三.城下の商人

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三.城下の商人

 翌朝早くにゼロストリートを出た灰次は、ある骨董商の元へ向かった。 マラドのメインストリートの一角に出店している古い店、名を節気商(セッキショウ)という。  この店の主人を長年務めていたセツキ・ハルアキは一昨年隠居し、現在は娘のトウカが店主を務めている。  おとなしく口数も少ない娘であるが、商売上手で計算高い。穏やかな笑みとたおやかな身のこなしにすっかり絆されてしまう男性客も少なくない。 「おう」  店の暖簾をくぐり、灰次は片手を挙げて挨拶する。その先に座っている小柄で清楚な女性。若干二十歳にしてこの店の全てを継いだセツキ・トウカ本人であった。 「藤堂さん。お久しぶりですね」 「親父さんは元気にやってるかい?」 「はい。相変わらずです」 「バージに壷を売りつけたのは?」 「売りつけたとは人聞きの悪い。アルクルス様がお気に召したと仰るので相応の額でお譲りしただけのこと」  上品な笑みを崩さないままそう返す。この笑い方が、灰次は苦手だ。苦手であるが、それを好ましくも感じていた。 「今日は何をお探しで?」 「ある高貴なお方が落とした種、だな」 「あいにく、お取り扱いはございません」  トウカは眉ひとつ動かさないまま言った。間髪入れずに返ってきた言葉に灰次は苦笑する。こういう隙を見せないところが本当に好ましい。 「ですが」  トウカは振り向くと、後ろの棚からひとつの箱を取り出した。鈍く光る素材で作られた小さな箱。トウカの両手に収まるほどのサイズではあるが、重量感のある金属製の箱だった。 「アイアンか」 「いいえ、キャボンです」  この国の武器や工具などはたいていがアイアンという金属で作られている。金属で作られた品といえば、まずアイアンで出来ていると考えるのが普通だ。  自国の鉱山で発掘した金属の加工技術は、昔に比べて格段に上がっている。  ジャッシュは腕のいい技師を多く抱えることでも有名であり、天然資源や鉱物の様々な用途や加工など、ここ数十年で技術国として目覚ましい発展を遂げてきた。  しかしながら、現在、この国では武器のほとんどが銀でできている。  銀は聖なる力を持つと信じられており、国教であるクルス教の加護を受けた特別な素材であるとされているため、御守としての意味も込めて護身用の武器や騎士団の特注武器などは全て銀で作られているのだ。  しかし、今トウカの手にある箱はアイアンでも銀でもなくキャボンという素材で出来ていた。『キャボン?』と灰次が聞き返すと、トウカは箱を手渡した。 「ずいぶん軽いな」 「ええ。アイアンより軽く、しかし強度はそれよりも上。ハリロクの技師が見つけた新しい素材の加工法だそうです。まだ流通段階までは至っていないようですけれど」  ハリロク・タウンはマラドの西にある街で、職人の街と呼ばれている。 武器、工具、嗜好品、あらゆるものを作る、あらゆる技師たちが腕を競う場所。それがハリロクである。 「キャボンねえ。で、これが種の話とどう関係あるんだ?」 「この箱を開けてください」  にっこり、という表現がしっくりくる。そんな笑い方だった。何か企んでいる。もしくは何かを知っている。灰次にはそれが伝わった。 「ある方よりお預かりしたものなのですが、腕利きの掃除屋が来たら依頼をして欲しい、と依頼されてしまいまして」  依頼を依頼された、という言い方に灰次は思わず苦笑する。  こういうことは稀にある。  酒場や賭場など、人が多く行き交う場所ではこうした間接的な仕事の依頼や伝言を受け取ることも少なくはない。他の掃除屋たちもそうである。  だが、節気商でそういった事態に出くわしたことはなかった。そもそもこの骨董品屋は一部の富裕層やマニアが利用することが多い店だ。依頼を託すのに適している店ではない。  ならば、今回の依頼者は、この店の顔なじみに掃除屋がいると知っている、つまりこの店と灰次が懇意にしていることを知っている者であろう。  あるいは、トウカがそれを誰かに教えたのか。トウカが依頼者であるか。 「はっは、なるほどな。その箱の中に種も仕掛けもあるってことか」 「笑い話ではありませんよ。依頼主が気にならないのですか?」 「それを知ったところで今回の件の首謀者なんてわかりっこないだろ。だったら、それを預かった方がいい」 「では、ハリロク・タウンの桐生院世界(きりゅういんモンド)様にお届けください。