の話は本を読むよりも剣の稽古をするよりも楽しみだった。他の街や村のこと、遠い国の戦争のこと。幼少の頃より、灰次はシーザの憧れであった。   その頃からの関係が続いており、今でも何かあると灰次に声がかかる。灰次もシーザのことを幼い頃から弟のようにかわいがっていたから、その頼みを断らない。  カラーもシーザには懐いている。彼がすぐにカラーを甘やかすからだ。何かをねだられればすぐに与えてしまうし、大抵のことであればシーザは彼の頼みを断らない。 「陛下。藤堂さんとカラーくんがおいでになられました」 「来たか! アヤセ、ご苦労。灰次、カラー、久しぶりだな!」  見るからに人のよさそうな顔を崩して笑う。どこにでもいそうな普通の青年。無邪気にはしゃぐ姿はとても一国の王には見えない。  天窓からそそぐ光に金色の髪が反射してキラキラと光る。先王と同じ髪の色。王家の地を継ぐ者の証。 ただの青年に見えても、国に対する心も、そして容姿も、シーザはしっかりとカイザから受け継いでいる。 「国王陛下、お久しぶりです」  灰次は恭しくそこへ膝をつき、頭を下げて挨拶をした。その一歩後ろでカラーも同じように頭を下げる。  それを見ながらアヤセは小さく一礼すると、自身の仕事へと戻っていった。 「陛下、お変わりないようで何よりです」 「灰次。誰もいないんだ、堅苦しいのはやめてくれよ」 「じゃ、お言葉に甘えて。元気そうだな、シーザ」  灰次はそう言って笑うと、シーザの元へ歩み寄る。  先程よりいくらか柔らかい灰次の声に、シーザは思わずその豪華な椅子から立ち上がり、灰次に抱きついた。 「どうした。何があった? 早鳥(ハヤトリ)よこすなんて相当だろ」  早鳥とは、重要で急を要する伝令のために使われる手段である。普段ならば灰次は早鳥ではなく離鳥(ハナレトリ)という方法で呼び出されていた。  離鳥も通常の手紙鳥(テガミトリ)に比べれば速く確実な情報伝達手段で、一介の掃除屋を呼び出すのならば十分すぎる方法である。  早鳥は本来ならば戦争や協定など国に関して緊急事態が起こったときに使用される。  早鳥からの伝令を受け取って三日。灰次もいつもとは様子が違うとわかっていた。  シーザは灰次とカラーを自室へ案内した。  誰にも聞かれたくない。ふたりにだけ話したい。そう告げたシーザの目は真剣だった。 「アヤセはいいのか?」 「アヤセにも話せない。何があるかわからないから」  声が緊張している。灰次はシーザの背をそっと撫でてやり、ゆっくり話せ、と優しい声で言った。 「僕は殺されるかもしれない」  その言葉に灰次の表情は険しくなる。カラーの背筋もピンと伸び、目つきが鋭くなった。 「誰に」  短い質問しか返せない。  シーザはそれに対し、視線を落としたまま言いづらそうに言葉を発した。 「もしかしたらアヤセかもしれないし、もっと他の人間かもしれない」 「それはつまり、城の内部の人間が怪しいってことか」  灰次の言葉にシーザは小さく頷いた。  はっきりと命の危機を感じるような事件があったわけではない。小さなミスや偶然が重なっているだけかもしれない。  稽古用の模擬刀が本物の刀になっていたことや、夕食に微量の毒物が混入していたこと。部屋の窓枠の止め具が緩んで外れそうになっていたこと。  どれも臣下の誰かが気付いたから防げたが、一歩間違えばシーザの身に危険が及んでいたのは間違いなかった。    シーザを王として認めていない者がいる。彼を消して実権を握ろうとしている者がいる。  年若い王であるから、そういった反乱分子が現れるかもしれないということは灰次も危惧していた。だが、家臣たちの先王への信頼やシーザ自身の人柄もあって、その可能性は低いと考えていた。  この件についても、シーザが疑心暗鬼になっているだけで、本当にただの偶然かもしれない、とも思った。 だが、シーザは聡明であり、誠実である。そう簡単に家臣を疑うようなことはしないし、何より、彼がそう感じているのだから灰次はそれを信じるほかない。 「それで? その首謀者を掃除しろって? やられる前にやるって話?」  灰次の仕事は掃除屋である。   掃除屋。依頼を受けてその身辺を〈掃除〉することを仕事としている。依頼人の『身辺整理』と称して悩みの種となる存在を消すことを〈掃除〉と呼ぶ。 つまりはトラブルシューター、何でも屋といったところだ。 扱う内容は様々であり、時には人の命を〈掃除〉することで解決することもある。    これまで灰次は、国と国の間の戦争や地方のお家騒動から個人的な復讐まで、多くの依頼を解決してきた。