キャボンの加工法の第一人者といわれる技師の方です。その方でなければ恐らくこの箱は開けられません」  鍵穴もなければこじ開ける取っ掛かりとなるような隙間もない。さらにアイアンよりも強い素材となれば、手持ちの工具では開けられないこともわかりきっている。恐らく白光騎士団の銀の武器を使ったところで、結果は変わらないだろう。  現状、落胤探しの方も他に情報はない。余計なことを詮索するよりは、今の状況で手に入れたこの手掛かりを素直に受け取っておいた方が良いだろう。 「わかった。ありがとな、トウカ」 「いえ。これも節気のお仕事です」 「ところで、ひとつ頼まれてくれるか」 「高くつきますよ?」  しっかりしてやがる、と呟いて、灰次は話を進めた。  節気商を去ったその足で城へ向かう。  今日も門番と一言二言交わして庭園へ入ると、見知ったシーザの侍女を見つけ、声をかける。シーザの部屋に通して欲しい旨を伝えると、侍女はすぐに灰次を案内した。 「お前のとこの侍女はあんなんでいいのか」 「灰次に対してだけだよ。誰でも構わずあんなに簡単に僕のところまで通すわけじゃないさ」  部屋に入ってさっそく小言を言い始める灰次に苦笑しながらシーザは答えた。そのすぐ隣にはカラーが控えている。 灰次を見てそわそわしているカラーに、おいで、と声を掛けるとすぐに飛びついてきた。 「髪はサラサラだし、血色もいい。一晩とはいえずいぶん甘やかされたな」  カラーをなでながら、灰次はシーザを見た。美味しい料理とふかふかのベッド。そして香りのいいシャンプーを使ったことも、全てバレている。シーザは少々ばつの悪そうな顔をした。甘やかしている自覚はあるようだ。 「すまないが、もうしばらくこいつを甘やかしてやっちゃくれないか」  その言葉に、カラーはその赤い瞳にわずかに不安の色を宿した。  シーザも驚いて灰次を見つめ返す。 「ハリロクまで行かなきゃならなくなった。かと言ってここを留守にするわけにもいかない」 「灰次、カラーおいていくの?」  いよいよその瞳は不安に揺れた。抱きついてくるカラーの黒髪をくしゃくしゃとなでて、すぐに戻る、と言ってやる。それでもカラーは灰次から離れようとはしなかった。  そっとカラーの両肩をつかんで自分の体から引き離す。灰次はまっすぐにシーザを見つめる。  灰次にも不安がないわけではない。命を狙われている友であり王であるシーザのそばを離れることは本当ならばしたくはない。だが、今はこの箱をどうにかしなければ先へは進めない。 「日没前には発つ。とばせば明日の昼にはハリロクに着けるはずだ」 「足は?」 「愛車がある」 「他にいるものは?」 「燃料」 「わかった。夕方までに満タンにしておくように伝えるよ」 「悪いな」  ひとりで暮らしていた頃は、大型のバイクに跨ってどこへでも行った。カラーが同行するようになって、そのバイクをサイドカーに改造した。その改造の手配も、カイザが協力してくれたことを思い出す。 「十九郎のところに預けてある。鳥が鳴く頃には整えておいてもらえるか」 「城下の整備士のところだね。任せて」  暮れの鳥が鳴くまではまだしばらく時間はある。  シーザはすぐにアヤセを呼び、その旨を伝えた。アヤセは灰次がハリロクへ向かう理由を詮索するようなことはせず、ただ、かしこまりました、と頭を下げて出て行った。  よくできた側近だ、と灰次は常々思う。  王に余計な口出しをせず、言われた命令を全うする。必要なときにはたとえ王が相手であっても引かぬ姿勢を見せる。  エリアルが代々ジュオールを信頼し高い地位を与え、また、ジュオールもそれに応え王家を支え続けている、その関係が崩れることはない。今までも、これからも。 「カラー。お前の御主人はしばらくシーザだ。こいつの言うことに逆らうんじゃないぞ。絶対にだ」 「おうさま、ぜったい」 「そうだ。俺が戻るまでに何か起きたら頼むぞ」 「おうさま、ぜったい」 「よし。いい子だ」  灰次はシーザの部屋を出る。その背中を不安げな瞳で見つめるカラーの視線を振り切って、城下へと足を向けた。  整備士と言えば聞こえはいいが、伊勢十九郎は通称ジャンクと呼ばれるただの機械好きな男である。  店の中には使えるのか使えないのかよくわからない部品がきれいに透明のケースに収められていて、その数は来るたびに増えている。バージといい十九郎といい、他人から見ればガラクタにしか見えないものを集める趣味が、灰次には理解できない。  理解はできないが、腕は信用している。マラドに来れば必ずここへ愛車を持ち込んで整備を頼んでいた。 「おお、来たか! 灰次!」  オイルで汚れた顔や腕をタオルで拭いながら、店の奥から十九郎が出てくる。  派手なピンク色の髪は、以前来たときにはモヒカン頭であった。今は、坊主頭になっている。色はどうあれ、髪型はこちらのほうが落ち着く、と灰次は挨拶代わりに告げた。 「昨日は悪かったな、外しててよ。若いのがバイク預かったろ。やたら怖い顔してにらまれたって言ってたぞ」  既に連絡を受けていたらしく、灰次のバイクには燃料用のチューブが繋がっていた。自分が城を出てからそう経ってはいないはずなのに、相変わらずアヤセにしても十九郎にしても仕事が速いものだと感心する。 「そりゃ、俺の愛車だからな。お前以外に触らせたくない」 「嬉しいこと言ってくれるねえ」  大柄な体を揺らしながら十九郎は豪快に笑う。彼の整備技術もハリロクで学んだもので、その師もハリロクにいるという話を灰次は聞いたことがある。  箱のことには触れずに、灰次はキャボンの話題を振った。 「桐生院? ああ、じっちゃんのとこか」  桐生院の名を出すと、やはり知っているようだった。 「じっちゃんがキャボンの加工に成功したって話は噂で聞いてたよ。まったく、老いても衰えないね、あの人は」 「あんたがじっちゃん呼ばわりするってことは相当なじいさんだな」 「そうさ、先王が即位した頃にはもう店出してたっていうから」  それは古株だ、と灰次はつぶやいた。老練の技師というのは頑固な者が多い、という先入観がある。簡単に箱を開けてもらうことができるだろうかと、密かに眉を寄せた。  話が一区切りついたところで、バイクに繋がっていたチューブがガコンと音を立てて揺れた。燃料が満タンになった合図である。  まだ暮れの鳥は鳴かない。遠い西の空が少しずつ暗い色に変わってきているが、まだマラドは明るく暖かい。 「鳥が鳴いてから発つんだろう。少しゆっくりしていくか?」 「いや。バイクが問題なければもう出たい」 「相変わらず忙しいな。気を付けて行けよ」 「ありがとな」  くすんだ銀色のコートに身を包み、使い込んだ鈍い色の手袋を両手にはめる。空っぽのサイドカーに、預けていた大きな荷物をドスンと載せ、エンジンをかける。  エンジンの音はすこぶる快調だ。ライトの点灯を確認すると、口元がすっぽり隠れるヘルメットの顎紐をきつく締めた。  これからの時間、夜に向けて街の外は冷えるであろう。 「クルスの加護を!」  見送りの言葉をかける十九郎に軽く手を挙げ返事をして、灰次はマラドを発った。  暮れの鳥が鳴く。  マラドの街は鮮やかな闇に包まれ始める。  灰次は鳥が鳴くずいぶん前に発ったと聞いた。今夜中に砂漠を越えるだろうか。 「カラー」  窓の外を眺めながらぼんやりと主人のことを考えていると後ろから優しい声がした。 振り向くと、シーザが柔らかな笑みをこちらに向けている。 「灰次のことが心配?」  カラーは大きく首を横に振る。  自分は灰次に留守を任された。シーザを守らなくてはいけない。余計なことを考えていてはいけない。今の主人は目の前にいるこの男なのだ。 「いいんだよ、心配ならそう言って」  近付いて、シーザはカラーの頭をなでた。灰次より小さな、綺麗な手。こんな自分を、壊れ物を扱うように優しくなでてくれる手。 「灰次はつよい。でも、灰次はやさしい」  窓の外に見える薄ぼんやりとした月をカラーは見つめた。同じようにシーザは空を眺める。 「でも、カラーはやさしくない」  遠く沈んでいく夕日よりずっと赤い瞳がギラリと光った。深く濃い赤は、吸い込まれそうな不思議な魅力を持っている。  この子は、掃除屋の相棒なんだ。  シーザはわかりきっていたことを心の中でつぶやいた。 「それなら、行けばいい」  その言葉にはっとしたようにカラーが振り返った。シーザは月を見つめている。その視線をゆっくりと赤い瞳に向ける。  先程とは違って不安げに揺れる赤を、シーザは愛しいと思った。 「でも、おうさま、ぜったい」 「うん。だから」  これは命令だ。 「カラー・カッツェ。今すぐに藤堂灰次を追いなさい」  強い言葉とは裏腹に、国王は穏やかな笑みを浮かべていた。
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