その界隈ではそれなりに名前の知れた存在である。  時にはある高名な学者の地位を没落させ、国家間の戦争の火種を消した。時にはある貴族の社会的地位を貶め、彼によって人生を狂わされた人間の復讐に手を貸した。  報酬、確かな情報、自分の腕、そして相棒であるカラー。 それ以外のものは信用しない。できない。危険で孤独な稼業。  だが、先王カイザに関しては別であった。立場も年齢も育ちも何もかもが違っていたが、彼らは互いに心を許せる友のような存在だった。灰次はカイザの言葉には耳を傾け、その言葉を信じた。彼がいなくなった今も、残した言葉は全て信じている。  そしてその息子であり、幼い頃から見守り続けてきたシーザのことも同様に。 「違うんだ。僕を殺したいなら殺せばいい。僕から王座を奪いたいなら奪えばいい」  ひとつひとつ言葉を選びながら話すシーザの姿は、幼い頃に目を輝かせて灰次の冒険譚を聞いていた頃とは違っていた。 「ただ、この国を、父上の遺志を、そして国民たちを不幸にするような真似だけはしたくない。僕はこの国の王として生き、王として死ぬ責任がある」  小さな声だが、言葉は強くはっきりとしている。  「黙って殺されるつもりはない。でも、もしも内部に反乱分子がいたとして、それを力で潰すようなこともしたくない。僕の王政に不満があるのなら、彼らに力を貸して欲しいんだ。僕は自分が未熟なこともわかっているから。だから、より良い国にするために、現状に不満を持つ者たちからも意見をもらいたい」  いつのまにこんなにしっかりしたのだろう。以前会ったときにはまだまだ幼い顔で、アヤセに言われるまま仕事をこなすので精一杯だったのに。  灰次はその成長に素直に感心した。先王に似てきた、とも思った。国のため、それが口癖だったあの男に。 「話し合いがしたい。それだけなんだ。僕のことを殺したいほど憎んでいるなら、その理由を知って理解したい。その上で僕を殺すというのなら、国のために僕の命を奪うというのなら、それでもいい」 「そいつを掃除しろって言われた方が数百倍ラクなんだけどな」 「灰次、お願いだ。首謀者を掃除したいわけじゃない。この国の憂いを掃除したいんだ。だから力を貸して欲しい」  おとなしく聞き入っていたカラーがそっとシーザに擦り寄った。子猫がするように、その頭をぐいぐいとシーザの胸に押し付ける。 「カラー?」 「おうさま、だいじょうぶ。かなしまないで。灰次がたすけるよ」  カラーの赤い瞳がシーザをまっすぐに見つめる。吸い込まれそうな深い赤色に、思わず見入ってしまう。  灰次はその様子を見てゆったりとしたソファからのそりと立ち上がった。 「こいつがそう言ってるんだし、しょうがないわな。わかった。お前が殺される前にそいつを見つけ出して話し合いとやらをさせてやるよ」 「灰次!」 「ただし、お前の命を第一に優先する。本当にお前が危なくなったら俺はそいつをその場で掃除してやる。いいな」 「腕のいい掃除屋は簡単に命を奪ったりしないって父上が言ってた」 「どうだかな。俺の手はそこまできれいじゃない」 「でも、なるべくそうならない道を、灰次なら選んでくれるだろ?」  純粋でまっすぐな視線というのは、なによりも痛い。  灰次は小さく息を吐いた。 「カラー」  相棒の名を呼ぶと、カラーはじっとこちらを見た。チョーカーのメダルが揺れて小さく音が鳴る。 「お前はシーザのところにいろ。俺は探しものだ。いいな、こいつの前で赤い血一滴たらすんじゃないぞ」 「わかった」  カラーが大きく頷いたのを見て、灰次は部屋を出た。シーザの信頼に応えなければいけない。迅速に首謀者を見つけ出し、話をつける。  彼の身はしばらく安全なはずだ。カラーがいれば。  早足で階段を下り、広い庭を抜ける。城門は開いていた。  灰次の姿を見るや、門番ふたりが話しかけてくる。 「お前、あの坊やは?」 「王様のとこだよ。やっと大仕事が終わって一息つきたいから遊び相手に貸してくれってさ。そんなことで呼び出されるこっちの身にもなれっての」 「まったく本当にろくでもないな」 「まあ平和な方のろくでもないことでよかったじゃないか」 「そーいうこと。また迎えに来るからしばらく頼むわ。じゃ、ご苦労さん」  短い会話を交わし城門を出る。まっすぐに続くメインストリート。その一角を曲がって、灰次はゼロストリートへと足を向けた。
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